『ぼくは君たちを憎まないことにした』 アントワーヌ・レリス氏インタビュー  パリ同時多発テロから約二週間の日々をつづる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年7月22日 / 新聞掲載日:2016年7月22日(第3149号)

『ぼくは君たちを憎まないことにした』 アントワーヌ・レリス氏インタビュー
パリ同時多発テロから約二週間の日々をつづる

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ジャーナリスト、作家のアントワーヌ・レリス氏の本が邦訳され、ポプラ社から刊行された。『ぼくは君たちを憎まないことにした』――これは、昨年十一月に起きたパリ同時多発テロ後に、レリス氏がフェイスブックに綴った「手紙」のタイトルでもある。「金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪った。その人はぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。それでも君たちがぼくの憎しみを手に入れることはないだろう(土居佳代子訳)」。バタクラン劇場のテロで妻・エレーヌさんを亡くしたレリス氏が、ごく私的なものとして書いた「手紙」は、世界中で、三日間で二〇万回以上も共有された。

本書には、事件から約二週間の、幼い息子との日常が綴られている。愛と恐れと悲しみと、生き続けるための「憎しみ」との闘いが、妻を失った極限の感情の元で精製された美しい物語だ。今回、レリス氏の来日で、ジャーナリストの増田ユリヤ氏によるインタビューが実現した(通訳はフローラン・ダバディ氏)。ごく最近も、トルコ、マレーシア、バングラデュとテロが続き、フランス・ニースでもまた多くの人々が犠牲となった。レリス氏の言葉をお届けする。(編集部)


悲しむことの大切さ

増田
私が初めてこの本を読んだときに、まず思ったことは、エレーヌさんのようにお互いに心の底から愛し合える人と出会えたアントワーヌさんは、本当に幸せな方だと思ったんです。
レリス
そのように言っていただいてうれしいです。テロ事件の後、フェイスブックに「手紙」を投稿しました。それに対して多くの人から驚く程たくさんのメッセージが届きましたが、その内容はテロリズムについての意見、或いはテロリストに対する私の姿勢への感想でした。でもこの本を書いた後は、むしろ、増田さんが言われたように、愛や、父と息子の物語に力づけられた、というメッセージがほとんどでした。以前も今も、これからもエレーヌは、私の最愛の妻です。エレーヌとの恋愛は、私の人生の軸であり、私たちは最高のカップルでした。その秘訣は、人生において全く計算せずに、心の赴くところに二人で歩むことでした。それはある意味ではリスクを伴います。将来のことを考えずに、日々情熱のままに生きていたわけですから。でもそれが、恋愛の深い絆の背景だと思うんです。
増田
二人の関係はとても素敵で、だからこそ私も含め読者も深い悲しみに誘われたのだと思います。
レリス
悲しむことの大切さ、悲しみの精神過程が大事だということを、必ずしも皆が理解してくれるわけではありませんでした。心理カウンセラーは、私の傷に包帯を巻き、なんとかして私から悲しみを取り上げようとするように感じました。私は、悲しみや寂しさが、人を不幸にするとは思っていません。それは貴重な感情です。だからエレーヌとのラブストーリーが存在していたし、今でも存在するという証なんです。一滴一滴の涙を大切に、悲しむ過程を失われた時間とは考えない。その時間はむしろ私の宝物だと思っています。

私の本を読んでも、学ぶようなことは書かれていませんが、もしかしたら感情を整理する助けにはなるかもしれない。それが文学の役割ではないでしょうか。
増田
アントワーヌさんが、ジャーナリストや作家という、書く仕事を選んだ理由をお聞きしたいのですが。
レリス
書くことは素晴らしい情操教育だと思ってきました。私は子供のときから感受性豊かに生きてきたと思っていますが、そうした感情をより深めるためには、言葉にすることが必要ではないかと。書かなければ、頭の中にある想像や映像も失われてしまう、そういう危機感があったかもしれません。

