ルポ 思想としての朝鮮籍 / 中村 一成(岩波書店)一人ひとりの半生の細部に宿る重厚な史実に圧倒される|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. ルポ 思想としての朝鮮籍 / 中村 一成(岩波書店)一人ひとりの半生の細部に宿る重厚な史実に圧倒される・・・
読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

一人ひとりの半生の細部に宿る重厚な史実に圧倒される

ルポ 思想としての朝鮮籍
出版社:岩波書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
「いや、このタイトルいいよ。『思想としての朝鮮籍』って。まさに私の朝鮮籍は一つの抽象化された思想です」登場する6人の人物のうちの一人、金石範は著者に対してこう称賛したという。本書の全ての主題はこの言葉に集約されているように思う。

ここで我々日本人は在日コリアンの朝鮮籍についてしっかりと認識しなくてはならない。多く誤解が生じているが、朝鮮籍とは北朝鮮の国籍のことではない。先の大戦後、朝鮮人は日本の植民地支配の頚木から解放されたもののまだ朝鮮半島には確固たる主権国家がなかったため日本国籍を有していた。ところが1947年に敷かれた外国人登録令によって日本政府に外国人として区分けされてしまう。朝鮮籍とはその外国人登録の際の出身地域としての表記である。その後、1966年の日韓条約で日本と韓国が国交を結ぶと朝鮮籍から韓国籍に変える人々が増加した。パスポートなどの利便性から考慮すればある意味当然とも言える流れである。金城一紀の小説『GO』にはハワイに行くために朝鮮籍から韓国籍に変える父親が登場する。米国領ハワイへの渡航を実現するために韓国パスポートを取得する能天気なオヤジだ。しかし、主人公の「僕」は物語終盤でこう独白している。「僕はこのクソオヤジが、どうして急に韓国籍に変えたのかを分かっていた。ハワイのためじゃない。僕のためだ。僕の足にはまっている足枷を、ひとつでも外そうと思ったのだ」日本国内で朝鮮籍として生きる者は多くの自由や権利を束縛されている。それでも現在に至るまで朝鮮籍にこだわり続ける人がいる。それはなぜか。冒頭の金石範の言葉に再び辿りつくのだ。

以下は、石範が出身地である済州島の四・三事件(南朝鮮の単独選挙に反対して武装蜂起をした島民に対して米軍軍政下の韓国政府が起こした大量虐殺事件)を題材にした小説『火山島』の復刊記念シンポジウムに現れたときの描写である。

<だが教室内には、単なる「お祝い」とは異質な張りつめた空気が漂っていた。おそらくは「政治」の問題である。ソウルの東国大学で一〇月一六日に開かれる『火山島』刊行記念シンポに出席するため金が申請していた入国許可が、韓国当局から拒否されたのだ。分断国家の一方、「韓国籍」を拒否し、国家による裏付けのない「朝鮮籍」を堅持したままで、金は計一三回の故国行きを勝ち取ってきた。それは観念としての朝鮮籍で、権力と対峙してきた金の思想的闘争の軌跡だった>

『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店)で在特会のヘイトデモの実体と卑劣極まる排外主義者と闘った人々の記録を見事な筆致で著した中村一成は本作で朝鮮籍にこだわる6人の生き様を通じて日本の戦後70年の歴史のさらなる深みを炙り出した。朝鮮連盟、日本共産党、民戦、血のメーデー…。一人ひとりの半生の細部に宿る重厚な史実に圧倒される。私は渡辺恒雄が読売記者時代に単独で取材した共産党山村工作隊のメンバーが高史明であることを本書で初めて知った。6人が「最後の仕事」として1969年生まれの著者に差し出した証言はどれも濃密な記憶と壮絶な実践に裏打ちされるが、私は中でも石範の最後の3行の言葉が忘れられないでいる。

この記事の中でご紹介した本
ルポ 思想としての朝鮮籍/岩波書店
ルポ 思想としての朝鮮籍
著 者:中村 一成
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
木村 元彦 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
社会・政治 > 社会学関連記事
社会学の関連記事をもっと見る >