「産む」ことをめぐる物語 父乳・河童・ダクト|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2017年3月3日

「産む」ことをめぐる物語 父乳・河童・ダクト

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福島
今月の定番四誌はいかがでしたか。
馬場
私は今月面白かったのは女性作家です。偶然かもしれませんが、『すばる』の山崎ナオコーラ「父乳の夢」と木村紅美「夢を泳ぐ少年」の組み合わせの妙が、とくに。
福島
両方とも出産がテーマですね。前者は、夫の哲夫の坊主頭にレースのカーテンが引っかかり、マリア様みたいだなと思う場面があって、彼から父乳が出るプレリュードとなっています。
馬場
父親から乳が出るというのは、一般的にはほぼ病気とされる設定なんで、子育ての主体になりたいという哲生の願望が昂じた果てのファンタジーとして本作を読むべきでしょうね。
福島
父乳は、育児と性別とを切り離して考えるためのアイデアですね。母乳で育てないのは愛情が足りないと言わんばかりの「母乳ファシズム」の風潮に対して、母乳が体質的に出ない母親も、構造的に出ない父親も、母乳で育てたくない母親も、粉ミルクと親になる覚悟さえあれば、等しく親の資格があると物語は主張しています。
馬場
「産む」ことができない男性をとおして、「産む」を前提とする女性や母性という固定観念に攻撃をしかけている。ただ、妻の今日子が、自分の親との関係も、子の問題も、すべてドライに乗り越えて、毎度哲夫の迷妄を醒ましている先導者みたいで…この頭が勝った、理屈っぽい感じが、山崎の一種の持ち味なのかもしれないけれど、どうしても読んでいて硬くて不自然かな、と。
福島
木村作品の方は、河童=水子という民俗学的な伝承を利用して、もしかしたら存在していたかもしれない「わたしの子供」を河童のモチーフで表現しています。独身女性二人の生活の傍らに河童が入りこんでいく。日常から河童のいる世界にスッと入っていく語りはうまいと思いました。
馬場
一見山崎はリアリズム風で、木村は伝説の河童が出てしまうので思いっきりファンタジーなんですが、どちらもタイトルが「夢」なんですよね。木村の場合、「夢」を見るのは、高齢出産を認める社会になりつつも、それがそもそも可能性として難しい不妊の女、さらには人生に男を必要としてこなかった男性経験のない女です。子供を産むことへの潜在的な欲求を見果てぬ「夢」として具現化しているのが河童なんじゃないでしょうか。彼女たちの無意識の「夢」を泳ぐ河童みたいな。
福島
作品の設定はかなり強引なのに、不思議とそれが魅力となっている。ただ、あえて問題提起すれば、出産していない女性たちが、河童の「夢」に取りつかれる、言わば欠如を抱えた存在として描かれています。むしろ、村田沙耶香の作品では、出産しなくても「これでいいのだ」と感傷を吹っ切る方向に舵を切っていますが…。
馬場
村田作品が飛び越えてしまった問題が、ここにはあるのかな、とは思います。あるいは、あそこまで吹っ切ってくれてはじめて、途上が描くべき問題として視野に入ってきたのかも。すくなくとも、木村の描いた二人の女性を、共通の欲求を持った者同士として結びつけたのは意外となかったのではないかな。
福島
木村の河童たちが、人知れぬ地下に懐胎された「夢」だとしたら、逆に地上よりも「ちょっと高所」に楽天的な夢を描いているのが、男性作家の滝口悠生「高架線」(群像)です。これは東長崎のぼろアパートに関わる人々の物語ですが、その出産の扱いのシンプルさには呆気にとられます。離婚歴のある女性登場人物二人が、たいした脈絡もなく、結末で同時に妊娠する。その唐突さは機械じかけの神、まるでハッピーエンド製造器です。
馬場
そうか、結婚より妊娠がその役割を果たすわけですね。一応、語り手の一人として登場していながら唯一妊娠してない勤続十年という喫茶店勤めのアラサーの女性はいて、彼女に「でも、結婚して子どもを産むのが女性の幸せ、なんてね、今はそれだけじゃないし、もちろんそうしてみたい気持ちはありますけど、それだけではないのだし」と言わせてはいるものの、いまやこれではステレオタイプです。
福島
社会の周縁の人々に温かい眼差しを向けている風でいて、同性愛者の田村や独身者の松林の扱いもぞんざいです。「高架線」という題名の通り、雲上の高みでもなく、地上の凡庸さでもなく、適度にきれいな上澄みだけを見ていたい、もちろん地下の暗部は見たくないという姿勢が透けて見えます。また、作中では延々と映画「蒲田行進曲」の詳細なあらすじが披露され、この物語の人物相関図の呼び水となっています。その中心に大家の万田レイ子がいるのですが、彼女は「蒲田~」の小夏というよりも、むしろ中上健次「枯木灘」のフサに近い。ただ「枯木灘」では異父母兄弟が出会うと殺しあいが生じるのだけれど、この作品ではそんなドラマは起きません。まるで「歴史の終わり」以後の世界なのですが、その「ちょっと高所」の楽天性に安易に乗っていいものか…。
馬場
河童と関係をもって生まれた赤子の河童を、泣く泣く放置して殺し、公園の地中に埋めるしかなかった女たちの悲哀とは対極…。
福島
滝口の連作短編「今日の記念」(新潮)にも「ちょっと高所」志向は貫かれています。離婚歴のある男が、更新し忘れて失効していた免許を取り戻しに行くという話ですが、男は前作ですれ違った女と免許センターで偶然再会する。単純ですが、離婚=免許失効から、新たな出会い=免許再取得というメタファーになっています。
馬場
ああ、女=乗り物なんですね。車じゃなくて原付ですが(笑)。
福島
男はおどおどしたふりをしながら、女が自分の欲望を察知してリードしてくれるのを待っている。これは隠れマッチョの行動です。それに応える女は隠れ大和撫子。不安な世情の中、自信を失った男(国)が救いを求めるのは旧幣な価値観です。結末で二人が富士塚に登り町を見渡すのは、縮小コピーを通じた日本回帰の儀式のようです。
馬場
隠れトランプ? 滝口の物語で癒されてしまう男女が少なくないのもそれが理由でしょうか。
福島
むしろ、正統派(笑)の石原慎太郎の方がマッチョの挫折を書いています。
馬場
「ある結婚」(文學界)ですね。パイロットを目指してアメリカまで行ったものの、交通事故で不随になった男の話です。前半はマッチョなんですが、事故後は女が一方的に結婚を進め、男が子供が欲しいと言ったら、「大切な子供はあなた一人」とたしなめられるという展開なんですよね。
福島
ええ、天空から墜落した男は、地下に消える間際、地上で妻にキャッチしてもらう。その後、子供を産ませるという夢に浮き立つと、妻に理を説かれ、地上に連れ戻されます。

