対談=鹿島茂×森まゆみ 神田神保町を世界遺産に 鹿島茂著『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年4月27日 / 新聞掲載日:2017年4月21日(第3186号)

対談=鹿島茂×森まゆみ
神田神保町を世界遺産に
鹿島茂著『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)刊行を機に

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筑摩書房より鹿島茂著『神田神保町書肆街考―世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで』が刊行された。本書は東京都千代田区神田神保町の変遷を歴史探偵・鹿島茂氏が多彩な書物を縦横に繙きながら詳らかにしてゆく。本書の刊行を機に街歩きなどの著書も多い作家の森まゆみ氏と対談をお願いした。対談で語られたことは本書についてのほんの一部。本の街以外にも様々な顔を持つ神保町の全貌を知るにはぜひ本書を手にとってほしい。そもそも神保町という町名の由来、江戸時代に旗本・神保長治が神田小川町に屋敷を構えたことに端を発しているとか。世界的にも稀有な本の街の過去、現在、そして未来とは――。 (編集部)

写真上は、関東大震災の復興絵葉書より。大正末~昭和初期頃。神保町のすずらん通りと思われる場所。画面奥には靖国神社の鳥居がかすかに見える
地図を見ながら変遷を辿り、神保町の全部を書く

鹿島 茂氏
 『神田神保町書肆街考』は「ちくま」の連載でも読んでいましたけど大変だったでしょう。お疲れさまでした(笑)。五百頁を超える大著ですが相当、加筆したんですか。
鹿島
 分量は連載と同じです。連載七十回分です。増減はないけれど入れ替えはしました。
 月一回だから、六年弱! 長くやらせてくれた筑摩書房も偉い(笑)。
鹿島
 書くなら神保町のことを全部書いてしまおうと思ったら長くなってしまいました。
 ずっと文章だけで神保町の町を説明していくのかなと思っていたけれど途中に地図が入っていてこれも面白い。虫眼鏡を持ってじっと見ました。
鹿島
 書いている時も虫眼鏡が欠かせなかったですね。神保町の地図は意外と無いんです。昭和二十七年に火災保険会社が作った地図(火災保険特殊地図)があって、住んでいる人の名前まで書いてある。これがとても役に立ちました。他には古書業組合の作った地図。これらを見ながら神保町の変遷を辿りました。
 今の神保町は古い建物は寥寥たるものでしょう。バブルで壊されて。
鹿島
 靖国通り沿いにあった看板建築は一、二軒しか残っていない。昔は長屋風の十一軒長屋が残っていましたけれどね。
 ビアホールのランチョンの二階から見ると目の前に並んでいた丸窓の風景が楽しかったですよね。昼間に飲むビールがまた美味しい(笑)。あそこも古いですよね。
鹿島
 明治四十二年からある。一九七二、三年にランチョンが火事になった時に、僕の友人がその前を通るとビールを持って逃げ出してきた吉田健一に遭遇したそうです(笑)。
 明治大学の先生でしょう。テストの採点をランチョンの人にやらせて自分はビールを飲んでいたとか(笑)。その話を書いて見せに行ったら、そこだけは書かないでくれと言われたことがありました。ランチョンから見える鞄屋さんも古いですよね。
鹿島
 レオマカラズヤね、あそこも老舗で昔の神保町の写真をたくさん持っているんです。この本の出版記念パーティーでは、写真をスライド上映して、みんなに同定していただきました。
 私も以前に『神田を歩く』(毎日新聞社)という本を出しましたけど、二〇〇三年の景色ですら今はほとんどない。淡路町の同和病院や名倉病院も消えちゃった。
鹿島
 同和病院は共立女子大学指定の健康診断の場所だったから毎年行っていたけれど、ステンドグラスがあってすばらしい病院でした。
 今はワテラスになっている場所は正岡子規や南方熊楠の共立学校の跡地でしょう。正岡子規もね、神田あたりの下宿を転々として、最後は一高の前身の第一高等中学校の寄宿舎に入って、神保町あたりで焼き芋を買って体を温めていた。淡路町小学校のところね。
鹿島
 そうですね。あの辺りに戦後のある時期まではシネマパレスがあったんです。
 神田界隈には映画館が結構あったみたいですね。私は映画をあまり見ていなかったからよくわからなかったけれど。東洋キネマは相当後まで建物は残っていました。
鹿島
 シネマパレスは僕もさすがに行ってはなかったけれど南明座は間にあいました。植草甚一や小林信彦はシネマパレスが東京一の名画座だと言っていたそうです。場所については色々な人が色々なことを言っていてはっきりわからなかったけれどこの本で同定しました。ワテラスアネックスがシネマパレスのあった場所ですね。
 タキイ種苗の所も映画館だったんですね。パチンコ屋の人生劇場がある辺り。
鹿島
 あれは神田日活。僕が神保町に通い始めた頃は既に神田日活の場所はタキイ種苗に売却されていて植木鉢がズラッと並べてあった。前を通る度に不思議な映画館だったんだなとずっと思っていた(笑)。

