カール・シュミットと五人のユダヤ人法学者 書評|初宿 正典(成文堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年4月10日 / 新聞掲載日:2017年4月7日(第3184号)

カール・シュミットと五人のユダヤ人法学者 書評
強烈な刺激を与える論稿 
「ワイマルの生と死」に関する重要な記録の書

カール・シュミットと五人のユダヤ人法学者
著 者:初宿 正典
出版社:成文堂
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本書は、カール・シュミットを軸にして、シュミットと個人的にも学問上でも大なり小なり様々なかかわりを持ちながら、激動の時代を生きた五人のユダヤ人法学者に関する一連の論稿をまとめたものである。

本書は、Ⅰ章 カール・シュミット、Ⅱ章 エーリッヒ・カウフマン、Ⅲ章 ゲルハルト・ライプホルツ、Ⅳ章 フーゴー・プロイス、Ⅴ章 フリッツ・シュティーァ=ゾムロの5章から構成され、各章にはそれぞれに関係する「資料、翻訳、評論あるいは書評や随想」が多く含まれている。Ⅰ章ではシュミットとハンス・ケルゼンとの関係を中心にして、シュミットの第二次大戦後の弁明などが取り扱われているので、本書は、タイトルのように、シュミットと五人のユダヤ人法学者との関係を、「19世紀後半以降のドイツの憲法史ないし政治・社会史的な観点」から考察したものである。とりわけ、本書では、シュミットが、1933年1月30日のヒトラー政権樹立以前と以後とで、ユダヤ人法学者に対する態度を大きく変化させたことについて詳述しながら、シュミットが「第三帝国の桂冠法学者」としてヒトラー政権の確立に寄与したことと、ユダヤ人法学者たちがワイマル共和国の誕生および維持に寄与したこととを対比できる構成がとられているので、本書は「ワイマルの生と死」に関する重要な記録の書ともなっている。

Ⅰ章では、シュミットが、ケルン大学法学部長ハンス・ケルゼンから招聘の手紙を受けとり、1933年の夏学期(4~9月)にケルン大学で教鞭をとったにもかかわらず、ナチの<均制化>政策によってケルゼンが解雇されたとき、ケルゼンの「助命嘆願書」に署名しなかったのはケルン法学部正教授の中でシュミットただ一人であったことだけでなく、このケルン大学在籍中に、シュミットは「ナチスという<国民革命>によって成立した新しい国家の立法に参画し(4月初め)、ナチス党に入党し(4月末)、文筆活動を通してナチスの政策を支持し(5月以降)、またその遂行に学者として加担して、すでにこの時期に<第三帝国の桂冠法学者>としての役割を担わされていた」ことが明らかにされている。

Ⅱ章では、シュミットが、1922年の著書『政治神学』(初版)の中であれほど何度も言及したカウフマンの名前を、カウフマンが退職させられた1934年に刊行した『政治神学』(第2版)において、「重要でない箇所」として、ことごとく削除してしまったのであるが、そのシュミットを1922年にボン大学に招聘したのは、ほかならぬカウフマンその人であったという事実を示しながら、その削除の理由として、1936年に書いた悪名高き「ユダヤ精神とたたかうドイツ法学」などから、カウフマンがユダヤ出自であったがゆえの人種的理由によるものであったことが指摘されている。Ⅲ章では、ライプホルツが、1935年に、ナチスのユダヤ人迫害政策の激化によってゲッティンゲン大学国法学教授の席をスメントに譲って大学を追われ研究の場を失った後、ヨーロッパの危機が目前に迫る1938年になってようやくイギリスへの亡命の旅に出るけれども、1926―27年頃のシュミットとライプホルツは個人的に知りあっていて、相互に相手の著書や論文を引用していたし、議会主義に関する現状認識において双方にかなり近いものがあったことや、しかし、その後のシュミットによるライプホルツの引用はほとんどなくなったのに対し、戦後ドイツに戻ってきて連邦憲法裁判所裁判官の地位につきゲッチンゲン大学教授に復職したライプホルツは、その著作でしばしばシュミットについて言及しているが、「ユダヤ人としてナチス時代に辛酸をなめた」ライプホルツのシュミットに対する態度には、ライプホルツと同じような運命に遭遇した数多くの人々に共通した感情、すなわち、「ナチズムとその反ユダヤ主義への加担に対する個人的な反感、いやそれどころか、憎悪にも似た感情」が認められることなど、指摘されている。Ⅳ章では、ワイマル憲法の起草者で、ワイマル憲法の「産みの親」として知られるベルリン商科大学教授プロイスが、政敵から「ユダヤ人プロイス」、「ユダヤ人の共和国」、「ユダヤ人の憲法」と非難されながら、また、「憲法の諸規定はプロイスの本来の意図に反して相当程度に変容してしまった」けれども、憲法草案の作成からその審議を経て憲法成立に至るまで「きわめて誠実かつ精力的にその任を全う」したことや、大統領エーベルトをしてM・ウエーバーではなくプロイスを起草者に適任と判断せしめたプロイスの「ビスマルク憲法とプロイセン憲法の改正提案」やワイマル「憲法草案」を資料として提示しながらプロイスが新しい憲法にどのような想いを託していたかということ、さらに、プロイスの死後2年半経った1928年4月からベルリン商科大学の国法学講座を「実質的に受け継いだ」人物こそカール・シュミットであったことなどが明らかにされている。Ⅴ章では、ケルン大学法学部の初代学部長であり、ケルゼンをヴィーン大学からケルン大学へ招聘した公法・政治学担当教授シュティーァ=ゾムロが、「一方ではビスマルク憲法の立憲君主制に基づく連邦主義を排しつつも、他方でプロイス流の中央政府中心主義的な単一国家にも反対するという立場」から独特のワイマル憲法構想を発表していたことや、彼は1932年に死去したため、「ナチスの反ユダヤ主義政策の直接の犠牲者にこそなりはしなかった」けれども、「ナチ学生の攻撃の的」となったこと、そして、彼の後任人事で、「当時の学部長ケルゼンが白羽の矢を立てたのが、ほかならぬカール・シュミットであったこと」などが示されている。

本書に収められた諸論稿の多くは、既発表当時、読者に強烈な刺激を与えたものばかりであるが、今回、シュミットからシュティーァ=ゾムロへという遡反的構成で纏められることにより、「シュミットと反ユダヤ主義」の問題とともに「ワイマルの生と死」の問題を、より現実的なものとして私たちに突き付けている。
この記事の中でご紹介した本
カール・シュミットと五人のユダヤ人法学者/成文堂
カール・シュミットと五人のユダヤ人法学者
著 者:初宿 正典
出版社:成文堂
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