三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯 / 松本 徹(水声社)三島を軸に昭和を浮き彫りに 著者の文学の原点にして一つの集大成|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯 / 松本 徹(水声社)三島を軸に昭和を浮き彫りに 著者の文学の原点にして一つの集大成・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年3月3日

三島を軸に昭和を浮き彫りに
著者の文学の原点にして一つの集大成

三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯
出版社:水声社
このエントリーをはてなブックマークに追加
没後半世紀近くを経た今も、多くの人々の関心を集め、時代を超えた問題を投げかけ続ける三島由紀夫という作家について、著者は最初にこう書いている。「三島にとって文学・芸術とは何であったか?」。それはさらに「国家」「歴史」「性」「日本」「世界」と広がる。本書はそうした問いに向き合うために、三島と交流のあった作家、評論家、俳優、写真家など十一人の芸術家を選び、その関わりの中から三島の生と文学を読み解くことによって、彼らの生きた昭和という時代を浮き彫りにしたものである。同時代を証言できる一人として、著者ほどふさわしい書き手はいない。

「無二の師友」と題された川端康成の章から、本書は始まる。三島が「心の師」として敬慕した川端は、三島の自決を「自分の手抜かりと厳しく責めた」という。著者は二人の関係に齟齬が生じ訣別する経緯を、三島の「楯の会」結成や川端のノーベル賞受賞を背景に論じ、「川端の自死に、三島が深く関与したのではないか」と指摘する。最終章には、三島に批判的だった江藤淳の「私的な死」と、三島の「公的な死」との対蹠性を主題にした「二つの自死」を置き、全十一章は構成されている。これはそのまま三島の評伝としても、戦後文学史としても読むことができる。蓮田善明「死ぬことが文化」、武田泰淳「自我の『虚数』の行方」、大岡昇平「回帰と飛翔と」、澁澤龍彥「ニヒリズムの彼方へ」、林房雄「心情の絶対性」、橋川文三「同時代の怖ろしさ」など、各章の表題も象徴的だ。三島との文学的・思想的交錯はスリリングで、さながら連作短編小説を読むような面白さである。交流といっても、親しいばかりではない。芸術家、表現者ゆえの共感もあれば、対立もある。著者は作品はもとより、評論、書簡、対談などを丹念に辿り、その関係性を手際よく綿密に検証している。三島論でありながら、それぞれの相手の芸術論、作家論になっていることにも注目したい。

また著者の演劇の素養は、歌舞伎俳優の六世中村歌右衛門や劇作家の福田恆存の章に及ぶ。さらには三島がモデルとなった『薔薇刑』の写真家である細江英公と続き、十一人の人選は周到である。著者は当時の政治・社会の動きも視野に入れ、三島を軸に「昭和という時代の表現活動を、文学の域を越えて、多角的立体的に」に論じている。著者にはジャーナリスティックな鋭い感覚があり、それが本書の狙いをより鮮明なものにしている。「昭和という激動の時代は、三島という芸術家の存在によって、恐ろしく豊か」になったという「あとがき」の一文に、著者の思いが尽くされている。

著者は古典にも造詣が深く、現在は自ら編集委員を務める文芸誌「季刊文科」に、「物語のトポス 西行随歩」を連載中である。また、光厳天皇や菅原道真に関する著作もあり、それらも本書と同じように人間と時代を追究する姿勢が貫かれている。

この全十一章を通して伝わってくるのは、三島にも通じる、芸術と文化に向き合う著者自身の生き方である。それは「無二の師友」の章の結びにある、「わが国の文学に賭ける思いの真摯さ」という言葉に重なる。本書は著者の文学の原点にして、一つの集大成ともいえるだろう。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月3日 新聞掲載(第3179号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本
三島由紀夫の時代  芸術家11人との交錯/水声社
三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯
著 者:松本 徹
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
学問・人文 > 評論・文学研究 > 作家研究と同じカテゴリの 記事