終わりなき不安夢 / ルイ・アルチュセール(書肆心水)「ユルム街の師」から何が残るのか ――没後四半世紀を経たアルチュセール――|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

「ユルム街の師」から何が残るのか
――没後四半世紀を経たアルチュセール――

終わりなき不安夢
出版社:書肆心水
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『マルクスのために』と『資本論を読む』の刊行後半世紀にして、ルイ・アルチュセールの没後二十五年に当たる二〇一五年、ユルム街の高等師範学校の「マルクス読解セミナー」参加者らは、E・P・トムスン『理論の貧困』の仏語訳を世に問うた。フランス哲学者の「理論主義」とその「誤てる太陽系儀」の海峡をまたいでの侵入に苛立った英国の歴史家によって一九七八年に刊行された同書の遅まきの訳出は、それなりの反響をもって迎えられた。社会学者ルイ・パントは長文の書評のなかで、ほぼ四〇年前のこの著作を通してアルチュセールの仕事に立ち返ることには、「理論主義の病」に対する「衛生上の、あるいは治療上の」理由からして意義があるだろうと書いた。かつてのユルム街の哲学教師の仕事が、一九八〇年の悲劇的出来事に引き続く煉獄の時期を経て、その影響力を多少なりとも取り戻しつつあることの裏返しの証明ともいえよう。

フランスではこの二〇一五年、生前未刊行のアルチュセールの書物二点が出版され、いずれも翌二〇一六年には日本語で読めるようになった。彼の作品は今日、「例外的な死後開花期を迎えている」――そのうちの一冊、『終わりなき不安夢 夢話1941―1967』の編者まえがきはこのように述べているが、じっさいこれら二冊はいずれも、哲学者の著作の復権の動きの進展と定着によって刊行可能になったものだといいうる。

『終わりなき不安夢』に収められた夢の記録すべてを、妻殺害へと必然的に方向付けられたものとして読むことは慎まなければならない。それらは「ありのままに読むべき」なのであり(編者まえがき)、本書は何よりアルチュセールのうちなる「夢と理論を往復しながら哲学を紡いでいく回路」を見定め、彼の哲学を「自己への関係」として理解するための機会を提供する書物なのだ(訳者附論)。しかしそれでも本書は、「夢はつねに生に先んじる〔…〕、生は夢が先に見つけ、決着を付けていたことを立証する」との断定の読まれる恋人クレール宛ての手紙(一九五八年二月)を「プレリュード」とし、妹を「救済のために」殺すこと、それも彼女自身の「同意のもとに」そうしなければならないことを夢のなかで確信したという記述を「前兆夢」(一九六四年八月)の表題のもとに収め、妻殺害を「二人で行われた一人の殺人」と称する手記に「エピローグ」の資格を与えている。八〇年の出来事はもはや、人びとのとめどない論評への情熱を煽り立てるだけの生々しさを失っているということなのだろう。
 もう一冊の本もまた、時間の経過が可能にした刊行物だといいうる。かつて編まれた『マキャベリの孤独』(藤原書店、原著一九九八年)は、共産党にとどまり続けた哲学者がその理論において保持した「開かれた」性格を強調する論集だった。『マルクスのために』や『資本論を読む』が再刊される一方、党内政治に密接に関わる諸著作が絶版のままだったのも、同じ要請によっているはずだ。「しかしこれらも遠からず再刊されるだろう」――『終わりなき不安夢』の編者まえがきはこのように述べることで、状況はもはや以前と同じではないのだと示唆する。じっさい、夢の記録と同年に刊行された『哲学においてマルクス主義者であること』は、まさにこれら「閉じた」諸著作とともに読まれるべき作品、七〇年代の共産党の路線選択をめぐる論争的文脈を抜きにしてはほとんど読みえない作品だ。何しろ本書は、「プロレタリア独裁」概念を擁護する党員哲学者が、自らの立場を「科学」として説明する哲学の教科書なのである。