荻野アンナ「ダクト」(文學界)でも出産のテーマは見え隠れしています。女性小説家と思しき主人公には「産みたさにのたうち回った」過去があり、画家でボケかかった母親の介護をしているけれども、同時に本人も抗がん剤治療中。真夏でも母が作品を完成できるように老老介護の芸術家母娘はアトリエに冷房の導入を試みますが、目障りなダクトをめぐって意見が対立。その顛末を「僕」という現代美術家を介在させて語る、多分私小説です。母娘ともに死神を背負っているだけに壮絶な話なのですが、その疾走感ある文章には気が滅入る暇はありません。


馬場
私はなかなか息苦しかったですけど(笑)。最近も綿矢りさや舞城王太郎が母娘ものの作品を書いていましたが、荻野の「母子密着」にはリアリティがある。本作では、母の死後、折り合いのつかない思いをまるごと内面化する様子を描いていて、へその緒のようなダクトによって、胎内回帰するという…しかも、彼女自身がダクトを体に巻いて展示された作品名が「プロダクト」というダジャレ!
福島
つまり、私は母がダクトによって作ったプロダクト(生産品)であり、また自分自身も別の生産品へのダクトとなったかもしれない…。母性、女性性、芸術家魂、その生老病死とが複雑に絡み合った、印象深い母娘の愛憎劇でした。
2017年3月3日 新聞掲載(第3179号)
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