写真と言葉、子どもとの時間

対談=川内倫子・山崎ナオコーラ

『as it is』/『そんなふう』 刊行を機に

 写真家・川内倫子氏の写真集『as it is』(torch press)、エッセイ集『そんなふう』(ナナロク社)が刊行された。陽射しや自然に包まれた、お子さんやご家族を見つめる写真と言葉が魅力的な二冊である。刊行を機に川内氏と作家の山崎ナオコーラ氏に対談していただいた。(編集部)
※≪週刊読書人2020年11月27日号掲載≫

時間の流れを表す生後三年の特別な時間

 川内 今回の二冊がほぼ同時期に出たのは偶然ですが、とてもよかったことだと思っています。たまたま一冊目の『as it is』と、Fasu.jpの連載を主にまとめた「そんなふう」を書籍化した2冊目ができるタイミングがちょうど合ったんです。どちらの本にどの写真を入れるかを、同時進行で考えていくことができました。撮影した時期もテーマも近いので、写真と文章の内容がそれぞれに合うようにしました。

 またコロナ禍の自粛期間中に、この二冊を構成する時間をゆっくり取れました。海外に行く予定もなくなってしまったので、その作業にじっくり向き合えたのもよかったです。

 娘が一、二歳のころ、出版社の方にその写真で一冊にまとめませんかと言われたときには、まだ早すぎるなと感じました。娘が成人したときぐらいに一冊にまとめるなら、大きな成長の変化もあって時間の流れもわかるから面白いかもしれないと思っていたんです。その一年後に、保留していた企画をまた持ち掛けられて、具体的に写真選びを始めてみたら、できるかもしれない、と。また一年、子どもが成長しているのを見ていると、三歳までの記録をまとめておこうと思ったんですね。

 山崎 最初は、二〇年という長いスパンで本を出そうと考えられていたことに、びっくりしました。赤ちゃんの状態はどんどん変化するし、そこから見える景色もどんどん塗り替えられていく。子どもといると時間の感覚が変わるし、時間というものに意識的になります。

 川内 山崎さんは『母ではなく、親になる』(河出文庫)で、娘さんが一歳になるまでの過程をひと月ずつ書かれていますね。それが記録として、読んだ人の心に残る。赤ちゃんは体も言葉もどんどん変わって、できることが増えていくから、記録していないと忘れちゃうし、一年前のことを思い返しても遠い過去に感じられますよね。だから私ももっと細かく書いておけばよかったなと思うこともあります。

 以前に『Cui Cui』(フォイル)という家族の写真集を出したことがあります。実家に帰省したときに、自分の祖父と甥っ子を中心に撮った十三年間の記録です。家族のアルバムというよりも、その時間をひとつのサイクルとしてまとめたかった。今回も、娘の写真集というよりも、娘を被写体にした何かの本になればいいと思っていました。

 山崎 お読みいただきありがとうございます。小説やエッセイ、音楽や映像は、時間を表す芸術ですが、写真は場所や一瞬の出来事を表現していて、個人と強く結びついていると思います。けれど川内さんの写真は、あまり場所と結びついていないものが多くて、ご家族の方が写っていても、人間個人が前面に出てきていないように感じます。そこに写る人は、あなたでもありうるし私でもありうるかもしれない。とても興味深いのは、川内さんの写真には場所よりも時間が表現されているということです。

 川内 自分が思っていることが伝わっていて、すごくうれしいです。写真を撮るときに、自分は抽象性を求めているところがあります。写っているものそれ自体ももちろん重要ですが、被写体がすべてではない。それを通して、時間の流れやもっと広いテーマを表したいと思っています。

 写真は写っているのがすべてであるという概念を覆したい気持ちもあり、どこまで抽象化できるのかというチャレンジが毎回あるんです。

 山崎 『そんなふう』には、娘さんが生まれて一、二ヶ月のときの写真があり、そのお話も書いてあります。私自身、四歳と一歳の子どもがいます。赤ちゃんがいる人でも、生まれたばかりの赤ちゃんを見るとうらやましくなると書かれていて、そこを読んで私もその感情がわかりました(笑)。

 川内 娘の三ヶ月健診で病院に行ったとき、一ヶ月健診の赤ちゃんを見てちっちゃい~と思った(笑)。

 山崎 子どもにかぎらず私たちは、失われていくもの、変わっていくものを感じながら生きています。そういう存在を見たときに、うらやましいという感情を日々味わっていると思うんですよね。世界がどんどん変わっていくなかで、これはもう失っちゃったんだ、ここにはもう戻れないんだと日々感じているから、新鮮なもの、まっさらなものを見せられたときに、うらやましく感じるのかもしれません。川内さんは、時間の流れのなかで失われていくものを撮られているのではないかと思います。

 川内 どの作品でもそこが基盤にあります。時間の流れの残酷さや儚いもの、諸行無常ということが、私の写真の共通のテーマです。子どもは時間の流れを全身で表すし、壊れやすいもの、儚いものの塊という感じがして、自分が好む被写体としてぴったりなんです。

 山崎 赤ちゃんの顔も体も、短い時間にすごく変わりますよね。大人は三年経ってもそんなに変わりませんが。子どもが生まれてからの三年にはすごく大きな変化があって、その三年で娘さんの記録をまとめられたというのは、とても意味のあることだと思います。

 川内 そうですね、大人の五年や十年ではなく、生まれてからの三年という時間って特別ですよね。

 山崎 そうなんですよね。そのあと子どもが言葉を獲得しちゃうと、またいろいろと違ってきます。私は言葉を扱う仕事をしていますが、子育てでも言葉の恐ろしさを感じます。ものごとに言葉をわかりやすく当てはめていくのは、ひとつの暴力でもあります。言葉を獲得する前のもやもや感を大事にしたいと思っているので、それより前の三年間というのはよくわかります。

 写真集『うたたね』のときから、川内さんの作品がずっと好きなんです。日記という分野も好きです。小説や批評は、ひとりの人間がその構成を考えて作りますが、日記はそういうコントロールがきかなくて、自然と山場ができたりします。<つづく>

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