「社会主義の恐ろしい川をプロレタリア独裁の小舟に乗って下り、ようやくそこへと辿り着き、日光浴のために船を降りる海岸。このとき、共産主義の海岸には、余白の自由な支配があるだろう」(十三章)――デリダの「余白」をめぐる議論を敷衍しながら提示されるこの展望、あらゆるマージナルな者たちの解放の光景のこのような予告を、二十一世紀において、誰がいささかの留保もなしに受け入れるのか。かつて師の求めに応じてこの不幸な概念を擁護する書物(『プロレタリア独裁とはなにか』、新評論)を著したエティエンヌ・バリバール、一九八一年にヴィトリーの出来事――前年のクリスマス・イヴ、同市の共産党市長はマリ移民の居住する寮の一角をブルドーザーで破壊した――を告発して除名されるまで「古きスターリンの機構」にとどまった彼は近年になって、「世界中に最も広まったわたしの作品!」として七六年の自著を振り返りつつ、現在の立場変更を明言している。「階級闘争や諸々の労働搾取形態が、政治の構造化においてある根本的な役割を果たしているのだと考えるのを決してやめたことはない」にせよ、「わたしは今では、支配形態の多元性を承認したのです」、「そして同時に、わたしは「最終審級」概念も放棄しなければなりませんでした」、等々(『ヴァカルム』五十一号、二〇一〇年)。このようなときにわれわれは、今とはまったく別の時代のように思える過去から届けられたこの哲学教科書を、どのように読めばよいのか。

「アルチュセールから何が残っているのか?」と冒頭で問いかける『マリアンヌ』誌の書評は、トムスンの訳書刊行が改めて「ユルム街の思想家」のスターリン主義との曖昧な関わりに焦点を当てたことに触れつつも、『哲学においてマルクス主義者であること』が著者のよき教師振りを忍ばせる啓発的な書物であることを説き、そこで開陳される理論の開かれた側面の強調によって、過去の政治的文脈から解放しようとする。こうした読み方は、のちの「偶然性唯物論」の先駆けをそこに見出す読み方と同様、他の著作ではなく本書が手に取られるべき理由を説明しない。現在における意義を見定めるためには、やはり本書はあくまでもその本来の文脈において、つまり「哲学書としてよりあえて政治的古文書として」(訳者解説)読まれるべきだろう。

まずはそもそも、『哲学においてマルクス主義者であること』にあって紛れもない教条的身振りと見えるものが、当時の党の路線との対決の意志の表現であったことを確認しておこう。七六年八月に執筆された本書は、同年二月の第二十二回党大会における「プロレタリア独裁」放棄の決定への批判的応答の一環をなすのであり、この対立は、やがて七八年四月の『ル・モンド』紙への一連の寄稿と以後の大騒動によって、党内民主主義の現状に対する率直な問題提起へとつながっていく(『共産党のなかでこれ以上続いてはならないこと』、新評論)。トムスンは七八年二月に『理論の貧困』を書き終えたのだったが、一連の騒動を眺めたのち八月に執筆したあとがきでは、アルチュセールが「英国のフランスびいきのインテリの新たな「反スターリン主義」文化の偶像」となったまさにそのときに同書を刊行するという間の悪さを認めざるをえなかった。七六年の哲学教科書は、このような時期の一ドキュメントとして読みうるわけである。

それにしても、「現存社会主義」の官僚支配にイデオロギー的正当性を付与してきたこの概念を「科学」の名において擁護することは、スターリン主義の批判とどのように調和するのか。アルチュセールはこの概念を国家の廃絶の企図と厳密に結びつけていた。マルクス主義の伝統にいたって忠実に、国家を支配階級の搾取の道具以外のものとは決してみなさないことで、彼は「ブルジョワ国家」であれ「現存社会主義」の国家であれ、国家に対するプロレタリアの力の関与を退け、国家とは別の共同性の形態の探求へと導かれたのである。なるほど今日では、このような国家理解は先鋭というよりむしろ単純なもののようにも見える。教え子であり身近な協力者であったバリバールの以後の理論的展開については、すでに触れたとおりだ。当時にあっても、例えばニコス・プーランザスはアルチュセールの影響を受けつつも、国家のうちに階級間の力関係の、したがって「人民」の力の一定の反響を見定めることで、ユーロコミュニズム左派の立場に接近していったのだった。しかし冷戦終結後の先進諸国における「社会問題」の回帰を、そして状況がさらに深刻化するなかで成立したオバマ政権やオランド政権、さらにはツィプラス政権になしえたことの乏しさを思うとき、既存の枠組みのなかでの国家権力獲得の射程が真摯に検討された当時の議論状況に、それなりのアクチュアリティが感じられてくるのも事実だ。じっさい、シリザ政権の批判者として国際的注目を集めたギリシアの哲学者パナギオティス・ソティリスは、まさにこのような観点から、アルチュセール、バリバール、プーランザスらの七〇年代の論争的文脈に立ち返っている。してみれば、結局のところ、本書が執筆された時代は、われわれのものとはまったく異なる別の時代ではないのかもしれない。(市田良彦訳)
2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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