第68回読売文学賞贈賞式 選考委員講評と受賞者挨拶|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年3月7日

第68回読売文学賞贈賞式
選考委員講評と受賞者挨拶

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2017年2月17日、東京都内で第68回読売文学賞の贈賞式が催された。選考委員講評と受賞者挨拶(ほぼ)全文をご紹介する。

【選考委員講評・辻原登】

小説賞のリービ英雄さんの『模範郷』は失われた家族の物語です。そして家族再会の物語です。52年前にバラバラになり、いまは死者となった父と母と弟と「ぼく」は、時間そのものが細道としてかたちを為し、建造物として現れているモデルヴィレッジ、模範郷で再開することが出来るのでしょうか。ラストには深い喪失の感情が「ぼく」を待ち構えているのですが、われわれはその感情を共にしながら深々と息をつきたくなるようなカタルシスを覚えます。それは慎ましやかでかつ巧みなストーリー展開と文体の力の相互によってもたらされるのです。この物語を下支えするパール・バックのエピソードは秀逸です。小説の創造とは人種や生い立ちではなく文体の問題なのだと「ぼく」とともにリービさんは言い切ります。『模範郷』はわれわれがかつて持つことのなかった創造的批評に満ちた私小説、紛れもない日本近代小説なのです。

戯曲・シナリオ賞はケラリーノ・サンドロヴィッチさんの「キネマと恋人」です。どこにあるのか、とにかく日本のどこかにある聞いたこともない方言を話す小さな島の物語です。一件だけ映画館があって、東京より半年遅れで映画をやっています。この時間と空間の距離が不思議なリアリティを持って迫ります。夫のDVに耐えているヒロイン・ハルコですが、信じられないほどの映画狂でかつ見巧者。彼女の透徹した眼差しがフィルムの中の人物を揺り動かして、ついにフィルムの中から現実へ、いや生の舞台へとおびき出されスラプスティックがはじまるのですが、それが秀逸。ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」にインスパイアされ、ある意味でオマージュと思われますが、アレン作品よりこちらのほうが工夫と人情とウィットに富んでいてうんと面白いのです。オマージュがその対象を越えた稀な作品と言えるでしょう。私は舞台も見ました。「こん舞台、傑作だり…」。ケラさん「最高!最高がっさ!」(笑)。

随筆・紀行賞は今福龍太さんの『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』です。ソローが考案し称揚する「野生の学舎」。今福さんの仕事はこの学舎の門を叩き、ソローが残したすべての文章を森や湖や川とみなして注意深く読み解き、その読みの成果を私達に伝えることでした。野生(wild)という言葉の背後にある"to will"(意志を持つ)の過去分詞形"willed"、つまり野生の背後には意思が存在する。この野生の意思をめぐって、大地とスカーレットオークの一枚の葉、ムース(ヘラジカ)とインディアンの関係についてなどの考察には、ソローが憑依しているかのような、あるいはソローの森をもう一人のソローが行くといった趣きがあります。今福さんみずから施した訳語もまた魅力たっぷりです。まるでソローの生徒たちが朝味わった、ソロー手作りのスイカの一切れのようです。

評論・伝記賞は梯久美子さんの『狂うひと 『死の棘』の妻・島尾ミホ』です。死をもって完結するはずだった島尾敏雄とミホの恋は、敗戦を迎えて生の方向へと舵を切ります。ミホが狂うきっかけとなった17文字を巡っての迫真の叙述はこの本のエッセンスです。しかも17文字は最後まで明らかにならない。そういう謎、神秘を中心において梯さんの筆はミホの生涯を巡って螺旋状に進み、やがてミホの没後に発見された「『死の棘』の妻の場合」と題されたミホの草稿に行き当たります。島尾敏雄の日記にも、『死の棘』にも描かれていないミホから見た世界。ミホは彼女自身の『死の棘』を書こうとしていたのでした。彼女が書こうとして果たせなかった世界を描いた梯さんのこの本は、フェミニズム文学の傑作です。伝記・評伝こそ文学の本道という思いを強く新たにもしました。それにしても娘マヤの生涯はあまりにも哀切すぎます。梯さんのこの本がマヤへの鎮魂のようにも思えてきます。

