失われたもの / 斎藤 貴男(みすず書房)問題意識の原点がここに  若くしてこの本と出会った人たちは幸せだ|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年3月10日

問題意識の原点がここに 
若くしてこの本と出会った人たちは幸せだ

失われたもの
出版社:みすず書房
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失われたもの(斎藤 貴男)みすず書房
失われたもの
斎藤 貴男
みすず書房
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僕ら凡人には見えないものが斎藤貴男には見えるのだろうか。たとえば日常の風景を見る。新聞、テレビを見る。たいしたことはない、と僕らは思うのに、斎藤だけは「問題点」を拾いあげて、それを記事にする。あっ! 僕らには何も見えてなかったのか、と思う。「差別」や「貧困」や「見えざる圧力」を見てとっている。この人には、ジャーナリストとしての特別な嗅覚、眼力、あるいは超能力が備わっているのだろうか。昔からそのことが疑問だった。でも、新聞社や雑誌記者の時に鍛えられ、その超能力を磨いたのか、多分そうだろうと思っていた。ただ、新聞、雑誌記者として苛酷な現場で闘っていても、その人たちは皆「斎藤貴男」になれるわけじゃない。じゃ、どうすればいいんだ、と悩んでいる人は多いと思う。その人たちにとって、この本はまさに<宝>だ。斎藤貴男の秘密が分かる。斎藤のようなジャーナリストになれる。この本のテーマに触れて、最後の方にこう書いている。

<日本社会から「失われたもの」とは何だろう。平和と平等を願う心、自由、人権、真摯さ、恥を知る意識、人としての最低限の嗜み、本当の意味で自律した生き方を許容する世の中のありよう…等々、いろいろ思いつく。「言葉」もそうだ。いや、これは「失われた」というより、「奪われた」と表現するべきなのかもしれない>

そうか、「言葉」か。これが一番大きいなと思った。言葉が、今失われ、土足で汚されている。平和と平等を願う心も、自由、人権も初め言葉によって表現される。しかし、これらの言葉に唾をはきかけ、「そんなことよりも日本への愛だ!」「国防だ!」と大声で言いつのる人が出てくる。それが常識的な話だとなる。「日本人だから日本を愛するのは当然だ。いやなら出ていけ!」と叫ぶ。言葉は劣化し、言葉の本来の意味を失っている。今こそ、言葉を取り戻さなくてはいけない。他の人がやらないのなら、俺がやってやる! 斎藤貴男はそう決心しているのだろう。

この本の中で、貧しくて、苛酷な子供時代の体験を語っている。大変だったんだなと僕らは思う。体が弱くて、養護学園(今は名称が「健康学園」に改まっている)に入れられた。野球選手になりたかったというが、それは子供の夢だ。お母さんは、本だけは沢山買ってくれた。推理小説をはじめあらゆる本を読み、いろんな日本の矛盾についても考えた。こんな問題意識のある子供はなかなかいない。僕なんかは、田舎の子供だったが、中学卒業するまで、日本に天皇陛下がいることも知らなかった。首相がいることも知らない。もしかしたら、自分が日本人であることも知らなかった。大学に入って、全共闘と喧嘩をし、殴り倒されて、「ペッ! 右翼め!」と言われた。それが「右翼」という言葉を知った初めだった。自分で自分の内心を知らなかった。馬鹿な学生だった。

その点、斎藤貴男は偉い。小学生の時から、社会を見つめ、いろんな矛盾を見つめ、自分を見つめてきた。こういう人間こそがライターになるべきだし、そうなった。僕のような問題意識のない人間は、なってはいけないのだ。今、街でヘイトスピーチをしている人間や、ネトウヨも、その言葉が余りに貧しい。下品だ。もう言葉ではない。

不思議なことに斎藤は携帯電話を持たない。パソコンも持っていないようだ。普通なら、この時点で失格だ。取材の時に遅れそうになり、連絡しようとする。でも携帯がない。これでは大変だ。でも、ポリシーとして持ってない。それでもこれだけ多くの仕事をしているのだから不思議だ。もしかしたら、あえて条件を厳しくして、それでも斎藤を使いたいという新聞、雑誌社の仕事だけをしているのか。これだけ有名なライターになっても、常に努力を怠らない。今が「完成」型だとは思ってないのだろう。子供の時の苦労もかえって本人にはプラスになったのだろう。何もないまますっと育ったら世の中のことは見えないし、問題意識もわかない。あ、これは僕のことだな、と書いていて思った。田舎でボーッとして育ったので、何も感じていない。問題意識もない。その意味で斎藤のこの本は、これからライターを目指す僕としては、まさに「教科書」だ。何度も読んで、勉強してみよう。若くしてこの本に出会った人たちは幸せだ。嫉妬する。悔しい。
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2017年3月10日 新聞掲載(第3180号)
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