谷崎潤一郎読本 書評|五味渕 典(翰林書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年4月17日 / 新聞掲載日:2017年4月14日(第3185号)

谷崎潤一郎読本 書評
谷崎研究の多様な可能性を引き出す論考

谷崎潤一郎読本
著 者:五味渕 典、日高 佳紀
出版社:翰林書房
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谷崎没後150年にあたる2015年より、これまでの全集にはなかった解題や、新発見の資料を加えた本格的な全集、決定版『谷崎潤一郎全集』の刊行が始まった。この全集によって、谷崎文学を広く深く理解していく環境は、以前よりも格段に整うことになる。谷崎研究の進展が大いに期待されるところである。本書は、その期待にいち早く応えてくれる、谷崎文学のよき入門書であり、研究書である。

巻頭を飾るのは、決定版谷崎全集の編集や解題の執筆に携わった六人の研究者による座談会である。この座談会が行われたのは、新発見資料である「松の木影」と題された谷崎の創作ノートを収めた谷崎全集第二十五巻が刊行された直後であった。恐らくはそのことも意識して、座談会では、この創作ノートを手掛かりにして議論が進められる。創作ノートから決定稿に至る過程で何がそぎ落とされ、何が受け継がれたのかについて様々な角度から考察されていて、示唆に富んでいる。また、話題は、『細雪』の歴史性や谷崎全集にも及び、そのそれぞれが、谷崎研究に長く従事してきた研究者ならではの鋭い切り口で掘り下げられていく。特に、第二次世界大戦中に執筆が続けられ、戦後に完成版が発表された『細雪』を取り上げ、作品と時代との緊張関係を分析しているところには、強い説得力がある。

座談会に続いて、論文や解説が載せられている。執筆者は、谷崎研究者だけではなく、様々な分野で活躍する研究者も含まれている。そのことが、「テクストとして」の谷崎の「複数性を抑圧」しないという本書の意図の達成を可能にしている。全ての論文や解説を取り上げる余裕はないので、評者にとって興味深かった三本の論文のみをごく簡単に紹介すると、千葉俊二氏の論文では、従来の研究では十分に活用されてこなかった『細雪』執筆の際の谷崎の反故原稿を用いて、谷崎作品の「ストーリーを展開させるうえでのひとつのパターン」を明らかにしている。新たな資料の活用によって、新たな見方が可能になることを改めて教えてくれる。また、単行本『近代情痴集』を取り上げた木股知史氏の論文では、小村雪岱の表紙画や挿絵と作品の表現との関係が分析されている。特に、『近代情痴集』の表紙画と、その表紙画のもとになった「恋を知る頃」の一場面の表現との相違に着目した上で、「擬似的母性と官能がないまぜになって、仕組まれた死にのみ込まれていく少年伸太郎の内面の暗示」効果が表紙画によって生まれると解釈しているのは見事であり、『画文共鳴―『みだれ髪』から『月に吠える』へ』の著者ならではの鋭い洞察力が発揮されている。『金色の死』を取り上げた中村ともえ氏の論文では、明治三十年代の「美学」の論点を整理しつつ、高山樗牛の歴史画論への「遅れた応答」が、この作品に示されていると指摘していて、新鮮だ。「谷崎の知的背景に近代日本の学問としての美学を想定する」という提案は、谷崎文学を広い文脈で捉え直す上で有効である。この三本の論文は、反故原稿・表紙画・明治三十年代の「美学」といった、作品の外側にある要素との関わりの中で作品や作家を読もうとするところに共通する特徴があるが、これは、本書収録の論文や解説に大きな傾向として貫かれた特徴でもある。

本書は、「偉大な一人の芸術家」の「美しい物語に酔いしれること」をむしろ拒絶しようとしている。そのためであるのか、本書収録の論文や解説の一つ一つは、相互に補い合いながら、一定の方向に議論を収斂させる役割を十分には果たしておらず、本書のみによって、谷崎文学を体系的に理解するのは困難である。しかし、その一つ一つには、汲み取るべき豊富なヒントが確実に内蔵されている。読者はそれを各々で受け止めることによって、新たな谷崎像を構築していくことができるだろう。谷崎研究の多様な可能性を引き出す、刺激的な一書である。
この記事の中でご紹介した本
谷崎潤一郎読本/翰林書房
谷崎潤一郎読本
著 者:五味渕 典、日高 佳紀
出版社:翰林書房
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