昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち 書評|勝田 久(駒草出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年4月17日 / 新聞掲載日:2017年4月14日(第3185号)

若き声優志願者へ贈る言葉 
先人の情熱と強靱な精神力に胸が熱くなる

昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち
著 者:勝田 久
出版社:駒草出版
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人類学、うつむき続ける猛省の時代

奧野 克巳氏
奥野 
 辺境を扱う知の運動として、かつて人類学は最先端でした。しかし今日の人類学は、読んでもあまりワクワクしません。そのことを、高野さんの辺境ノンフィクションを読むと、改めて突きつけられる気がします。最近、五五〇ページ以上ある高野さんの『謎の独立国家ソマリランド』を興奮して一日で読みました(笑)。
高野 
 僕の書き方はノンフィクションの世界でも掟破りですよ(笑)。
奥野 
 同じく、辺境あるいは異文化を見るところに立ちながら、人類学は自らの学問の制度や枠組みに閉じてしまったところがあります。高野さんが『謎のアジア納豆』の中で書かれておられるように、植物学者の中尾佐助の照葉樹林文化論も、フィールドワークに行って自分が経験したことを、とりあえず大風呂敷を広げて言ってしまったのでしょう。ヒマラヤから西日本までの地域に、文化的な連続性があると、大きな話をしたのです。今、そうした大きな話をする学者はいません。高野さんの本は、体力と気力と好奇心から生み出される知のあり方だと思うのです。
高野 
 光栄です(笑)。実は昔、文化人類学者になりたかったんです。高校生のとき、ニュー・アカデミズム全盛期で、現代思想が流行ったんですよね。でもヘーゲルの形而上学だとか、フッサールの現象学とか、よく分からなくて。ただ文化人類学になると、レヴィ=ストロースが、ホピ族の村へ行って、「冷たい社会」と「熱い社会」という概念を語るのも、具体例があるから、俄然分かりやすかった。秘境・辺境に行きたいという気持ちと相まって、文化人類学に興味をもちました。

実際、人類学研究室に誘われたこともありました。でも今西錦司と伊谷純一郎が辺境に行った頃は、ヒトもサルも研究するような、やりたい放題の楽しい感じだったのが、九〇年代初めにはジャンルが細分化され、ピグミーの研究をするといっても、その分配についてなどと、研究テーマが小さく区切られるようになっていた。

ピグミーはプナンと違って、分配が公平ではないんですよね。その分配の規則性を研究する人は、狩猟に秤を持って行き、毎回、この人にあげた分は肝臓何グラム、この人は腕の肉何グラムなどと、データを取り続けると。それを聞いて、自分には無理と断念しました。でもそれ以後も、人類学は興味がある分野だし、特にレヴィ=ストロースの構造主義には、大きな影響を受けているんです。
奥野 
 人類学は、レヴィ=ストロースの後、八〇年代にニューアカの時代を迎えるとほぼ同時に、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』に、大きな影響を受けました。『オリエンタリズム』の批判を、人類学は自らのこととして引き受けたのです。そして四半世紀その問題にかかずらわっていた。二〇〇〇年前後にようやく、そこから抜け出したのが、レヴィ=ストロースの弟子筋の、ヴィヴェイロス・デ・カストロやフィリップ・デスコラといった南米大陸先住民社会の研究者たちでした。レヴィ=ストロースの最も大きな問題意識は、自然と人間の関係性でしたが、彼らもまた、自然と人間という二元論を探究しようとします。民族誌のフィールドワークをベースに、南米の先住民の世界観を「存在論的転回」と呼ばれる域にまで高めた新しい人類学が、ここ十年ぐらいで大きな流れとなってきています。
高野 
 文化人類学が『オリエンタリズム』を引き受けたとは、どういうことですか。
奥野 
 西洋が一方的に東洋を表象したという、『オリエンタリズム』で批判された構図は、そのまま人類学にも当てはまります。西洋人の人類学者が、非西洋の中に入って行き、民族誌として一つの文化を体系的に描く。それは西洋が東洋を支配し、代弁しようとする図式に他ならない。その問題について、人類学をあげて取り組んだのです。

八〇年代には、「民族誌を書く」ことを巡って議論がなされ、『文化を書く』という論集が出されました。そうしたポストモダン人類学では、『オリエンタリズム』を引き受け、本質主義の問題が論じられました。異文化を把握し規定することや、一個人の体験からその民族の本質を語ろうとする姿勢を問うことからやがて、文化人類学者に異文化を表象する権利があるのかという議論へと流れていきました。そのような議論に絡め取られ、人類学者たちはそこから抜け出せなくなっていったのです。八〇年代後半からずっと、人類学はうつむき続ける猛省の時代だったのです。

人類学ではそれ以降「未開」も「辺境」という言葉も使えない。そうした土地に行くこともできなくなり、国内や都市にフィールドを新たに求めたりして、あがき続けたのです。  
高野 
 なるほど。そういう経緯を踏まえて、この本があるわけですね。この本には、人間の根源に関わる議論がたくさん出てくるので、文化人類学では当たり前のように、体験から思考することが行われているのかと思っていました。
奥野 
 先ほどの高野さんが人類学に幻滅された話のように、生態人類学では狩猟民の研究といっても、分配を数値化するというような、非常に細かいデータ収集をします。それは継承され、今日の人類学の核になっています。しかし人類学はそもそも、人類の起源や発展を考察する学問だったはずです。そして狩猟民を考えることは、人間の根源のあり方に触れる、ないしは触れようとすることに繋がるのだと言えます。そう思って、ボルネオ島に残っている狩猟民の生活に入り、人間の根源のあり方を探ろうとしたのが、この本の出発点でした。
この記事の中でご紹介した本
昭和声優列伝  テレビ草創期を声でささえた名優たち/駒草出版
昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち
著 者:勝田 久
出版社:駒草出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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