キャッツ・アイ / マーガレット・アトウッド(開文社出版)語りの巧みさを堪能  人はいつでも加害者にも被害者にもなれる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

語りの巧みさを堪能 
人はいつでも加害者にも被害者にもなれる

キャッツ・アイ
出版社:開文社出版
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「時間は線ではなくて一つの次元なんだよ。」こう話したのは、『キャッツ・アイ』の主人公であるイレイン・リズリーの兄、スティーブンだった。この話を聞いてイレインは、「時間とは目に見える形を持った何かだと思うようになり始めた。幾重にも重なる液状の透かしみたいなものなのだと。だから……見下ろして眺めてみる、水を透かして見るように。すると、あれやこれやの出来事が浮かび上がることがある。時には、何も現れてはこない。だが、消えてなくなるものはない。」現代のカナダ文学界を牽引してきたマーガレット・アトウッド(一九三九-)の七作目の長編小説『キャッツ・アイ』の冒頭である。

今や有名な画家であるイレインは五十歳。回顧展を開催するために故郷のトロントに戻ってくる。しかしそこは、イレインが「憎んでいる」場所でもあった。トロントの街を彷徨していると、かつての時間が透かし絵のように浮き上がってくる。少女時代にイレインは三人の学校仲間の女の子たちから悪魔的ともいえるいじめにあっていた。自分は「普通ではない」と信じ込まされ、罪悪感と恥ずかしさでいっぱいになる。そう、イレインの家族は普通ではなかった。著者アトウッド自身の子供時代を彷彿させるかのように、イレイン一家は、昆虫学者で森の監視人でもある父の仕事のために、気候が許す限り森で過ごした。森での体験は、環境問題をテーマにしたアトウッドの近年の三部作品である「マッドアダムの物語」の下地ともなっている。イレインには他の子供たちのようなイギリスのプリンセス風の衣服もなければ、レディーらしい振る舞いもない。イレイン一家は無宗教でもある。よって食前の祈りはなく、イレインは日曜学校にも通ったことがなかった。WASPと呼ばれるアングロサクソン系白人新教徒の中産階級が台頭してくる戦後のカナダの都市にあって、「文化教育」という口実の下で三人の仲間からイレインが受ける陰惨ないじめは、エスカレートしていくばかりである。

イレインに対するいじめの極めつきは、決して行ってはいけないと言われていた渓谷で雪がちらつく夕暮れ時に起きる。学校からの帰り道、イレインに馬鹿にされたと思ったボス的存在のコーデリアは、イレインの帽子を渓谷の凍った小川に投げ捨て、拾ってくるまで許さないと告げる。命じられるままに帽子を取りに行ったイレインは、氷が張った川にはまってしまう。仲間の女の子たちは、恐ろしさのあまり、イレインを見捨てて帰ってしまう。しかし、凍てつく寒さの中でイレインは、光で包まれた青緑の衣をまとい、外套の内に赤くきらめくものが覗く幻影を橋の上に見る。「大丈夫よ。お家へ帰りなさい」という声に導かれて、イレインは九死に一生を得る。この事件を境にイレインは別人になる。イレインとコーデリアの立場が逆転する。イレインが描いたコーデリアの絵『半顔』にもそれが表れている。「この絵の中で、コーデリアは私を恐れている。……私たちの立場は逆転してしまった。」

幼少期に仲間の女の子たちによるいじめの体験をもつイレインは、そのトラウマを絵に表現すことでサバイバルをはかり、憎しみの呪縛から自己の解放をめざし、自己を確立してきた。そして今、彼女の心の苦しみは、作品となって観客の前に展示されている。女の半生を描いた大河ドラマのような回顧展である。しかし、アトウッドがこの長編小説に込めたものはそれだけではない。人間の中に潜むユング的なジキル博士とハイド氏の二面性がある。本作品の重要な仕掛けとなっている。人はいつでも加害者にも被害者にもなれるのだ。ヒロインは語る。「私はコーデリアに会うのが怖いのではなく、コーデリアであることが怖い」と。

『キャッツ・アイ』は、アトウッドの最大の力量である語りの巧みさが最高に表現されていて、アトウッド文学を堪能できる作品である。(松田雅子・松田寿一・柴田千秋訳)
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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この記事の中でご紹介した本
キャッツ・アイ/開文社出版
キャッツ・アイ
著 者:マーガレット・アトウッド
出版社:開文社出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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