奇異譚とユートピア 書評|長山 靖生(中央公論新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月15日 / 新聞掲載日:2016年7月15日(第3148号)

奇異譚とユートピア 書評
もう一つの文学史とジャンル論を紡ぐ壮大な試み

奇異譚とユートピア
出版社:中央公論新社
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近代日本文学の方向性を決めた坪内逍遥『小説神髄』は、「趣向を荒唐無稽の事物にとりて、奇怪百出」の「奇異譚」を否定し、「主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」ものが新時代の「小説」と規定した。

その結果、江戸文学の流れをくむ戯作風の作品や、西洋の最新事情を紹介する科学小説、政治小説など広義の「奇異譚」が低く扱われるようになる。

だが逍遥が切り捨てた「奇異譚」は、本当に価値がないのだろうか? 本書は、時代が激変し、啓蒙や実用がロマンをかき立てた幕末から明治中期に執筆、翻訳されたSF的な想像力を持つ多種多様な「奇異譚」を取り上げ、もう一つの文学史とジャンル論を紡ぐ壮大な試みである。

著者は、『近代日本奇想小説史 明治篇』を刊行した横田順彌らと古典SF研究会を創設し、幕末から現代に至る日本SFの系譜をたどる『日本SF精神史』などを発表している。このテーマを発展させた本書は、著者の集大成といっても過言ではあるまい。

幕末に儒者の巌垣月洲が、知識人が読む漢文で書いた『西征快心篇』は、極東の架空の島国の副将軍が、植民地支配に苦しむアジア諸国を救いながら英国本土まで攻め入る架空戦記の元祖で、大義のための戦争を描くユートピア精神にも満ちている。エログロ趣味が満載の大河ロマン『白縫物語』の精神は、栗本薫の大作『グイン・サーガ』に受け継がれた。オランダ人のディオスコリデスの著書を、近藤真琴が翻訳した『新未来記』には、地球全体が蜘蛛の巣のようにつながり、時間差なく連絡が取れる、交通機関の運行管理が一人で行われる、受信装置が各家庭に置かれ、箱(テレビ?)で歌う美妓が見られるなど、現代の目から見てもかなり正確な未来予測が書かれている。日本の西洋化を憂慮した僧侶の佐田介石は、仏教的な宇宙観を解説する『視実等象儀記初編』などで天動説を否定した。女性が大学に進学し、社会の第一線で活躍し、選挙権も被選挙権も持つ未来を描いたロビダ『第二十世紀』が翻訳された影響もあり、日本人も数多く女権拡張小説を発表したなど、本書にはあらすじを読むだけで思わず引き込まれる作品が並んでいる。

しかも、これらの「奇異譚」には、政治、経済、文化、安全保障、フェミニズムといった現代文学でも重要な主題がすべて網羅されているのだ。末広鉄腸『雪中梅』、矢野龍渓『経国美談』『浮城物語』、広津柳浪『女子参政蜃中楼』など、正統的な文学史にも記載されている政治小説の中にも、「奇異譚」の要素があるとの指摘にも驚かされれた。

明治の言文一致体は、三遊亭円朝の落語の速記が影響を与えたとされる。著者は、円朝の速記本の語尾は「です」「ございます」が中心なので、「だ」「のである」が多様される言文一致体は、円朝の速記だけでは説明できないとする。そこで著者は、登場人物が作中で演説するタイプの政治小説(演説小説)に着目する。この演説の語尾は「のである」が多いことから、言文一致体は「演説小説」からも影響を受けたのではないかというのだ。

また「奇異譚」を排斥する契機となった逍遥の『小説真髄』は、「奇異譚」「寓意」「小説」に向けてフィクションは進化するととらえた。これは明治時代に流行した「社会進化論的な優勝劣敗の理論」に基づいていて、実は当時の価値観に縛られていたという。近代日本文学の“聖典”を相対化したところは興味深く、近代文学研究に新たな視点を与えてくれるだろう。逍遥は、明治時代に人気だったジュール・ベルヌなどの未来小説も否定したが、当の逍遥が『内地雑居未来之夢』で未来予測を書いていたとの指摘も面白い。

幕末から明治中期の日本は、西洋から輸入された制度によって急速に国の改造が進み、努力すると出世をするが、怠けると没落する自助努力の精神が広まった。その一方、急速な近代化を批判する保守層は、日本の文化と伝統を守ろうとした。こうした状況は、経済のグローバル化によって、成果主義や自己責任論が一般化し、その反動でナショナリズムが台頭している現代と似ている。著者は、医師のジェンナーが、自分の息子を使って牛痘の実験をした有名な美談は誤伝で、実際は息子には安全な豚痘を、危険な牛痘は見ず知らずの少年を使って実験したとする。この誤伝が第二次大戦中も国定教科書に載り続けたのは、教育的効果の高さであり、自己や自己の家族を犠牲する“美徳”を望む精神は、国民に特攻を強制する精神に通じるとしている(個人的には、道徳の教科書に、偽書の江戸しぐさを載せるのを許可した文科省の検定を想起した)。米巒笑史『明治廿三年 夢想兵衛開明物語』には、日本経済を顧みず、「英領印度」の精巧廉価な輸入品を買い求める愛国心のない日本人を嘆く場面があるというが、これも新興国に追い上げられている現代の日本を彷彿とさせる。

いち早く国際化の波にのまれ、その中で理想の社会を模索した明治の「奇異譚」の作者の想像力からは、現代人が学ぶべきことも少なくないのである。
この記事の中でご紹介した本
奇異譚とユートピア/中央公論新社
奇異譚とユートピア
著 者:長山 靖生
出版社:中央公論新社
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