トマスをともに読み、感情と世界を捉え直す

山本芳久インタビュー

『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮社)刊行を機に

 東京大学教授で哲学を専門とする山本芳久氏が、『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)を上梓した。本書は、「人間の感情」についてのトマス・アクィナスの言葉の引用に基づいて、「哲学者」と「学生」が対話する形式で進んでいく。「愛」や「憎しみ」、「希望」や「絶望」、「喜び」や「悲しみ」といった感情を区別するトマスの理論の手ほどきを受けることで、日々の出来事に対する心の動きを理解し、肯定的な生のあり方に向かっていく手がかりを得られる、触発的な一冊である。本書の刊行を機に、著者の山本氏にお話を伺った。(編集部)
≪週刊読書人2021年2月5日号掲載≫


問いと解決の積み重ね「気に入る」ことの意味

 ――本書の対話を読んでいると、実際のゼミに参加しているようで、議論が生き生きとしていて身近に感じられます。この「学生」が投げかける鋭い質問も大変興味深いです。対話形式にした意図、学生から問いを立てる際に意識されたことについてお聞かせください。

 山本 まさにそれを意図していましたので、そう言ってもらえるのはありがたいです。一言で言うと、対話形式で書くというのは、新潮社の編集者の三辺直太さんからいただいたアイディアです。このような対談形式で書くことになるとは全く思っていませんでした。しかしいざ書き始めてみると、「学生」の質問から「哲学者」の思考が導き出されていくことに驚きました。

 私が大学の教壇に立つようになって二〇年ほど経ちます。様々なテーマについて講じてきましたが、そのなかでも、トマス・アクィナスの感情論は最も頻繁に取り上げてきたテーマです。毎回の講義でリアクションペーパーを書いてもらったり、直接質問を受けたりしてきました。本書の「学生」の質問には、私がゼロから作ったものもありますが、これまで学生さんからもらって、心に残っていたもの、自分のなかで対応できていなかったものも反映されています。そういうものもあらためて思い出して、どういうふうに答えることができるのかを考えていきました。

 本書では一人の「学生」ということになっていますが、その背後には、私が今まで接してきた非常に多くの学生さんの声が凝縮されている側面があると思います。

 ――本書の「学生」の質問には、「それが何の役に立つのでしょうか」、それに「何の意味があるのでしょうか」というようなものもあります。

 山本 学生さんから「当たり前のことを言っているだけではないか」といった、ぶっきらぼうなコメントをもらうこともありますが、私自身も折に触れてそういう思いを抱くことがあるわけですね。トマスやアウグスティヌスのテクストを読んで、自分なりに理解できたと思っても、それがいったい何につながるのかなという思いに陥ることがあります。そういうことの積み重ねのなかで、わかってみれば当たり前のことであっても、あらためてそのことに気づくことによって、自分の心の動きの捉え方にほんの少しの変化が生まれ、それが長期的には大きな違いにつながっていくということが次第に実感を伴って分かってくるようになってきました。

 トマスのテクストは、実証的な事実や実用的な知識を知るのとは違う種類の知に関わるものなので、これを読んで何の意味があるんだろうか、という問いを抱くこともある。そういう問いに対する私なりの解決の積み重ねが、学生に対する答えという形で、本書で示せたかと思います。

「広辞苑」で「スコラ的」という項目を見ると、「議論が煩瑣で無用なこと」と書かれています。日本ではスコラ哲学は馴染みの薄い分野ですし、そういうイメージが根強いと思います。私は二〇代にスコラ哲学のことを熱心に勉強して、やがて教壇に立つようになって、学生と一緒にトマスやスコラ哲学のテクストを読むようになりました。そのなかで、自分にとっては意味のあることでも、専門的に勉強するわけでもない学生にとって、自分のやってきたことは何の意味があるのだろうかと思うこともありました。毎年、手探りで講義を進めていくうちに、学生から、自分の感情を捉え直すきっかけになったと言われることもありました。そういう経験の積み重ねが本書に臨場感を与えているとすれば、嬉しく思います。<つづく>

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★やまもと・よしひさ=東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。同大学院人文社会系研究科(哲学専門分野)博士課程修了。博士(文学)。著書に『トマス・アクィナス理性と神秘』(サントリー学芸賞受賞)、『キリスト教講義』(若松英輔との共著)など。一九七三年生。