詩歌俳句賞はジェフリー・アングルスさんの『わたしの日付変更線』です。これは「日付変更線」からはじまる34篇よりなる詩集です。集中で詩人自身、自分の意識の中で交差し縦横に動く複数の境界線を検討する実験と述べていますが、まさに境界についてのパンセとポエジーが旅するポエトリーとなって実現しています。「私とあなた」「こちらとあちら」「過去と未来」「闇と光」「愛と憎しみ」「日本語と英語」「仮名と漢字」、厳然としてあり、しかし捉えようとすれば逃れさる霧に覆われた境界。アングルスさんはそれを双方からラインで、「あなたと私」から「闇と光」から「日本語と英語」の双方から同時に接近するという困難な道を選んで成功したのです。境界を霧の像から燭光のように私を捨てた母の像が立ち現れます。そしてわれわれは詩集の扉をめくり返してそこにある「44歳で初めて会った母に」という献辞を再発見するのです。

研究・翻訳賞は塩川徹也さんの『パンセ』全3冊です。『パンセ』が初めて世に出たポール・ロワイヤル版から300年あまり、その間『パンセ』の真のテキストを求めてフランス本国では主要なものでも十指に余る版が出ています。塩川さんの今回の『パンセ』は、死後間もなく作られた遺稿ファイルの写本に直接依拠した画期的で独自の新しい『パンセ』なのです。パスカルの『パンセ』、つまりキリスト教護教論執筆のきっかけは、姪マルグリット・ペリエの聖荊の奇蹟にあったわけですが、塩川さんはこの奇蹟についての論考で国際的な名著となった『パスカル 奇蹟と表徴』の著者でもあります。護教論のはずがパスカルの夭折によってきらめく思考の断章と断想、フラグマンとパンセが残った。塩川さんはこれまでの翻訳とは違ってパスカルが遺した草稿のままに、それにきわめて精細で分かりやすい訳注を施された。すると護教論に捕らわれない、神を信じられなくても人間を信じることの思考が浮かび上がって来たのです。まさにベンヤミンの言う純粋言語を求める尊い翻訳者の使命が具体的に感じられます。

【リービ英雄】

25年前に初めて新人賞をいただいてデビューした時の、その時の言葉を久々に思い出しました。その言葉は、日本語で小説を書くということと日本語で挨拶をするということは、全然違った言語能力が必要だということで、私もスピーチに慣れているつもりですが、今日の賞の歴史の深さと大きさにちょっと圧倒されて、たぶん笑い話も出ないと思います(笑)。

ひとつ申し上げたいことがありまして、3年前に坂上弘先生、青木保先生をはじめ、第一人者たちに推薦状を書いていただいて、日本の永住権をもらいました。永住権をいただくということは、死ぬまで自由に日本に住んでもいいということになります。帰化と違って選挙権がないから、まあ蓮舫みたいになることは出来ません(笑)。そのかわりまったく自由に、私の場合は新宿の路地裏にある古い木造に居てもいい。その永住権をいただいてから初めて書いた作品が『模範郷』です。たぶん、ある自由と落ち着きを与えられて、いま居る日本の古い家とさらに古い50年前の台湾にあった家の間に意識が、現在・過去・記憶というかたちで行き来して、それだけではなくその50年の時間のずれについて、多少リスクのある書き方もたぶんそれで許されたかと思います。

私が住んでいる古い木造家屋に読売新聞の鵜飼さんから古いファクスに手書きの受賞の報せが来ました。その時に私は、あ、これでもう一回永住権をいただいた。国家からいただいた永住権ではなく、より難しい、より嬉しい文学からの永住権、これをもって私がアメリカに行っても中国に行っても「日本文学の永住者」と言えるようになりました。そのことを何よりも申し上げたいと思いました。permanentですから死ぬまで日本語で書き続けていいということですので、もうちょっと長い作品を書いてもいいかなという気持ちもありまして、その反省と希望と喜びをもって、今日この賞をいただけたことは本当に嬉しいことです。どうもありがとうございました。