有斐閣、三省堂書店、冨山房、東京堂書店…、創業者は皆個性的

森 まゆみ氏
 鹿島さんとは五歳くらい年齢が違うから、当時のことはちょっと見ている景色が違うんですよね。子供の頃、最初に来たのは三省堂書店でした。
鹿島
 三省堂は学習参考書や教科書が強いから。
 三省堂はおもちゃも結構置いてあったんですよ。ステンドグラスを作るキットとか厚紙に書かれた等高線を切って重ねていくと山ができるのとか、そういうのを買いに来ていました。その頃は神保町界隈の学校の校章マークのブックカバーだった記憶がある。それが珍しくて箱に貼ったりしていましたね。三省堂は創業者の奥さんが勉強熱心でドイツ語まで読めるようになったんでしょう。
鹿島
 洋書を扱うからと勉強し始めてドイツ語をものにしてしまう。
 ここに出てくる創業者は皆個性的ですね。有斐閣も冨山房も岩波書店だって元は古書の扱いから始めていて。
鹿島
 有斐閣も失業した武士が始めたし冨山房も士分を捨てた小野梓が作った東洋館から派生している。神保町は山口昌男的に言うと、武士の負け組が作った町という側面もある。あとは米百俵の新潟県長岡の人脈もあるでしょう。
 博文館を作った大橋佐平ですね。あの息子が「金色夜叉」のモデルの大橋新太郎で、婿が天才編集者の大橋乙羽で。
鹿島
 大橋一族から東京堂の実質的創業者が誕生し、大橋家を頼って長岡から流れ込んだ人によって古書店の一誠堂書店が出来る。そして一誠堂が古本屋の学校となり、今の山田書店や八木書店や厳南堂や小宮山書店といった古書店に続いている。その流れは東京以外にも広がっています。
 私はこの本に出てくる人達のお墓の方が身近かな。小野梓も明治大学を作った一人である岸本辰雄も谷中墓地のお墓をイメージしちゃう(笑)。大橋家のお墓は西日暮里の養福寺にあるし。
鹿島
 東京堂は今も社長・会長が大橋さんですから歴史がありますね。神田村と言うと神保町を含めた神田エリア全体を思い浮かべるけれど、狭い意味だと取次村のことで、取次村になった経緯は取次業を兼ねた東京堂があったからです。戦後は日配(日本出版配給株式会社)が解体されて小さな取次がたくさん出来た。今も東京堂の裏あたりにはその名残がある。その中で一番大きかったのが栗田書店(栗田出版販売の前身)でした。
 栗田も無くなってしまったね。ショック! 私も駆け出しの頃、よく行きましたよ。
鹿島
 栗田書店にいた鈴木真一が作った鈴木書店も二〇〇一年に倒産した。本の最後で取次のことも書いたけれど、取次の歴史は東京堂の歴史を読むとよくわかるんです。博文館が次々に雑誌を創刊して、自社の雑誌は自前の取次網がある。しかし、他社の雑誌にはない。そこでその雑誌を地方書店に送るために取次網を整備するために東京堂を創った。それが最初の取次組織です。今は雑誌が落ち込んでいるから取次も危機になっている。
 “雑高書低”と言われて雑誌が売れると昔は言われていたけれど…。明治四十四年の女性解放誌、平塚らいてうの「青鞜」も取次は東京堂でしたね。古書店のパートでは一誠堂書店が古本屋の学校と言われるようになった反町茂雄さんの功績についても多く書かれていましたね。お会いはできなかったですが、西片町のお邸の前はよく通りました。
鹿島
 反町さんが書いた本を読めば神保町の歴史がよくわかる。この本ができたのも古書業の変遷を記録しておいた反町さんのおかげです。ところで、この本を書いてわかったのは、古本屋も持ちつ持たれつで集住性のメリットがあるということ。つまり自分のところで買い入れた本の中で自分の専門からは外れた本は市に出して、その専門のところに流れていく。それをするには同業者がまとまってあった方がいい。だから専門店街が形成されるのは集住性のメリットです。

