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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月15日 / 新聞掲載日:2016年7月15日(第3148号)

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ダイナミズムとしての人文学 その格闘の軌跡を描く鮮やかなドキュメント 


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大学の「文学部廃止」騒動から一年がたつ。メディアが煽り、文科省の意図にたいする誤解もあったため、それはまさしく「騒動」として過ぎ去った。しかし「文学部廃止」という言葉は、文化系の学問に少なからぬ衝撃を与え、一つの問いを残した。いったい「人文学」の意義とは何なのか、と。

そのように「人文学」の意義が問われ直しているさなか、書店の本棚に『人文学の可能性』というタイトルをみつければ、思わず手をのばすだろう。手に取ると、一見いかにも「人文学」のイメージにふさわしい表紙絵が目にとまる。独房のような書斎と思索にふける人物。「書斎のアウグスティヌス」と題されたその絵は、独り世間の喧騒から離れて観想する古き知識人の姿を象徴しているかのようである。

しかし、この絵が選ばれたのは、そうした静的で受動的な「人文学」のイメージを喚起するためではない。著者は次のように言っている。「このアウグスティヌスの肖像が、ルネサンス期の代表的画家ボッティチェッリによって描かれているのも、異なった文化同士の共鳴と緊張を端的に表している。天球儀や数学的図表があしらわれた書斎で天を仰ぐアウグスティヌスの像を、多様な学知の統合と葛藤の形象、文化の歴史的伝承と変容のアレゴリーと見ることもあながち不可能ではないだろう」(四二八頁)。著者の眼は、絵の細部に至ると同時に、絵の存在自体を根底から捉え、「異文化の共鳴と緊張」や「多様な学知の統合と葛藤」といったダイナミズムをみているのである。

ダイナミズムを見てとり、それを描くことは、本書を貫くテーマでもある。本書は、人文学者自身が「人文学の可能性」を拓こうと格闘してきた、その軌跡の鮮やかなドキュメントだと言っていいだろう。主役には、フンボルト、グラッシ、アウエルバッハ、ブルーメンベルク、田辺元の名が連なり、準主役にはアリストテレス、カント、ハイデガー、ヘーゲルの名が挙がる。彼らが、「人間」や「言語」、「歴史」といった事柄について、何を問い、何に応えようとし、何を求めて思索を重ねたのか。各人が生きた時代の思想的空気を吸うように、それぞれの思索の現場における格闘が、忍耐づよく丁寧に描かれている。とりわけ『近代の正統性』の作者、「ドイツの知の巨人」の名をもつH・ブルーメンベルクが描かれるとき、著者の筆は冴えわたる。ブルーメンベルクが、いかに「歴史」について徹底的に問い詰め、「近代」の光景を描き出したのか。著者は「思想史のなかの入り組んだ事情が単純化されることなく提示」されている点を讃えている。その賛辞は、そのまま著者自身のブルーメンベルク論にもあてはまるだろう。

四百頁を超える大著を読み終えたとき、極めてタイムリーにみえていた「人文学の可能性」というテーマが、決して今の時代に限った問題ではないことに気づかされる。人文学が安泰であった時代など、どこにあったのだろう。「人文学」の名のもとに収められている書物は、静かな相貌をしていても、それぞれが書かれた思索の現場は、葛藤や緊張に満ちていた。著者は、その葛藤や緊張を描くことをもって、「人文学の可能性」に賭けようとしているのではないだろうか。

ただ、「人文学」のダイナミズムに触れるには、それ相応の素養が求められることも間違いない。裏表紙には著者の書棚の写真があり、そこには古びた分厚い洋書がぎっしり詰め込まれている。ダイナミズムを描く著者の筆が、どれほど膨大な知に支えられているのか。圧倒されるばかりだが、その知の厚みは、読者にもある程度求められると言わねばならない。本書がどのような読者に届き、どのように読み継がれるのか。そのこと自体が、この国における「人文学の可能性」を占うことになるだろう。
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