【ケラリーノ・サンドロヴィッチ】

私は普段ずっとひたすら演劇をやっている人間でして、昨年もですけれども読売新聞さんからは演劇賞のほうもいただいておりまして、最優秀演出家賞というものを頂戴いたしました。ですが文学賞というのは本当に寝耳に水でして、この間幕を開けた作品の稽古中にこの受賞の報が飛び込みまして、稽古の休憩中に「ケラさん、ひとつお知らせが。読売新聞の…」と言われて、「ああ、それもう知ってるから」と言ったら、「いや、そうじゃないんです。文学賞なんです。」と言われたんです。僕の頭の中では読売文学賞というものは僕とまったく関わりのないところに位置していたもので、そう言えば宮藤官九郎とか岩松了さんといった知り合いが、かつてそういう賞を受賞していたという記憶は何となくあったんですけど、本当にびっくりしたんです。というのも、この「キネマと恋人」という作品は活字化されていません。現場で台本を配って、あとおそらく観に来てくださった評論家の方や関係者の方に、訳者やスタッフに配った製本台本をそのままお渡ししているのだと思います。今回の選考委員の方にもおそらくその状態でお読みいただいたと思います。つまり現場で渡される台本というのは本当に酷いものでして、僕は稽古しながら台本を書くんですね。なので間に合わなくなると、とりあえず稽古場で伝えればいいじゃないですか、そういう細かいことは。なのでト書きは雑になるし、大体で書いて、現場でここはこう書いてあるけどこういうふうにしてというような訂正をすればいいやという、まさに台本は叩き台となる本なんですね。ですのであんまり人に読まれることを前提として書いてないんですよ。なのでそれを評価していただいたということは、とても嬉しいし光栄なんですけれども、そんなこともあるんだという驚きのほうが最初に知らせを聞いた時に大きかったというのが正直なところです。

なので、この台本を稽古しながら書いているということは、訳者に書かされ、スタッフに書かされたということです。稽古を見ながら、この人はこういうふうに台詞を言うならば、こういう展開にした方がいいかなという、ある意味行き当たりばったりで書いている台本なので、おそらく今回の受賞者の方々は皆さんいろんな方に取材されたりとか、いろんな方々と一緒に共同作業で本が仕上がっているのだとは思うのですけれども、演劇は多い時は百人を超える人間、今回も数十人の方々と一緒に企画の立ち上がりから始まって、いろんな人に揺り動かされながらようやく書けた台本です。ですので本当に僕一人の力ではまったくないので、来れない人が多くて今日は何人かの役者さんとスタッフさんに来ていただいていますけれども、すべてのスタッフ、キャスト、関係者の方々にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。演劇賞だといつも一緒に受賞する人もたいてい知り合いで、やあやあなんて、こっちも綺麗な女優さんとかがいっぱいお客さんにいて、これはこれで文学賞もいいなと(笑)。言わなきゃよかったですね(笑)。どうもありがとうございました。

