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ともかくスケッチ
更新日:2017年4月11日 / 新聞掲載日:2017年4月7日(第3184号)

黒田・長友運命共同体?!

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読書人連載が59回を過ぎて相棒の黒田征太郎のことが初登場というのが摩訶不思議だ。

知り合って60年以上になる。事務所の名前は、「クロダ」の「K」、「ケイスケ」の「K」で「K2」となったのが48年前だ。

ナゼ、「K2」(ケイツー)というネーミングになったかといえば、「黒田・長友デザイン事務所」というとちょっとイカさない。「黒田・長友運命共同体」は、ちょっと酷すぎる。お決まりの富士山を絡めて色々考えたが、これも上手くいかず、なんだかんだとあったが何かしら2人で記号っぽいものが良いな、となった。その後、「クロダ」の「K」と「ケイスケ」の「K」に落ち着いたと記憶している。

その当時、一世を風靡していた「メンソレータム」という万能薬の会社が「近江兄弟社」というネーミングだった。それにあやかって、「黒田・長友兄弟社」、後々黒田征太郎の弟・黒田泰蔵も入れて「黒田兄弟社」というネーミングも良いかな、と思っていた。畏れ多くもデザインの万能薬を目指していたということもある。

そもそも黒田と知り合ったのは、黒田が大阪の早川良雄先生のところに丁稚奉公に行っていた時だ。ボクが早川良雄先生のところに押しかけた時には先輩としてもう働いていた。流行の先端を行っている早川事務所の一番気に入ったものは「氷柱」だ。中央にデーンと構えていた。その氷柱の上にカチカチに冷えたおしぼりが常に4、5本並んでいた。

忘れられないことは、ボクがアルバイト料をもらった時ののし袋には真っ当に「アルバイト料」と書いてあった。がしかし、黒田征太郎ののし袋には「酒肴料」とあった。そこに早川先生の生き方のオシャレ加減を垣間見た。
(ながとも・けいすけ氏=アート・ディレクター)

編集部より


長友啓典さんが、3月4日にお亡くなりになって、もう、ひと月経ってしまいました。お預かりしていた「ともかくスケッチ(59)」の原稿をご遺族様のご諒承を得て、掲載いたします。

長友さんには、2014年11月から小紙に四コマ&エッセイ「ともかくスケッチ」を隔週で連載中していただきました。この号の発行翌日4月8日は、長友さんのお誕生日でした。

長友啓典さん、本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。 (編集部)
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