また若い時から、スピーチをどう構成するかとか、話をするときに言葉をどう選び結成するかというようなことに、興味を持っていました。常に言葉とともに生きてきたと思います。
増田
子どもの頃から本を読むことがお好きでしたか。
レリス
いいえ(笑)。実は子ども時代にそれほど本を読んでいませんでした。ただ、割りと早い時期から、新聞を読む習慣がありました。政治が好きだったんです。フランスの政治家はとても雄弁で、彼らの言葉に魅了されました。なぜこれほど言葉を美しく話せるのかと。ただ、大人になって辿り着いた場所は、文学だったのですが。
増田
政治家になろうとは思わなかったんですね。
レリス
十八歳までは政治家のスピーチや、ニュース番組が大好きでしたが、そのうちに政治家の美しい言葉には実は中味がなく、彼らは自分の言葉に酔いしれていて、その言葉は実のところ、本人にしか聞こえていないのではないか、と気づきました(笑)。子どもの頃から映画が好きで、アートに対する関心もあったので、そこから文学、音楽、絵画へ興味が広がり、言葉の美しさは、もっと抽象的な世界で追い求めることになりました。

宗教や民族を超えて

増田
ちなみにアントワーヌさんは、パリのご出身ですか。
レリス
パリの西側の郊外に生まれ育ち、ずっとパリ市内に住む夢を持っていました。それが叶えられて十三~四年経ちます。
増田
アントワーヌさんにお会いするということもあり、先月の末、パリへ行ってきました。テロの直後に行く予定だったのですが、状況が深刻で取材に行けなかったのです。その折に、不躾だったかもしれませんが、本の中に、モンマルトル墓地にエレーヌさんのお墓があると書かれていましたので、お参りさせていただきたくて、お墓を訪ねました。白くて真新しい四角い墓石の左上に小石が円形に積んであって、その真ん中に、息子さん?でしょうか。写真が置いてありました。
レリス
エレーヌはアルジェリア系ユダヤ人なんです。
増田
そうでしたか。
レリス
ユダヤ教では、必ず、お墓に石を積むのです。ですからそれは彼女の伝統に敬意を示す行為なのですが、実はもう少し個人的な意味もあります。エレーヌと私が結婚した九区のシャプタル通りに二人の思い出の場所があります。私たちにとって象徴的な場所の石を拾ってきて、墓に置いているんです。写真は、息子のメルヴィルを最近保育園で撮ったもので、エレーヌにメルヴィルが元気にしていることを伝えるために置いたのです。
増田
パリでは、一月にシャルリーエブドの事件もありましたね。フランスは多民族国家として、欧州の中でも難しい問題を抱えています。今、エレーヌさんがアルジェリア人でユダヤ教徒だとお聞きしましたが、私はフランスに住むイスラム教、ユダヤ教、キリスト教、それぞれの立場の方が、お互いのことや、自分の宗教をどう考えているのか知りたくて、取材を続けています。シャルリーエブドの事件の折には、エレーヌさんとお二人で追悼の蝋燭を灯しに行ったそうですが、例えば、宗教の違いについて、話し合ったり、考えるようなことはあったのでしょうか。
レリス
フランスという多民族国家について、或いはパリに異民族が混ざり合って居住している状況について、私は充分な知識を持っていません。そのため主観でしか話せませんが……先日、パリ市長のアンヌ・イダルゴさんに会う機会がありました。彼女によれば、シャルリーエブドのテロ事件の後、過激な思想をもつイスラム教徒や、イスラム教徒の住民が多いパリの東側地区では、「シャルリーエブド事件は自業自得だ」という考え方があったそうです。ムハンマドを冒涜するような風刺画があまりに挑発的だったのではないかと。一方で十一月のバタクランのテロ事件の後に、同じ地区の人びとに話を聞くと、彼らにもなぜそのようなことをしたのか、真意が分らない、と言っているそうです。その話を聞いて、バタクランのテロ事件の後、パリの様々な民族の気持ちが近づいたのではないか、と感じたんです。
増田
なるほど。シャルリーエブドの事件は、テロを起こした理由がまだ考えられる範疇にあったけれど、バタクランの事件は、何ら罪のない不特定多数の一般市民が巻き込まれて犠牲となった。それは宗教や民族を超えて、絶対に許されることではない、という思いが共有された。だから、様々な背景をもつ人たちの気持ちが近づいたとレリスさんは感じられたんでしょうね。

