インド代数学研究 『ビージャガニタ』+『ビージャパッラヴァ』全訳と注 / 林 隆夫(恒星社厚生閣)十二世紀インドの代数学書とその注釈書の緻密な邦訳と詳細な研究を提供|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年3月3日

十二世紀インドの代数学書とその注釈書の緻密な邦訳と詳細な研究を提供

インド代数学研究 『ビージャガニタ』+『ビージャパッラヴァ』全訳と注
出版社:恒星社厚生閣
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本書は、世界的にも高く評価されているサンスクリット学者による十二世紀インドの数学者バースカラのきわめて重要な代数学書『ビージャガニタ』と、十六世紀後半にクリシュナによってものされたその注釈書『ビージャバッラヴァ』の緻密な日本語全訳に加えて、関連事項についての情報を盛った包括的研究書である。基本的に、数学史にプロとしてかかわる読者に向けたプロの学者による書物である。本体価格の二万四〇〇〇円はその学問的事情を物語っている。ただし学問的重要さは比類のないものであり、現在ちまたに溢れているたくさんの軽い本に食傷している本物志向の読者にとっては格好の贈り物となるであろう。

代数学は、西暦九世紀初めにバグダードでフワリーズミーによってアラビア語で書かれた『アルジャブルの本』から始まったと考えられがちである。だが古代ギリシャには同種のディオファントスの『数論』がすでに存在していた。ギリシャとアラビアのこういった数学的伝統が、ヨーロッパ中世で合流し、イタリア・ルネサンスで大きく開花し、ヴィエトとデカルトの近代西欧記号代数の流れとして今日の現代数学に受け継がれている。和算と呼ばれる日本の近世数学も代数的数学にほかならない。しかし、このような潮流とは異なる代数的数学がインドに存在していた。それが今回林氏が提供した浩瀚な著作のテキストに盛られている内容である。

けれども、本書を気軽に読解しようとしても、かなりの無理を余儀なくされるであろう。が、すでに著者自身によって世に問われている『インドの数学――ゼロの発明』(中公新書)の第六章「インド数学の基本的枠組みの成立」と共立出版刊の伊東俊太郎編『中世の数学』(叢書『数学の歴史』Ⅱ)の第3章「インドの数学」の第3節「バースカラⅡの『ビージャガニタ』」の参照をお勧めする。とくに後者は、本書のサンスクリット原典に引かれた訳語ではなく、われわれになじみの数学用語によって解説されているので、かならずや読者を裨益するであろう。

バースカラによる著作名『ビージャガニタ』は直訳的には「種子数学」を意味する。既知の数の種々の演算に関する算法ではなく、「未知数」ないし「未知量」を含む種々の算法についての書なのである。われわれの数学用語「代数学」が、数を記号で代用して推進する数学を意味し、清朝中国で一八五九年に作成された語彙なので、記号代数を想定してしまうかもしれないが、本書はそのような代数学についての本なのではない。フラーリズミーの『アルジャブルの本』自体が、無記号であるだけではなく、いわゆる「インド―アラビア数字」(算用数字)すら使用していない「代数学」書であることを知っておく必要がある。訳文を作成した林氏は、「こなれた」日本語訳を提供してはいず、「インドの言語・文化・歴史の文脈でそれを理解するための資料を日本語で提供することである」と本書の訳文について注記しているが、この訳者の意図を読者は充分に理解しているべきである。私はこの林氏の学問的立場を断固支持する。

本書のバースカラによる結語にはこう書かれている。「計算士よ、言葉が美しく(読みやすい)、初心者が理解しやすい、全数学の精髄である、正起次第の方法を具えている、などの多くの長所を持ち、どんな欠点も持たないこの簡潔な書を、理知を増すため、また〈世間での〉確固たる成功のため、繰り返し読むがよい」。この締めくくりのことばは、この翻訳書総体を形容することばでもあろう。

本書が数学史という学問に教えているのは、未知数を含む数学総体が数学的学問にとってきわめて枢要である事実なのであり、林氏は、そういった数学的伝統のなかで、研究するのがきわめて困難なインド数学について、この教訓をわれわれに教えてくれたことなのである。第一級の学問的仕事の成果がここにある。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月3日 新聞掲載(第3179号)
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著 者:林 隆夫
出版社:恒星社厚生閣
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