たった一度の人生! ――Nur ein Menchenleben!(ローザ・ルクセンブルク)――

三人論潮〈9月〉 板倉善之

 今回は、ローザ・ルクセンブルクが一八九九年に書いた『たった一度の人生!』全文を訳し、掲載する。ある親子が心中したことを伝える新聞記事の引用から始まるこの文章で、ローザ・ルクセンブルクはまるで死者の瞳に映ったものを見るように、いくつかの光景や音を捉えながら、私たちに「見る」ことを呼びかける。彼女にとって「見る」ことは「あなたはユダヤ人の苦悩を特別どうなさろうというのですか? プツマヨのゴム農園の哀れな犠牲者も、ヨーロッパ人によって手玉にとられているアフリカの黒人も、私には同様に身近なものに思われます。」(『ローザ・ルクセンブルクの手紙』川口浩・松井圭子訳)と後年ある手紙に書くように、近くの問題だけでなく、遠くのものも同時に捉える視線として貫かれていく。またそれは『資本蓄積論』で、『資本論』第二巻の拡大再生産表式における、資本の蓄積過程の叙述の不十分さを批判し、資本が拡大するためには、資本主義的生産以外の外部(アマゾン川支流のプツマヨ川流域はその一事例として『資本蓄積論』で挙げられている)を必要とすること、そこでは奴隷制にも似た資本の剝き出しの暴力が、土地の住人に対して荒れ狂うこと、そうした資本と外部との関係を抉り出したこととも連関している。ローザ・ルクセンブルクにとって「見る」ことは、学んだ理論だけを物差しにして世界を見るのではなく、その理論を批評し、不十分さを剔出することによって理論に新たな生気を吹き込むよう、搔き立てるものでもある。

以下本文。

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 三月二六日、シェーンハウザー通り五四番地、三八歳の商人ヴィルヘルム・ヒスターマンが、彼の八歳と六歳の娘マルガレーテとエルナを殺害し、自ら首を吊った。机にあった彼の手紙には、目が見えなくなってきたため働けず、困窮し、この世界を断念せざるをえないこと、誰にも子供たちを育てる負担をかけぬよう、より良い世界を見いだすことを願って、二人をもっとましな来世へと連れて行くことが書き残されていた。――遺体は死体安置所へ、手紙は警察から裁判所へと移送された。(ベルリンの地域記事)

 また一人犠牲になった。「太陽が昇るまで、露が私たちの目を蝕む」というポーランドの諺と符合するように。

 彼が死や殺人の考えと闘っていた時、開いた窓から調律のとれた生活の混声合唱が入り込んできた。中庭では中尉殿の当番兵がカーペットを叩きながら、家主の赤い頬をした女中といちゃついていた。隣の家の板金工は高い金属音を響かせるキツツキみたいに、単調にハンマーを振るっていた。手回しオルガンが「椿姫」の乾杯の歌を奏で始めると、門番の荒々しい叱責がいきなり中断した。通り過ぎる鉄道馬車のガラガラいう音が街道から部屋へ突き進み、あたりでは都市の生活が騒々しく音を立て喘いでいた。同じ街、同じ通り、同じアパートの、壁一枚で隔てられた、ほんの一歩離れたところに、人々は群がり、誰もが取引に追われ、誰もが自分の人生の途を走り、一つとして周囲の犯罪や、死と闘う人生に関心を持つ心はなく、三つの生ある存在の貧困と滅亡に、目を向ける者はいなかった。たった一枚の薄い壁が、数歩だけが不幸な者とその同胞たちとを隔てたが、その間には橋渡しできない深淵が横たわっていた。彼らは同じく人間で、同じ言葉を話し、同じ国の出身だったが、もし別の大陸の違う人種だとしたら、もし月からやって来たのだとしたら、不幸な者はその同胞たちにとって、よそよそしい存在にも、どうでもよい未知の存在にもなることはなかっただろう。「社会」という、個々人を統合する「高次の統一」、「有機的な全体」は、その瞬間あつかましい噓であり、幻であり、存在せず、そこにはなかった。「社会」、そこでたった一人でひどい苦痛に震えていた人生は消えた。誰ともつながれず、誰にも抱かれず、仲間になる者もなく、一人切り離され見捨てられ、遠い海で溺れ死ぬように、上空で渦巻く塵のように、雑踏の真ん中で、頼れるのは自分自身だけ。全人類からちぎれ落ちた破片は、精神的にも肉体的にも暗闇の中で、孤独に闘い、無制限の「個人の自由」の中で落ちぶれ、生存競争の中で「自由人」として倒れ、大いなる主として、文化人として、追い払われた犬がごみ溜めでくたばるように、誰の助けもなく惨めに息絶えた。

