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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月15日 / 新聞掲載日:2016年7月15日(第3148号)

輝きを失わない一瞬の真実 六〇年以上忘れられていた作家の中編小説


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ごく普通にみえる人生が、どれほどの情熱に満ちあふれているか。著者ネミロフスキーは、そのことに取り憑かれているようだ。銀行家の父をモデルにした『ダヴィッド・ゴルデル』以来、このウクライナ出身のフランス語作家は、凡庸な生活人の人生を語りながら、埋もれた感情の真実がどれほどの輝きを放つかを示してきた。本書『血の熱』も、田舎の生活の奥底に眠っていた情熱の、時を越えた驚くべき噴出を明かにする。奥深いところにある真実は、つねに外観と対立するものだとネミロフスキーはあるインタヴューで述べているが、ほとんど何も起こらない、死んだような田園生活と、そこに眠り忘却されていた情熱の激しさのコントラストに、読者はア然とすることになる。

ネミロフスキー自身、長いあいだ忘却されていた作家である。一九四二年強制収容所での死から、二〇〇四年の『フランス組曲』出版に至るまで、六〇年以上のあいだ彼女は忘れられていた。未完の長編『フランス組曲』は、一九四〇年六月一四日、ドイツ軍がパリに入城し、多数のフランス人が南に逃げだした〈大敗走〉を圧倒的な筆致で描きだした。読者はまるで、恐慌状態のうちに逃げだす人々の群れにまぎれこんだかのように錯覚するが、その筆致の根幹に、世俗的な心配事しか考えていないように見える生活者と、その魂の奥底に隠された真実の対比という独特の人間観があることを、その後出版された作品群は示している。

長編と中編では異なった方法で書いているとネミロフスキーは公言している。長編ではある状況の中に奥深く入りこみ、人間の多様性をゆったりと描くことができるが、中編小説では、見知らぬ家の扉が一瞬開き、すぐさま閉じられるようなもので、複雑な感情の襞に分けいる時間はないという。翻訳で一二〇頁の中編『血の熱』は、そのようにして一瞬だけ開いたフランス中部のとある家庭に起こった一つの事件を語っている。四十八歳のやや太めの主婦、家族を穏やかに見まもる夫、一時この土地を離れ、放浪し、初老の男として戻ってきた、幼友達である語り手とのあいだに、いったい何が起こり得るというのか。やがてエレーヌの娘の夫が死に、その死をきっかけに、年老いた独り者の語り手の中に眠っていた癒しようのない魂の渇きが暴かれることになる。

ネミロフスキーが、情熱の激しさを表現するために、どれほどの紋切り型を必要としたかは驚くほどである。この本をほとんど読み終えるまで、予測のつかない物語はどこにもないと言っても過言ではない。語り手は若かった頃、田舎の生活に窒息し、ここに残っていては死んでしまうという思いに駆りたてられ、植民地や新世界で一旗揚げようとした。結局故郷に舞いもどり、今ではフランス中部の閉鎖的な田園地帯に埋もれて暮らしている。そこで語り手は、若者たちの事件に遭遇するのだが、小説の主眼はそこにはない。小説家が語ろうとしているのは、語り手自身が忘れていた過去の真実である。人生で何かが芽生えた瞬間、未来のすべてがそのなかにふくまれているように見えた一瞬の真実は、忘却され、歪曲されても、時間の流れの中で少しも輝きを失わないことをネミロフスキーは露わにする。

最後に、自然描写の美しさに触れておかなくてはならない。森の中にある隠れ水の輝き、夏の終わりの麦打ち、陽が落ちてからすべてが闇に包まれるまでの、いつまでも続くように思われる薄明の世界。ネミロフスキーの世界が、ようやく発見されつつあることを実感させる作品である。(芝盛行訳)
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