言葉は煽動のためにあるのではなく

増田
一昨日の会見では、レリスさんの本がアラビア語で刊行されることになったと話されていましたね。
レリス
はい、エジプトの出版社からです。
増田
アラビア語圏で、どのように読まれることを期待していますか。
レリス
いいえ、作家はクリエイターであり、仕上った作品は、作家のものではないと思っています。ですから、エジプトの読者、アラブの読者が私の本をどう捉えるのかは、あくまで彼らの自由です。私が読み方を強いることではありません。私の言葉を彼らの感性で受けとめて、自分のものにしてもらえるなら、うれしいです。
増田
アラビア語での翻訳をうれしい、と話されていましたが、それは宗教的な意味合いというよりも、ご自身の本をより多くの人に読んでもらえる喜びだったのでしょうか。
レリス
イスラム圏の出版社が、この本を出版することが、象徴的な出来事であることは分かりますし、それに対して全く感動しないといったら嘘になります。でも、出版の意向に対しては、国を問わず全ての出版社に、手紙を頂きたいとお願いしています。そしてこの出版社からは、テロ事件との関わりや、フェイスブックの「手紙」の拡散とは別に、私の文体に感動したと手紙が来たので、それならぜひ翻訳してください、と言いました。
増田
出版社に、依頼を手紙で、お願いしているのはなぜですか。
レリス
フェイスブックの「手紙」と、書籍は、異なる過程を経ることになりました。ですから例えば、この本が、フェイスブックの、ある種のムーブメントの延長上のものとして、紹介されるのは困るのです。特にアラブ世界で、テロリズムとの闘いを掻き立てるために、センセーショナルな帯や前書きをつけられるようなことは避けたい。できるだけ私の文章を理解してくれる出版社に、その権利を持ってほしかったんです。
増田
フェイスブックで拡散した「手紙」を書いた時と、本を書いた時では、心境や状況が違ったということですか。
レリス
私自身の心境は変らないのですが、フェイスブックの「手紙」は自分のために、身近な友達や家族に宛てて書いたつもりだったのです。ところが投稿した後、私のコントロールから遥かに遠い場所に行ってしまった。もちろん言葉の通り読んでいただければ、本と同様に、私と息子とのごくプライベートな話です。でも世界中で共有されるうちに、私が送ったメッセージとは違うものとして届いてしまったところがあると思っています。書いたことに後悔はないのですが。
増田
つまりレリスさんにとって言葉は、作家が何かを訴えたり、煽動するためにあるのではなく、自分の手から離れたときには、読む人の解釈に委ねられるものだと。そのような考え方をお持ちだということでしょうか。
レリス
フェイスブックの「手紙」について、あれほどたくさんの人々、何よりメディアに注目されるとは全く考えていなかったんです。私はメルヴィルにテレビを禁止しています。ですから、その翌日もニュースを見ていなかった。自分との時間、メルヴィルとの時間を大切するために、携帯電話の電源もオフにしていました。しばらく時が経って、家族からのメッセージがあるかもしれないと留守番電話を聞いたら、たくさんのジャーナリストから伝言があり、あなたの「手紙」についてインタビューしたいと。正直にいうと、先ほどの発言を撤回することになりますが、本当は少し後悔しました(笑)。それほど大ごとに、取材の対象にまでなると思っていなかったから。でもしばらくして、それは必然だったのかもしれないと思うようになりました。本を出版するきっかけにもなったので、それはそれでよかったのではないか、と考えています。