【今福龍太】

私の本が刊行された昨年の7月12日の日ですが、この日はヘンリー・ソローの199回目の誕生日にあたるのですけれども、私は四国の山の中にいたんですね。ちょうど四国四県の県境に近い、ずっと谷を昇っていった果てにある山深い里なんですけど、ここの大きな古い茅葺屋根の民家を借りまして、そこでこの本の刊行記念のトークイベントというのかな、それをやろうということでそこに行ってたんです。呼びかけてくれたのが、私の知り合いの高松在住の写真家で、彼は四国の山の中やあるいは瀬戸内の島々の写真を撮りながら、一方で高松の街で「ソロー」というブックカフェをやっているんですね。そういうソローを読んできたような人が呼びかけてくれて、その山深い民家に、驚くべきことに40人、50人近い人が四国の様々な場所から、なかには瀬戸内の島から来てくれました。そして夕方から初めて夜中まで延々と車座になって、この本についていろいろと語り合って一夜を明かすようなことをしたのですが、その熱気は本当にものすごいもので、僕自身はこの本を、19世紀のほとんど定職にもつかず、放浪しながらたった一人で200万語という誰にも読まれない日記を付け続けたというだけの一人の思想家についての本なんて誰が読んでくれるのか、読者はどこにいるのかとずっと考えながら書いていたこともあったのですけれども、その四国の山の中の経験を通じて、ここに本当に読者がいたんだと実感したんですね。不思議なことに彼らの多くは若者たちですけれども、十年ぐらい東京とか大阪とかそういう大都会で仕事をしているんですね。その上でこんなことを自分は一生続けていていいんだろうかと本気で思って、そして仕事をやめて、瀬戸内の島々であるとかあるいは四国の山の中に相当な決意を持って入っていっている。だからほとんどの人は山に入ったり島に入ったりする前に、自分が次に生きていくやり方をどうするかということで、例えばある人は養蜂ですね、蜂蜜作りの勉強を数年東京近郊でやって、それからどこか自分にふさわしい場所を見つけて、それで山に入っていく。あるいは農業をしている人もいるし、養鶏で素晴らしい卵を作っている人もいますし、招かれていった茅葺の民家の持ち主はジビエ料理を極めようということで、山の中で郵便局員をしながらこれから新しい生き方を作ろうとしている。そういう若者たちがたくさんいたんですね。非常に驚きました。そして同時にそういう人たちが、ただたんに田舎に癒やされるということでもなく、自分の生き方を根本的なところで考え直して、そしてゼロから手応えのある生き方を作っていこうとしてそういうところに集結しているということが分かったわけですね。そういう読者がいて、これこそがソローの読者だと思ったんですけれども。

その夜、ソローお気に入りの楽器がありまして、これはエオリアンハープというのですけれども、ただの細長い箱で穴が開いているだけで、そこに弦が張ってあるんですけど、それは弾いて音を出す楽器じゃなくて、風が楽器にあたって、それで弦が自然に震える音を聴くという楽器なんです。これはソローが一番好きな楽器でソロー自身も自作しているんですけど、これをちょっと遊びでそこで作ったんですね。それを鳴らそうと思ったのですが、素晴らしい斜面にある民家なんですが、その日はたまたま谷から吹き上げる風が全然なくて、まったく鳴らなかったんです。そうしたらある若者がふと楽器を頭の上にかかげて全速力で庭を走り出したんですね。そうしたらそれがおそらく小さな音でビーンとなっているんだろうと思うのですが、それは持って走っている人にしか聴こえないんですね。ところが聴こえた瞬間、彼の表情が緩んで本当に素晴らしい笑顔になるんです。それを見るとみんな自分もやりたくなって、また別の人が持って全速力で走るんですね。そうするとその人だけに音が聴こえてくる。次から次へとそういうことがあって、僕はその光景を見て素晴らしいなと思ったんですね。全員が同じ音を聴いて感動している。一人ひとりが自分にしか聞こえない音を聞いて、そして素晴らしく感動してみんなは彼が感動しているんだということを了解している。一人ひとりが自分の秘密の音を自分一人で聞いている。そのことを全員が分け合っている状況。これはただ一人の発信者がいて、全員がそこから流れる音を一緒に聴いているのというのとは違う、ある意味があるような気がしたんですね。これはとてもソロー的なことではないか。ソローの孤独というのもそういう豊かな孤独であり、同時に誰もが共有できる孤独であったと思うんですね。それで山の中にソローの読者がいて、私の本の読者がいたと思っていたら、なんと都会にもちゃんと私の本を読んで評価していただける方がいらっしゃいました。それが今回の受賞を意味しているのだろうと思います。本当にこの本を支持してくださったすべての方に感謝したいと思います。ありがとうございました。

