我こそは批評王、ではない?

対談=佐々木敦×星野太

佐々木敦『これは小説ではない』/『批評王』刊行を機に

今年『小さな演劇の大きさについて』(pヴァイン)『これは小説ではない』(新潮社)を刊行した佐々木敦氏。八月末には『批評王 終わりなき思考のレッスン』(工作舎)が刊行され、さらに二冊の刊行を控えている。また年初の批評家リタイア宣言、初小説「半睡」(『新潮』四月号)も話題に。三十年、さまざまな批評を手掛けてきた佐々木氏に、美学・表象文化論を専門とする星野太氏と、縦横無尽にたっぷり批評について語っていただいた。(編集部)



さまざまな批評対象 さまざまな「技」

 星野 私は佐々木さんの本を長らく愛読していますが、はじめは佐々木さんのことをHEADZのオーナーとして認識していました。ちょうど自分が東京に出てきた頃でしたが、サンガツをはじめHEADZ周辺のミュージシャンが好きで、よくライヴにも行っていたんです。
 
佐々木 ちょうど二十年前ですね。
 
星野 はい。それで『Fader』のバックナンバーを買い集める中で佐々木さんのことを知って、最初に手に取った本も『テクノイズ・マテリアリズム』でした。それから順序が逆になりますが、当時映画も好きでよく見ていたので、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』のバックナンバーの中に、佐々木さんの文章を見つけることもありました。だから佐々木さんに対する最初のイメージは、マイナーな、しかしエッジのきいた音楽や映画について文章を書いている方、というイメージでした。
 ゼロ年代から一〇年代にかけては、『ユリイカ』などで単発の文章を読む機会も増えて、そういったものも今回の『批評王』に入っていたのがうれしかったです。「B級グルメ論」などはとりわけ面白く読んだ記憶があって、「そうそう、これこれ」と当時の印象を懐かしく思い出しました。
 
佐々木 サンガツのファーストアルバムが出たのが二〇〇〇年です。当時は音楽批評に傾注していた時期で、HEADZという事務所を作ったのも九五年だし、映画の仕事をほとんどしなくなって、俺は音楽でやっていくんだという気持ちが強かった。九五年から二〇〇〇年代前半、『テクノイズ・マテリアリズム』が出、『テクノ/ロジカル/音楽論』が出、『(H)EAR』が出てというのが、僕の音楽批評家時代です。しかし当時あれほど音楽のことをやっていたのに、なぜその後ほかのことをやるようになったのか(笑)。『批評王』にはその後の時代に、自発的でなく書いた音楽についての文章がほぼ全て入っています。
 
星野 自発的に書いていないものが多いんですね(笑)。
 
佐々木 自発的でないというのはよいいい方じゃないけど(笑)、僕は売文業者なので、『ユリイカ』のような特集主義の月刊誌からの依頼で、書くことも多かったですからね。
 
星野 確かに、タイトルからして「Vaporwaveについて、私は(ほぼ)何も知らない」という文章もありますね。
 
佐々木 タイトルにも現れてるように、Vaporwaveについて自分が何か書くとは思ってなかった(笑)。
 
星野 他方で、高橋幸宏や矢野顕子については楽しんで書かれているような印象を受けます。
 
佐々木 依頼があって書くといっても、いやいや書いているわけではなくて、自分に書けることがありそうか考えて、書けば書けるけど、自分が書いてもその特集にいいことがなさそうだと思うときはお断りするんですよね。フリーライターが、どんなお題でも器用に書く仕事であるとすれば、それは、代替可能な書ける人の一人にしかなれないということでもあって。生き残っていくためには、佐々木が書いたからこうなった、というようなある種「ならでは」のことを書く必要があると思うんです、読む人がどう思うかはともかく、まずは姿勢として。ただ書く内容が具体的に見えて依頼を受けているわけでもなくて、勘みたいなものなんですけどね。
 
星野 『批評王』巻末の著作一覧を見ると、特にここ数年は異常ともいえるペースで本を刊行されています。先日出たばかりの『これは小説ではない』をはじめ、最近は連載を元にしたものが多いですが、雑誌などで散発的に発表された文章を集めたのは『ソフトアンドハード』以来十五年ぶりでしょうか。
 
佐々木 はい、『批評王』は久々の集め物です。
 
星野 連載を元にした本は、佐々木さん自身が一つの枠組みを設定して、その中にさまざまな批評対象が詰め込まれています。それはそれで読み応えがあるのですが、『批評王』の楽しさは佐々木さんのさまざまな「技」が詰め込まれているところです。それはいいかえれば、依頼元からの「お題」をどう捌くかということなんですね。たとえばさきほどいった「B級グルメ論」もそうなのですが。
 
佐々木 あれ、滅茶苦茶気に入っているんですよ(笑)。
 
星野 B級グルメ論は初出でも読んでいるんですが、非常に面白かったです。書かれた時期が二〇一〇年代ということもあって、「佐々木敦」というプレイヤーが読者と共犯関係を結びながら書いているところがある。たとえば、自分は「激辛好きなのである」といい、そこから「そもそも辛さとはおそらく味ではない。それは刺激なのである」と続く。ゆえに「自分にとっては、メルツバウのハーシュ・ノイズを聴くのと同じなのだ」と。佐々木さんの音楽遍歴を知っている読者は、まずここに反応せざるをえない(笑)。さらにB級グルメの話からB級映画論に大きく脱線するのも、かつて佐々木さんが映画批評に深くコミットしていたことを知っているからこそ面白い。単発の読み物として完成度が高いのはもちろんですが、佐々木さんのこれまでの仕事を踏まえた上で読むと、その振れ幅をさらに楽しむことができる。そういう遊びを織り込みながら書かれています。
 
佐々木 B級グルメ特集に書いてくれっていわれても、何書いたらいいんだよ、ってなりますよね(笑)。<つづく>

★ささき・あつし=著述家。音楽レーベルHEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか、諸ジャンルを貫通する批評活動を行う。一九六四年生。

★ほしの・ふとし=早稲田大学社会科学総合学術院専任講師・現代哲学・美学・表象文化論。著書に『崇高の修辞学』。一九八三年生。



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