文学から「現在」を問う

鼎談=紅野謙介×内藤千珠子×成田龍一

『〈戦後文学〉の現在形』(平凡社)刊行を機に

『〈戦後文学〉の現在形』(平凡社)が紅野謙介、内藤千珠子、成田龍一編で刊行された。一九四五年から現在に至るなかから六〇の作品と、潮流を抑える一三のコラムが、選者を含む三七人の執筆者によって、緻密に分析、考察されている。本書の刊行を機に、編者の三人に本書の狙いや、「戦後」というものについて、文学について、コロナ禍の現状についてなど、改めて語っていただいた。(編集部)
≪週刊読書人2020年12月4日号掲載≫


『〈戦後文学〉の現在形』
著 者:紅野謙介/内藤千珠子/成田龍一(編)
出版社:平凡社
ISBN13:978-4-582-83850-3



「戦後」「戦後文学」というフレームの解体

 紅野 今回、成田さん、内藤さんと『〈戦後文学〉の現在形』という本を刊行しました。今日は本書を巡り、改めてその意味や意図を確認できればと思っています。

 文学に関して、過去には様々な歴史がまとめられてきました。とりわけ私たちが今回扱った「戦後文学」については、日本の人文科学のなかでも特別な意味を背負った「戦後文学史」が数多く書かれてきています。そのなかで今回私たちは、「戦後文学」をタイトルに掲げながら、その概念自体から考え直すことを課題の一つとして掲げました。同時に整序された文学史のかたちで、文学テクストが語られることについても、疑いをもちながら本書を編みました。

 なかでも内藤さんが書いたプロローグは、私自身が考えてきた戦後文学の概念にも揺さぶりをかけられるようなたいへん鋭く示唆的なものでした。とりわけ「「戦後」のフレーム」「「戦後文学」のフレーム」という言葉で、明確なメッセージを出されています。その辺りから問題意識をお話いただけますか。

 内藤 フレームには、両義的な力があると思います。「戦後」あるいは「戦後文学」というフレームを共有することで、可視化でき、明確になる物事がある一方で、フレームには排除の力や区切る力があって、異論が出にくくなる働きも起こります。戦後文学がジャンルとしてフレーム化されるときには、正典とそれ以外のものを分かりやすく区別するという力が働くので、これまで戦後文学のテーマで編まれた書籍の多くは、異論が出にくいセレクトがなされてきたと思います。今回、この本は、結果的に多くの読者に違和感を感じさせるような構成に仕上がりました。そのことで逆に、文学史が異論や違和感を封じる力をもっていることを捉え返し、同時に、「戦後」を複数的な観点から捉え直していく。「戦後文学」というフレームを、排除の力学も含めて可視化することで、文学の現在形を問いとして共有する。そういう契機を作り出す一冊となったように感じています。

「戦後」という言葉には、戦争が過去であるかのように境界線を引く力がありますが、この本では、区切りのように見えるけれど本当は連続しているものをどう捉えていくか、というところに着目しようとしています。

 コロナ禍についても、コロナ後やポストコロナという言葉で、体験する前と後とを区切ろうとする働きが出てくるでしょう。○○後と名付けることで、出来事が完結して見えますが、実際には常に未完であり渦中です。それ以前の出来事や風景は見えにくくなるけれど、人々のなかに記憶として残り続けます。「コロナ後」というものをアクチュアルに捉えていくためにも、いまなお継続している不可視の歴史的問題を、文学テクストから現在へ開き、考えるための知的な想像力が必要になります。本書では執筆者の問題意識を通して、それがもたらされていると思います。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます

★こうの・けんすけ=日本大学文理学部教授・日本近代文学。一九五六年生。

★ないとう・ちずこ=大妻女子大学文学部教授・近現代日本語文学・文芸批評。一九七三年生。

★なりた・りゅういち=日本女子大学名誉教授・近現代日本史。一九五一年生。


収載内容
Ⅰ期 1945~1970年
坂口安吾『戦争と一人の女』/原民喜『夏の花』/武田泰淳『蝮のすえ』/大岡昇平『俘虜記』/林芙美子『浮雲』/大田洋子『半人間』/深沢七郎『楢山節考』/幸田文『流れる』/円地文子『朱を奪うもの』/瀬戸内晴美『花芯』/松本清張『点と線』/金達寿『朴達の裁判』/倉橋由美子『パルタイ』/小島信夫『抱擁家族』/野坂昭如『エロ事師たち』/河野多惠子『不意の声』/石牟礼道子『苦海浄土』/三島由紀夫『豊饒の海』/司馬遼太郎『坂の上の雲』/金鶴泳『凍える口』/コラム「戦後派と新日本文学会」「詩」「評論」「サークル運動」「大江健三郎」

Ⅱ期 1971〜1989年
大西巨人『神聖喜劇』/李恢成『砧をうつ女』/東峰夫『オキナワの少年』/有吉佐和子『恍惚の人』/安部公房『箱男』/後藤明生『挾み撃ち』/島尾敏雄『死の棘』/大庭みな子『浦島草』/林京子『ギヤマン ビードロ』/冥王まさ子『ある女のグリンプス』/村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』/井上ひさし『吉里吉里人』/安岡章太郎『流離譚』/金石範『火山島』/中上健次『千年の愉楽』/富岡多惠子『波うつ土地』/古井由吉『槿』/吉本ばなな『キッチン』/色川武大『狂人日記』/李良枝『由熙』/コラム「ジャーナリズムと同人雑誌」「仮装女性と文体」「メタフィクションとSF」「浅利慶太と劇団四季」

Ⅲ期 1990〜2020年
笙野頼子『居場所もなかった』/松浦理英子『親指Pの修業時代』/奥泉光『石の来歴』/水村美苗『私小説from left to right』/島田雅彦『忘れられた帝国』/宮部みゆき『模倣犯』/桐野夏生『グロテスク』/阿部和重『シンセミア』/町田康『告白』/リービ英雄『千々にくだけて』/津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』/平野啓一郎『決壊』/川上未映子『ヘヴン』/高橋源一郎『恋する原発』/目取真俊『眼の奥の森』/いとうせいこう『想像ラジオ』/村田沙耶香『消滅世界』/津島佑子『狩りの時代』/崎山多美『クジャ幻視行』/多和田葉子『地球にちりばめられて』/コラム「村上春樹」「サブカルチャー」「作家とパフォーマンス」「震災と文学」