一文字の詩歌 / 稲垣 瑞雄(豊川堂)死と故郷の詩学  説明ではなく生きた時間そのものが描写される|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

死と故郷の詩学 
説明ではなく生きた時間そのものが描写される

一文字の詩歌
出版社:豊川堂
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一文字の詩歌(稲垣 瑞雄)豊川堂
一文字の詩歌
稲垣 瑞雄
豊川堂
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略歴によると著者は2013年に81歳で亡くなっているので遺稿集だ。また、愛知県豊橋市生まれとも書かれており、あとがきによると60歳前後に胃癌を患い生死の境を彷徨ったことが分かる。短編集の多くの作品の語り手は、このような作者によく似た人物として描かれている。体験の内側から死を考え捉えなおすのに、最良の視点として選ばれたのだろう。

実際、多くの身近な死が語られているし、直接語られなくとも、思い出される人物のほとんどがすでに物故者だ。その中でも、父母と弟の3人は繰り返し登場し、短編集全体におよび、語り手や読者に死についての問いを突き付けてくる。短編によって細かい設定は異なるが、それぞれが運命を背負う。母親は不義の子を産み、父親はどこからか流れてきて住職になるが寺を追われ、弟は不義の子として生まれ肺癌のため50歳代で亡くなる。

 
一番下の弟とその上の弟は、父親さえもはっきりとは分からなかった。/母はしっかりと口を噤み、手で胸を抱きしめながら死んでいった。/そのことにはっきりと結末をつけるのはぼくの仕事である。(中略)それとも何ひとつ果せぬまま、ぼろ布のように頽れてしまうのだろうか……。(「嫁」)

 
ここには作品が問う死の形が明確に表れている。突然にすべての生の営みを停止させ、無意味なものしてしまう死、が否応ないこととして現れている。喜びも悲しみもすべて過去に押し流してしまう死。この死をどのように受け入れるかが短編集の主眼だ。

しかし、死は決して暗くない。それぞれの人物の精いっぱい生きた時間が、丁寧に描かれているため、むしろ生の後の必然の時間として感じられる。「火を熾し、ていねいに炙って竿を矯めていく祖父の仕事は、見ていても惚れ惚れするような手さばきで、浩一はすっかり魂を奪われた。(「竿」)」のように、部分を書き込むことで人物とその生が鮮やかに浮かぶ。説明ではなく生きた時間そのものが描写されるのだ。
このような描写はいたるところにあり、生きた時間が確かな輪郭として現れる。特に強く印象に残るのは、幼少年期の記憶の時間で、眩しい光に輝いているかのようだ。そのような時間に、「河口から四キロ以上も遡ったあたりで、大潮になると潮がさした。潮は岸辺の砂の表面を剥がし、ぷかぷかと砂の小判のように川面に浮かせた。(「杭」)」などの、背景の豊かな自然が描かれることで、生と死はより大きな循環に放たれていく。

姉と妹がモデルかもしれない、2人の老婆が語り手の「庇」と「櫛」に、そのような生死の循環が具現されている。「櫛」の最後を引用する。

「これからは自身の髪だけでなく、銀河の洗い流した無数の髪を、毎日洗い流していくのよ」(中略)その瞬間に、二人は小さな星になり、銀河を流れる星たちの中へ、音もなく吸い込まれていった。

神話にも似た限りなく広がる空間に、永遠に近づく生と死の循環が見えてくる。長い時間にわたって繰り返された、一瞬の明滅のような人間の生の連鎖といってもよい。読後に残るのは果てのない静謐だ。
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2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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一文字の詩歌/豊川堂
一文字の詩歌
著 者:稲垣 瑞雄
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