【梯久美子】

『死の棘』という小説、島尾敏雄さんの小説がいまから39年前にこの同じ読売文学賞の小説賞を受賞されています。その受賞の報せがあった日、島尾さんが日記にどんなことを書いているかといいますと、その時は島尾さんはご夫婦で、ミホさんとお二人で沖縄の那覇にいらっしゃったんですね。冬の寒いのが嫌だということで、当時湘南の方に住んでいらっしゃったんですけれども、いまのこの時期は沖縄の那覇で小さい借家を借りて過ごしていらっしゃったみたいです。午後4時半ぐらいに外から帰ってきたら、読売新聞の支局長がタクシーに乗って家の前で待っていて、いま選考会をやっていて、どうもあなたの小説が受賞するかもしれない状況になっている。もし受賞するとなったら受けますかと聞かれたと書いているんです。それで、じゃあもしそうなったら受けますとおっしゃったら、じゃあ六時半になったらうちの社に電話してくださいと言われたそうなんです。島尾さんのところは当時、島尾さんは電話がお嫌いで、電話がないか、あるいはあってもないことにしていたそうで、そのあとミホさんと二人で銭湯に行って、帰りに公衆電話の赤電話から読売新聞社の支局に電話をしたら、受賞なさいましたということを言われたそうです。またタクシーで来て教えてくれればいいのになと思うのですけれども(笑)、電話をしてくださいと言われて赤電話から電話をしたということが克明に書いてございました。それで「その日の夜、夕食の時にミホ「おめでとう」と言ってくれる。二人で密やかに祝う」と書いてありました。それが39年前です。

私が受賞の御連絡を受けた時に、何をしたかといいますと、自分の受賞した本を、刊行されてから三ヶ月ほど経っておりましたが、刊行後初めて最初から読んでみることにしました。この本は分厚いですし、まだ一度も活字になっていない資料をたくさん載せていますので、校正が大変でして、長い間自分の書いた文章を何回も何十回も何百回も読み直したものですから、刊行されたあとはちょっと読む気がしなくて読んでいなかったのですけれども、『死の棘』と同じ賞をいただけるということで頭から読んでみました。この本は一番最初の行に「そのとき私は、けものになりました」というミホさんの言葉から始めています。これは『死の棘』の事件の原因になった、浮気の事実が書かれた夫、島尾敏雄の日記をミホさんが読んだ時の話なんですね。けもののように咆哮して、畳の上をよつんばいになって駆け歩きましたとおっしゃったのですが、そのことが書いてあります。その時私は4回目の取材で奄美の御宅でお話を聞いていたのですけれども、背中がゾクゾクっとしまして、いまこの言葉、この場面を絶対に書こうと思ったんですね。でも結局それが最後の取材になりまして、そのあとミホさんから編集部にご連絡があって、やはり取材はここで打ち切ってほしい、私のことは書かないで欲しいと言われてしまいました。その一年後にミホさんは亡くなってしまいますので、ですからそれがミホさんとお会いした最後の日でした。それがいいまから11年前の今日、2006年の2月17日だったんです。ですから奇しくもこの日が授賞式になりまして、何か不思議なものも感じています。

私はミホさんにもう取材をするなと言われたことを、ミホさんが亡くなったあとになって勝手に書いてしまったわけで、たぶんミホさんはいまも許してくださってないでしょうし、いつか私も死んでミホさんとお会い出来ることがあったら叱られるのではないかと思っていますけれども、でも確実に言えることは、10年間しつこく私がどうしてもこれを書きたいと思って書き続けてきたのは、ミホさんのエネルギー、彼女の持つ力のなせるわざで、ずっとその力に引きずられて今日ここに立っているなという気がしております。先ほどからみなさんのお話を、耳ではきちんと聞いていたのですけれども、目は端からお一人お一人の顔を順番にチェックしていくというのがやめられませんでずっと会場を見ていたのですけれども、それはもしかしたらミホさんのお顔があるのではないかとどうしても思ってしまうんですね。だからずっとミホさんはいまでも私のことを厳しい目で見てくださっているのではないかなと思います。もし今日この会場の中で80歳過ぎぐらいの黒いレースの喪服を着た不思議に美しいおばあさんを見かけた方がいらっしゃいましたら、あとで私にこっそり教えていただきたいと思っています。本日はありがとうございました。

