【特別シンポジアム】
シェイクスピア研究の空白を手探りで切り拓く

著 者:近藤弘幸
出版社:

【特別シンポジアム】
シェイクスピア研究の空白を手探りで切り拓く

近藤弘幸(東京学芸大学教授)



◆研究発表テーマ
明治以後の日本におけるシェイクスピア受容


 大衆文化におけるシェイクスピア受容が、真剣な学問的研究対象となって久しい。日本における大衆文化受容に関しても、漫画やアニメーションなどにおけるシェイクスピアが論じられている。しかしながら、こうした研究の多くは現代をフィールドにしており、古い時代の大衆文化受容を論じたものは、数えるほどしか存在しない。明治のシェイクスピア受容で注目されるのは、坪内逍遙か、夏目漱石、森鷗外といった名前である。日本で最初に上演されたシェイクスピアが宇田川文海の『何桜彼桜銭世中』(一八八五)であることを知っている人は多いが、実際にそれを読んだことのある人の数は限られている。

 私の最近の研究は、シェイクスピア研究のこの空白を埋めること、つまり日本の大衆文化における初期のシェイクスピア受容の一端を明らかにすることを目的としている。未知の領域を、日本文学研究や歴史学研究、メディア研究などの知見を手掛かりに、まさに手探りで切り拓いていくのは、苦労も多いが、楽しみも大きい。条野伝平の『三人令嬢』(一八九〇)という、『リア王』を翻案した新聞連載小説について、戊辰戦争期に流行した諷刺錦絵の影響を指摘した論文の抜き刷りを、その分野の研究で高名な歴史学の先生に、面識もないのに失礼も顧みず送り付け、お褒めの言葉を頂戴したときは、心から嬉しかった。

 こうした研究はまた、私が大学院生であった頃に一世を風靡した新歴史主義/文化唯物論的手法を、ローカルな受容研究に応用する試みでもある。今年の日本英文学会では、一九一六年、当時絶大な人気を誇った「魔術の女王」こと松旭斎天勝率いる天勝一座が、「空想大奇術劇」と銘打って舞台にかけた『テンペスト』についてお話しすることになっている。上演台本が残されておらず、この翻案そのものについて詳細を語ることはできないが、それが上演された「場」が持つ意味について何かを明らかにできればと思っている。(こんどう・ひろゆき=英文学)