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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月15日 / 新聞掲載日:2016年7月15日(第3148号)

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「反復/変形」の諸相を複数の近現代 文学の裡に探るコンセプチュアルな書


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副題に「澁澤龍〓と近現代小説」と銘打たれた本書は、澁澤をめぐる作家論や作品論に終始する研究書ではない。第一部「澁澤龍〓の方法」には小説「撲滅の賦」、『唐草物語』、「ねむり姫」の各論が収められ、サド裁判に関する二編の論考と共に重層的な分析が為されているが、本書はまず何よりもリンダ・ハッチオン『アダプテーションの理論』やアントワーヌ・コンパニョン『第二の手、または引用の作業』などから著者が独自に汲み取った翻案・引用・パロディをめぐる「反復/変形」の諸相を複数の近現代文学の裡に探るコンセプチュアルな書として読まれるべきだろう。

「反復/変形」とは何か。序章において著者は澁澤の「犬狼都市」を取り上げ、従来マンディアルグの「ダイヤモンド」の剽窃と見なされることもあったこの初期短編が如何に積極的に「典拠」の文脈を「解体/再構成」したのか、そのプロセスを丹念に析出してみせる。「反復」は単に典拠との一致や類似に基づくネガティヴな概念ではない。先行テクストを主体的に読み換え、書き換える中で新たな意味や差異を産出する創造的な営為として「反復」が位置付けられる。「テクストの反復は変形として現象し、パロディとしての差異を明らかにする」という本書のコンセプトは、典拠がその後続テクストに及ぼした一方通行的な影響の指摘に留まりがちであった従来のスタティックな比較研究を乗り越えるべく、極めてダイナミックかつ論争的に本書を貫いている。

たとえば、サド裁判の進行過程において「反体制のアジテーター=異端者」というイメージを付与された「〈被告・澁澤龍〓〉」が、自らのそのセルフイメージ自体を典拠として「哲学小説 エロティック革命」の裡に「反復/変形し、パロディ化」を仕掛けたとする2、3章は、必ずしも文学テクスト同士の二項間に限定されることのない「反復/変形」の理論的射程を浮上させるだろう。「変奏される〈音楽〉」として第三部に纏められた三編の論考もまた、「抽象芸術である音楽」が文学テクストへと「反復/変形」されるプロセスを歴史的に追跡し、このコンセプトの新たな可能性を開示することに成功している。

九編から成る第二部「典拠の利用とその諸相」では、芥川龍之介「六の宮の姫君」、三島由紀夫「橋づくし」等を素材として「反復/変形」の痕跡を辿り、川上弘美「神様」とそのセルフパロディとしての「神様 2011」の「往還」的な「反復/変形」へと至る。とりわけ三編を収める石川淳論は第一部の澁澤論と並び最も読み応えのあるセクションであろう。11章では「諸國畸人傳」が、12章では「修羅」が俎上に載せられ、「権力や政治によって正統化」された「歴史叙述」をプレテクストとして「反復/変形」し、かかる「正史」から「こぼれ落ちる」者達を「物語化」することによって大文字の「歴史」に孕まれたイデオロギーを解体しつつ「新たな〈歴史〉を編んで」みせた石川淳のテクスト戦略が鮮やかに浮き彫りにされていく。

各章はそれ自体で完結しているが、たとえば本書を契機として澁澤・石川・三島の諸テクストを横断し、複数のテクスト間における「反復/変形」を接続することによってより重層的で広大な言説空間を浮上させることも可能かもしれない。著者が繰り返し強調するように、「反復/変形」を行うのは書く主体である作家であると同時に読む主体である読者でもあるのだとすれば、その試みは本書の読者である我々に賭けられているとも言えそうである。9章は太宰の「女の決闘」研究史を素材に「文学研究というメタ言説が生産/消費してきた、文学テクストの反復/変形に関する考察」が展開されるが、本書を読了した時、本書自体が膨大な研究史(典拠)を繊細かつ対話的に読み開くことで書かれた「反復/変形」の豊穣な批評的実践でもあったことに気付くに違いない。
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