性と欲望と自己、古代に遡る探究

対談=慎改康之×柵瀬宏平

フーコー『性の歴史Ⅳ 肉の告白』(新潮社)刊行を機に

 明治学院大学教授で二〇世紀フランス思想を専門とする慎改康之氏の翻訳で、ミシェル・フーコーの『性の歴史Ⅳ 肉の告白』(フレデリック・グロ編、新潮社)が刊行された(二〇一八年にフランスで原書が刊行)。本書は、二世紀から五世紀にかけてキリスト教の性道徳がさまざまに変化し、性的欲望が不断の警戒の対象とされる過程をたどることで、「西洋の人間が自分を「欲望の主体」として構成するに至ったやり方を解明する」ことをその目的とする(「訳者解説」)。そこでは、ラテン教父のテルトゥリアヌス(一五五頃~二二〇頃)、東方の修道生活を西洋に伝えたことで知られる修道士ヨハネス・カッシアヌス(三六〇~四三五)、アウグスティヌス(三五四~四三〇)をはじめ、初期キリスト教の教父・神学者たちの言葉が詳細に検討されている。

 本書の刊行を機に、訳者の慎改氏と、白鷗大学講師で哲学とフランス思想を専門とする柵瀬宏平氏に対談していただいた。(編集部)
≪週刊読書人2021年1月15日号掲載≫

『性の歴史Ⅳ 肉の告白』
著 者:ミシェル・フーコー
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-506712-0


「欲望の解釈学」「精神分析の考古学」

 慎改 「訳者解説」や他の文章にも書きましたが、本書の中心的な論点は、自分自身の欲望を解釈してそこに自分自身の真理を探るという「欲望の解釈学」が、初期キリスト教においてどのように形成されていったかということです。本書では、古代のギリシアやローマにはなかったそのような「欲望の解釈学」の形成過程が、とくにヨハネス・カッシアヌスと、アウグスティヌスのテクストの読解を通じて探究されています。

 第一章の最後、第二章の最後、第三章の最後に、「欲望の解釈学」に直接的に関係する記述があります。そしてそれに加えてフーコーは、西洋の主体性において性が中心的な位置を占める、つまり西洋の人々が主体化する際に性を中心に据えるということが、かなり早い時期のキリスト教にみられることを指摘しています。フーコーが強調しているのは以下のことです。「性行為に非常に明らかなやり方で付与されてきたネガティブな価値は、主体が自らの性的活動とのあいだに結ぶ関係に対して重要性を与える一つの総体の一部をなしているということ」、つまり、キリスト教において性は、個人が自分自身との関係を打ち立てるためにきわめて重要な役割を果たしてきたということです。キリスト教がそのように性を問題化するプロセスのなかで「欲望の解釈学」が生まれてきたということも、注目すべき点だと思います。

 柵瀬 二〇一八年にフランスで原書が刊行されたときは、初期キリスト教に関する専門的な議論がなされていることもあり、一読してはわからないこともありました。今回、慎改さんが訳された本書を改めて拝読して、なるほどと思うところがいくつもあり、その全体像が描けるようになってきたと感じています。

 慎改さんが本書のポイントとして、カッシアヌスの処女・童貞性の議論、アウグスティヌスの欲望論を挙げてくださいました。これらの論点は、コレージュ・ド・フランスでのフーコーの講義では扱われていないもので、その意味でも本書の読みどころだと思います。私はこれらの論点と精神分析の関係という点に興味を抱きました。フーコーは『性の歴史Ⅰ 知への意志』で、この研究のプロジェクトが「精神分析の考古学」にもなるだろうと述べていました。しかし、『性の歴史Ⅰ』にはたしかに精神分析への言及があるものの、第二巻の『快楽の活用』、第三巻の『自己への配慮』を読んだだけでは、その展開がよくわかりませんでした。第二巻・第三巻の刊行までに時間が空くので、第一巻で提示された「精神分析の考古学」という試みは放棄されたのではないか、と考えることもできます。しかし第四巻を読んでみると、これはたしかに「精神分析の考古学」になっていると思ったわけです。

 たとえば、第二章で、処女・童貞の生の指導において、カッシアヌスが自分の思考や表象に宿る欲望を問題にしたことが述べられています。そこでは外的な対象に対する欲望ではなく、自分の思考のレベルでの欲望が問題になっているわけで、これはまさにフロイト的な欲望論の核心をなす「幻想」や「心的現実」という問題に関わっています。フーコーもそれを考えながら、第二章を書いているように思います。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★しんかい・やすゆき=明治学院大学教授・フランス思想。著書に『ミシェル・フーコー』『フーコーの言説』など。訳書にフーコー『知の考古学』『言説の領界』『ミシェル・フーコー講義集成』(一、四、五、八、十三巻)など。一九六六年生。

★さくらい・こうへい=白鷗大学講師・哲学・フランス思想。共著にLes formes historiques du cogito(sous la direction de Kim Sang Ong-Van-Cung)。訳書にフーコー編著『ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール』(慎改康之、千條真知子、八幡恵一との共訳)など。一九八三年生。

フーコー「性の歴史」主な関連文献 
・『性の歴史Ⅰ 知への意志』渡辺守章訳(原書1976年)
・『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』田村俶訳(原書1984年)
・『性の歴史Ⅲ 自己への配慮』田村俶訳(原書1984年)
・『性の歴史Ⅳ 肉の告白』慎改康之訳(原書2018年)
・『ミシェル・フーコー講義集成1 〈知への意志〉講義』(コレージュ・ド・フランス講義1970-1971年度)慎改康之・藤山真訳
・『ミシェル・フーコー講義集成9 生者たちの統治』(コレージュ・ド・フランス講義1979-1980年度)廣瀬浩司訳
・『ミシェル・フーコー講義集成11 主体の解釈学』(コレージュ・ド・フランス講義1981-82年度) 廣瀬浩司・原和之訳
・『ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気:自己と他者の統治2』(コレージュ・ド・フランス講義1983-84年度)慎改康之訳