【ジェフリー・アングルス】

皆さんの前で真っ白になったら大変だからちょっとメモにしてきました。選考委員会の皆さまには本当に心から感謝させていただきたいと思います。自分は日本文学の研究と翻訳を20年近くやっておりますけれども、挑戦して日本語の創作を書き出したのはたった7年前だったんです。まさか自分の第一詩集で、眩しい読売文学賞が受賞できるとは夢にも思いませんでした。いままるで夢を見ているような気がします。突然自分のベッドで起きても全然不思議ではないですね。現在私はアメリカをベースにしておりますが、日本に行ったり来たりしているうちに、アメリカだけではなくて自分の住んでいるところはもっと広い世界ではないかという意識が生まれてきました。ですからトランプみたいな国々の間に壁を作りたいという人が大統領になったいま、将来に大変不安を感じております。

きっと偶然でしょうけれども連絡が舞い込んだのは、ちょうどトランプの就任式の朝でした。私はその時ベッドに寝ておりまして、トランプの世界に起きたくありませんでした。本当のことを申しますと、朝早く電話が鳴った時に出ませんでした(笑)。あとで残していただいた伝言を聞いたら賞のことが分かって明るい世界がよみがえってきたのではないかという気がしました(笑)。ようするにこの賞は私に生きがいを戻してくださいました。大げさに聞こえるかもしれないけれども決してそうではありません。国境と言語の壁を越えると立派なものが生まれてきます。文学には人間が建てる壁を越える特別な力があるのではないかと思うようになりました。そして文学によって世界が広がります。壁の時代になってもそのことを忘れてはいけません。今晩選考委員会の皆さまのお陰でその確信をあらためて覚悟しました。個人的に感謝したい人はとても多いのですけれども、時間が限られていまして、1分にしてくださいと言われていますので(笑)、このあとの懇親会でゆっくり一人ひとりに感謝したいと思っております。どうも皆さんありがとうございました。

【塩川徹也】

ただいまジェフリーさんが受賞者の挨拶は1分にというようにあらかじめ言われていたということをおっしゃいました。私自身も大変ばか正直で融通が利かない学者なものですから、これは大変だということで1分で喋るためには原稿を用意しなきゃいけないなと思って、まあそれでも1分半か2分はかかる原稿を用意したんですけれども、仕方がありません、それを思い出しながらお話したいと思います。

いずれにせよ読売文学賞という文学の名を冠する賞をいただくことは私にとって大変嬉しく光栄です。パスカルの『パンセ』はもちろん言うまでもなく世界の古典で「人間は考える葦である」という言葉はいまの日本でも広く知られています。しかしそれははたして文学なんでしょうか。今回の岩波文庫から刊行された私の『パンセ』の翻訳は、いわゆる青帯、つまり哲学・歴史・宗教に分類されていて、赤帯の外国文学、フランス文学で言えばボードレールとかプルーストはもとより、モンテーニュやラ・ロシュフコーのようにモラリストとも一線を画しています。つまりパスカルはどちらかと言うと哲学宗教に分類されているわけです。しかし彼はフランスでも日本でも実は哲学と文学の両方の分野で大変重要な位置を占めてきました。そして私自身長い間フランス文学畑で教育と研究の生活を送ってきました。その中で実はパスカルは、文学なんだろうかそれとも哲学宗教なんだろうかと迷うことはしばしばありました。しかしいまにして思いますと、それはどうも問いの立て方が窮屈すぎたような気がします。どうやら文学というのは、文字で書き記された人間の精神活動のすべて、そしてそれが人間の普遍的なあり方を表現する限りにおいては、哲学も歴史も、それどころか社会科学や自然科学もそのまま文学になりうる可能性を秘めています。そう考えてみますと、狭い専門の境界の壁、いまジェフリーさんも壁のことをおっしゃいましたけれども、その壁を突き破り人の心を解き放ち、他者との人格的交流というものに導くのが文学の意義ではないかと、このように考えるようになってきました。今回の受賞によってパスカルの『パンセ』が、日本語文学の中に受け入れられたこと、それが私にとっては何よりも喜びです。本当にありがとうございました。

第3178号 2017年2月24日 新聞掲載の<第68回読売文学賞贈賞式>はこちらからご覧いただけます。
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