『日本の食文化』(全6巻)刊行開始

日本人は、何を、何のために、どのように食べてきたのか?
寄稿=小川直之・関沢まゆみ・藤井弘章・石垣悟・森枝卓士

「食」の変遷・地域差と心性/小川直之

 吉川弘文館から「日本の食文化」(全6巻)の刊行がスタートした。食物をめぐる歴史を多角的に考えるシリーズの刊行を機に、編者の小川直之・関沢まゆみ・藤井弘章・石垣悟の四氏に本シリーズ、また各担当巻についてのエッセイを、またジャーナリストの森枝卓士氏に既刊の第一巻『食事と作法』を読んでシリーズへの期待を寄せてもらった。(編集部)
《週刊読書人2019年2月8日号掲載》

『日本の食文化 1 食事と作法』
著者:小川直之(編)
出版社:吉川弘文館
ISBN13:978-4-642-6836-9



「食」の変遷・地域差と心性
人間の精神世界とも密接に結びつく食べもの
小川直之


「食」の変遷と地域差
 日本人は何をどのように食べてきたのか。改めて民俗学や歴史学、家政学などから今までの研究成果を整理し、捉えなおしてみるのが『日本の食文化』全六巻の意図である。

「食」をめぐってはシリーズ第一巻にあるように、日本では、七世紀末には食べものを口に運ぶ直箸を使っていて、現在もこれが食具となっている。食べものは「いのち」をつなぐためだけではなく、平安朝にはすでに客に食べものを出してもてなす「賓客饗応」や他の者に贈答する習俗があった。また、日に三度の食事が慣習化するのは、武家や公家の社会では一六〇〇年前後、農民の間ではこれよりやや遅れてからのようで、これ以前は平時は朝夕の二食であった。これらのことからは、食事にはさまざまな作法やしきたりがあり、食べものをどのように食べるかは生活に根付いた文化で、これは変遷の歴史をもって現在に至っているのがわかる。

 また、この冬に私自身が体験したことだが、宮崎県の山間地域で祭りとして行われる神楽の時には、その場に集った人たちは焼いた猪肉を持参し、これを肴に焼酎を飲みながら見ていた。しかし、やはり山間地にある長野県下伊那郡では、昼食を一緒にしたこの土地の友人は、今日は祭り見学に行くのだからと、豚肉のような獣肉は控えるといい、肉のないメニューを選んだ。長野県のように神祭りには、獣肉は穢れたものとし、これに携わる人は一週間前から豚や牛などの肉は口にしないという厳しい潔斎を課しているところがある一方、宮崎県のように獣肉の禁忌はなく、さらに神楽を舞う御神屋に神饌として生の猪頭を供えているところがあり、「食」の文化には明らかに地域差が存在する。

「餅」の心性
 食べものに歴史と地域差があることの例は枚挙にいとまがなく、右の例以外にも、たとえば正月の雑煮餅は、おおむね関ヶ原を境に東は四角の切り餅で、これを焼いて汁に入れて食べるのに対し、ここより西は丸餅で、生餅を汁に入れて煮て食べるのが一般的である。明確な東西文化差があるが、山形県庄内地方は北前船によって畿内の文化が運ばれて丸餅が多く、江戸時代に関西漁民が移り住んだ千葉県の外房から銚子付近も丸餅が多い。雑煮餅にはこうした地域差があり、この背後には人の移動の歴史があることも読みとれる。

 さらに「餅」の文化はこれだけでなく、「餅」には特別な意味が与えられている。正月には今も多くの家で鏡餅を神棚などに供えるが、これとは別に家族銘々に「力餅」と呼ぶ丸餅を配ったり、家の主人が鏡餅を居並ぶ家族の頭の上に戴かせたりすることがあった。「年玉」と呼ぶ丸餅を大晦日の家族それぞれの年取り膳につけたところもあり、これらからは、この丸餅や鏡餅は、新しい年を生きる活力としての意味があるのがわかる。

 「餅」の歴史や精神性はシリーズ二巻で扱っているが、こうした食べものへの心性は、二巻以降に取り上げる多くのものにみることができる。食べものは生命を維持するためだけではなく、人間の精神世界とも密接に結びついているのである。(おがわ・なおゆき=國學院大學教授)