古事記学者ノート 神話に魅せられて、列島を旅して / 三浦 佑之(青土社)改めて古代へのロマンを駆り立ててくれる書物|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 古事記学者ノート 神話に魅せられて、列島を旅して / 三浦 佑之(青土社)改めて古代へのロマンを駆り立ててくれる書物・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

改めて古代へのロマンを駆り立ててくれる書物

古事記学者ノート 神話に魅せられて、列島を旅して
出版社:青土社
このエントリーをはてなブックマークに追加
「古事記学者ノート」と銘をうたれた本書の著者は、その名のとおり、古代史の学者として著名な人物である。本書はその氏の、これまで長年にわたって綴られてきたエッセイ集である。だからといって研究の範疇から外れたものではなく、むしろそれぞれの短い文章の中に、著者の研究に対する思いが書き込まれていて、古代史が好きな人間にとって興味のある書物となっている。

わたしたち人間は言葉を頼りに生きていく。言葉こそが人生の道しるべでもあるが、そのことは古代史を勉強するものにとっても同じことだろう。先人たちがつけた人名や地名には、彼らの願いや祈り、敬う心が込められている。「言霊の国」の人間であればなおさらのことだ。 

著者は本書でも述べているが、三重県一志郡美杉村丹生俣出身の人物だ。平成の大合併によって、今日では津市美杉村となった。「一志(壱志・壱師)という古代以来の由緒ある郡名が消滅したのは、古代文学を専攻するわたしにはいささかさびしい出来事であった」と心情を語っているが、一志の名は、古事記の第五代天皇ミマツヒコカヱシネ(孝昭天皇)の子孫にして、のちに豪族「壱師の君」が居住した土地である。『続日本紀』『延喜式』にも「壱志郡」として出てくるが、その地名が消滅すれば、いずれ歴史から消えてしまうというおそれも生まれてくる。古い地名を見れば、そこが伊勢の地名になった伊勢津彦命の支配下であったところでもあるし、「丹生」という文字を見れば水銀の産地だとわかってくる。

ちなみに古代において、水銀は仙薬でもあるし、銅にまぶせば金箔の塗りがよくなり、おしろいに加えれば化粧ののりが増すといわれている。伊勢おしろいというのは有名でもあるが、水銀は今日でいえば希少物質だった。伊勢や紀伊半島の深い山々はその一大産地だったのだ。その丹生の地名が消えては、生まれ故郷の著者でなくても落胆したくなる。言葉が代わればわたしたちのものの見方も考え方も変わってくる。

たとえば本書にも書かれているが、ヤマトタケルノミコトは『古事記』では倭建命。『日本書紀』日本武尊。そこに登場する彼は性格も行動も違う。前者では父親の景行天皇にも怖れられる人物として、クマソタケルやイズモタケルらを殺していくが、後者は各地の部族を平定していく将軍として取り上げられている。この差異をどう見るかで歴史も大きく変わってくるし、そこに真実の歴史が隠されている。そして逆に歴史を隠しているのが文字だとわかってくる。なぜなら歴史は文字(史)で物事を歴然と、つまりはっきりとさせるということだからだ。書き残す文字に書いた人間の感情が入りすぎて客観性を失うと、真実は遠くになっていくことになる。

近年、世の中には「渡来人」という言葉が流布されている。渡来という言葉はただ渡ってきたという意味だが、それを古代史にあてはめるのは適切ではないのではないか。『記紀』には帰化、来帰、帰朝、来朝などという言葉はあるが「渡来」という文字はない。それをその言葉だけで一くくりにすると、わたしたちの考え方や歴史も変わってくる。来帰や帰朝と書けば元々の国に戻ってきたとなる。言葉に込められた先人たちの思いを、覆い隠していることになるのではないか。本書はエッセイなのでながく論じていないが、改めて古代へのロマンを駆り立ててくれる書物であった。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本
歴史・地理 > 日本史 > 古代史と同じカテゴリの 記事