心が憎しみに支配されぬように


増田
フランス語が堪能な日本人の知人が、アントワーヌさんの本を読んで、文章と言葉が美しいと言っていました。
レリス
自分では分からないですが、私の文章が、多くの人を感動させたと言われるのは、正直にうれしいです。文章とはなんとすばらしい道具なのか、と思います。いつも考えるのは、作家と読者の特別な関係です。作家は孤独の中で物を書き、同じく読者は自分の世界の中で集中を高めてそれを読みます。隔離された作家と読者が、どのようにしてそのコネクションを結ぶのか。作家はどのようにして読者の感性に入り込む言葉を選ぶのか。誰かのために言葉を選ぶことは、大変な作業だと痛感しながらも、大好きな過程です。
増田
いつの日かこの本を、息子さんが読むことを想像したことはありますか。
レリス
この本を隠すつもりはないし、二人の間のタブーにしたくはありません。だから自由に手に取れるように、いつでも見えるところに置いておきます。ただ、他の一般の読者と同じく、彼がどのようにこの本を受け止めるのか、私には分からないし、こう読んで欲しいというガイダンスもありません。彼が人生のどの時点で、この本を発見するのかということも分かりません。
増田
私が言うことではないかもしれませんが、両親がこれほどまでに愛し合っていたことを知ったら、うれしく思うのではないでしょうか。
レリス
一番大切なのは、この本を読んだ後、彼にたくさんの質問が生まれた場合に、私がそれらに答えられることです。だから私はできるだけたくさんの情報を得るように心掛けて、彼が自由に質問できるように、たくさんの答えを持っていたいと思っています。
増田
アントワーヌさんは「自由」という言葉をよく使われますが、生きる上で、そのことを大切に思っていらっしゃるのでしょうか。
レリス
「自由」は、今の私自身の葛藤を最も表している言葉かもしれません。私が書くことが好きな主な理由は、それが私の限りなく自由な時間だからです。と同時に、私の人生が自由かと言われれば、そうではないでしょう。子どもとの日常の決まりごと、父親としてしなければいけないこと、特に一人親としてやることがたくさんあります。妥協も縛りもあって、私が自由かと言われたら決してそうではない。自由という言葉は、それを語るだけでは、何も起らない。行動が伴わないと意味がない言葉です。自由という言葉を、先を照らす灯りとして、そこから何をしていくのか、その人次第です。
増田
「ぼくは君たちを憎まないことにした」という言葉に、多くの人が勇気を得たと言われています。レリスさんご自身はこれまでに、憎むという感情を抱いたことはありますか。
レリス
誤解してほしくないのですが、憎しみをはじめ、あらゆる負の感情を、私は排除しようとはしていないんです。憎しみをモンスターに例えるなら、モンスターの目をちゃんと見て、受け止めてからそれと闘う。モンスターに支配されたくない、ということです。昔も今も私は同じ人間で、テロ事件が起こったから変ったことはほとんどありません。ただ感受性はより鋭敏になり、幸せなときも悲しいときも、感じることが強くなりました。そして、昔からそれほど人を憎むような性格ではなかったと思いますが、今はなおさらそれがなくなりました。
増田
憎しみを持つことは、辛い感情を抱え続けることだと思うんですね。仏教では、「怨みは怨みによって果たされない」と言われます。怒りや怨みは、憎しみによっておさまることはなく、憎しみを感じる存在のあることが、増々その人を苦しめるのではないかと。
レリス
仏教の知識はありませんが、今の私の気持を正しく表しているように感じます。憎しむことが苦しみを導きます。憎しみを抑え、負の連鎖を抑えることはとても難しい。それは日々の闘いです。ただ分かってきたのは、最初の一歩目は難しいかもしれないけれど、だんだん楽になるということ。憎しみと闘うコツを私たちは学びとることができるのです。逆に、負の力を使って、人を憎んだり咎めたりする精神過程に入ることは、最初は楽ですが、どんどん辛くなっていきます。自分の心が、憎しみに支配され、雁字搦めになっていくのです。
増田
「憎まない」というのは、そういう状態から自由になる、という選択なのですね。
レリス
私の精神過程が求めたのは、まさにそこから解放されることでした。怒りを自分の生きるパワーにする人もいるので、それ自体を私が判じることはしませんが、私自身はそのように生きることを選ばないということです。
この記事の中でご紹介した本
ぼくは君たちを憎まないことにした/ポプラ社
ぼくは君たちを憎まないことにした
著 者:アントワーヌ・レリス
出版社:ポプラ社
以下のオンライン書店でご購入できます
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