 そして自然に対する驚くべき冒涜、子供殺しと自殺が起こったときに初めて、「社会」は真実となり、虚構は現実と化した。警官服とサーベルを身にまとった「社会」は、重々しい足取りで近づいてきて、「全体」「高次の統一」としての法を施行し、なされた悪事に判決を下すために、死体を差し押さえ、終幕した三つの人生劇を調書にとって捜査を始めた。

 古代の奴隷が主人に十字架に打ちつけられ、言い知れぬ苦痛に屈した時も、農奴が賦役監視人の鞭の下に、また労働の重荷と凄惨さにくずおれた時も、少なくとも人間に対する人間の犯罪、個々人に対する社会の犯罪の、恐るべきありのままの姿、耐えがたい残忍性は、公然と晒されていた。十字架に架けられた奴隷や、拷問された農奴は、唇には呪いの言葉を残し、消えゆくまなざしは憎悪に満ちて復讐を告げ、彼を苦しめた者を見据えて死んでいった。

 ブルジョア社会だけが犯罪を見えないベールで覆った。それだけが、人間同士の全ての絆を断ち切り、個人を運命にゆだね、また殺人や自殺を介して精神的、肉体的に人間性を失った後になって初めて記憶される貧困や犯罪に、個人をゆだねた。それだけが人間に自殺と子供殺しを強制した。陽光が降りそそぐ騒がしい市場通りの真ん中で。戦死者の側で一瞬たりとも足を止めず、死体に目もくれない、単調で退屈な日常がゴロゴロガラガラと音を立てる真ん中で。ブルジョア社会だけが大量虐殺をありふれたものにし、それへの恐怖を取り去った。苦しみを受ける者と与える者両方の感覚を鈍らせ、人間的な生活のドラマを通俗的なもので、滅亡していく者の悲痛な叫びを手回しオルガンのアリアで、戦死者の死体を大都市の粉塵で覆うことによって。そして私たちも、新聞の三面記事という大きなごみ箱に、窃盗、殺人、自殺、事故、これらブルジョア社会のごみが毎日詰め込まれていくのを、退屈そうな目で眺めているのではないか? 労働と労働の合間の休息を、寝床で呆けたように過ごしているのではないか? そしてひそかに信じているのではないか?――美容師が向かいの家に強盗が入ったことを和やかな鼻声で話すから、電車が機械的に規則正しくガタンゴトンと音を立てるから、すべてが美しく調和するかのように、公園の木々が芽吹き花を咲かせるから、毎晩上演されるオペラの場面が穏やかに進むから、まだしばらく物語は続き、特別なことは起こらず、せいぜい安心してワインをまだ飲めると、信じているのではないか?

 だがいつも私たちのすぐそばのどこかで、罪なく、誰の助けもなく、見捨てられた犠牲者は倒れ、胸には恐ろしい謎を抱き、唇にはぞっとする問いを残し、驚愕し、絶望に満ちた目で見つめている。百万の頭を持ちながら無思慮で、百万の心臓が脈打ちながら無情で、百万の人間を抱えながら人間性を失った、盲目で聾の怪物――ブルジョア社会を!

 ヴィイという不気味なスラブ民話は、このように伝えている。昔々人間が住むところに、悪霊が巣を作りました。目に見えず、うすい影のように人間の間をすばやく飛び交う悪霊は、悪事を働き、人間を侮辱し、殺し、血を飲みました。無数の恐るべき犯罪の、そのあまりの恐ろしさに、人々は互いに話す勇気もなく、そのことを囁いた相手は恐怖で髪が白くなり、囁いた者自身も老人になってしまいました。悪霊があたりを気味悪く飛ぶ気配がしたり、ぞっとする感触があっても、見ることも捉えることも出来ず、対処法も逃れる方法もありませんでした。噂によると、地底深くに隠れ住む、目蓋が地面まで垂れ下がった鉄人・ヴィイが悪霊を見て指し示せば、その力に打ち勝てる、ということでした。人々はヴィイを探しに出かけ見つけると、目を閉じた重い足取りのヴィイを悪霊の巣へ連れて行きました。「目蓋を上げろ」、錆びついた鉄が軋むような声でヴィイが言いました。足元まで垂れ下がった鉄の重い目蓋を、人々が苦労して持ち上げると、ヴィイは悪霊の群れの方へちらりと目をやって、鉄の指で指し示しました。その瞬間、悪霊は姿を現し、驚いて羽をばたつかせながら地面に落ちました。

 鉄人、鉄の筋肉、鉄の鋤、鉄のハンマー、鉄の車輪――労働者は、社会から追放された地下の暗闇から現れ、太陽の光がそそぐ地上へと歩きだした。人々は自らの重い目蓋を上げて目を凝らし、鉄の手を伸ばして、何千年も人類を苦しめてきた見えない悪霊を無力にし、地へ沈めなければならない。(ライプチヒ民衆新聞 一〇一号 一八九九年五月四日)

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(いたくら・よしゆき =映画監督。ウェブサイト「Nighthawks」運営委員。)