悠遠の人 高山右近 / 塩見 弘子(ドン・ボスコ)高山右近――すべてを捨てた戦国武将|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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2017年3月10日

高山右近――すべてを捨てた戦国武将

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キリシタン大名・高山右近。名前は耳にしたことがあっても、その人生はあまり知られていない武将の一人かもしれません。

右近の六三年間の生涯を紐解くと、ほぼ半分は追放、および他の大名にお預けの身となり、自分の城もなければ、これといった財産もない。それでも武将として戦や築城にたけ、茶や能、詩歌といった日本の伝統文化にも精通する右近は、当時の為政者である信長、秀吉、家康からも一目置かれ、重用されていきます。

ところが時代が下るにつれ、皮肉にもこの三人から、右近は人生の大きな選択を迫られることになります。神をとるか、大名の地位を守るか――。そのとき右近は即座に地位、名誉、領国を返上、キリストへの道を歩み始めます。そして遂には家康によってマニラへ追放されていきます。

どうしてこのような過酷な人生に甘んじることができたのか。素朴な疑問がこの物語を書くきっかけとなっていきます。

とにかく現場を訪ねてみよう。そう決めてからはよく旅に出ました。豊能、高槻、明石、室津、箱崎、能古島、小豆島、金沢、能登、京都、伏見、長崎……。かつて右近が立った同じ場所に、自分も立ってみる。

すると不思議なことに、右近の思いがふっと伝わってくるような瞬間が何度かありました。さぞ辛かっただろうと想像していた追放先の右近の顔が意外にも輝いていたり、ひとり茶室にこもって祈る右近の両頬には幾筋もの涙のあとが光っていたり……。他領を侵し、覇をとなえるのが英雄というのならば、右近は戦国の敗北者の一人にすぎません。ところがその敗北者右近が追放先のマニラで亡くなった瞬間から多くの人々の心を揺さぶり、高山右近列聖に向けて伝記執筆が始まります。

そして四〇○年の時を経て、今年二月七日、大阪城ホールにて高山右近がカトリックの「福者」に認められたことを宣言する列福式が、ローマ法王庁から派遣された枢機卿の司式のもと執り行われました。

当日、会場は一万人の参列者で埋め尽くされ、その模様が各メディアで大きく取り上げられたことは記憶に新しいところです。

なぜ、今、再び右近なのでしょう。四〇○年前を生きた右近も私たちと同じように日常を生きたひとりの人間だったはずです。ただその日常の中にもうひとつ、「永遠」という視座を持っていた――。私自身も右近が見つめていたその風景に少しでも近づきたい、そう思いながら書き進めていたような気がします。
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2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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