夏目漱石についての新発見か!?

 同じジャンルを売っているわけじゃないから協力し合っているんですね。調べていくと面白いですよね。私も近代の伝記が好きですから、もうオールスターパレードという感じね。この本は徹頭徹尾古本屋さんのことを書いているのかと思ったら、神田に大学が出来ていく過程もボリュームを割いて書かれているでしょう。ああいうことは本当にわからない。この厚い本でもスルスルと読めましたね。学生と本屋が持ちつ持たれつの町だということもよくわかりました。勉強し終わったら古本屋に売る。私も明治物を書くたびに東大の名前がコロコロ変わるから困る。あれは迷惑よね(笑)。
鹿島
 年に二回くらい変わることもあった(笑)。
 読んでいてヒドいと思ったのは官僚の思惑で大学の制度がどんどん変わる。
鹿島
 廃校にしたりね。
 各学校の校史というのが出ていて、引用がうまいのか、なかなか名文なのよね。
鹿島
 例えば『東京外国語大学史』は、中嶋嶺雄さんが学長の時にルサンチマンを持って作ったから非常に良い校史になっている。僕が学校の歴史に目覚めたのは、共立女子にいた頃に学校が『共立女子学園百年史』を作ったんです。普通は誰も読まないでしょう、僕も読まなかった(笑)。でもある時に時間を潰すつもりで読み始めたらとても面白くて止まらなくなった。それで学校史の面白さに目覚めたんですよ。
 明治大学も元はフランス法学系の人たちが作った学校でしょう。
鹿島
 フランス留学をした岸本や宮城浩蔵らが明治大学の前身の明治法律学校を創立した。なぜ私立大学ができたかと言うと、東大が明治初年に外国語教育を英語だけに統一する方針を出したからです。フランスやドイツで学んだ人たちの行き場がなくなってしまった。それでフランス留学組が明治大学、ドイツ留学組が日本大学の前身の法律学校を自分たちで作った。一方、英米のロースクールに留学した人たちは、官吏養成の東大の法学部とは異なる弁護士養成のためにイギリス留学組が中央大学、アメリカ留学組が専修大学を作った。東大の英語統一が色々なところに余波を与えている。
 どうして英語に統一したんでしたっけ?
鹿島
 それは英仏独の三カ国語の授業があれば教師をたくさん雇わなくてはならないから。一人にたくさん授業をやらせる大学経営の簡略化です。これで日本の文化も随分変わったでしょうね。私立ができたから良いけども。
 ほとんどの私立大学が法律から始まっているんですね。これは知らなかった。
鹿島
 そうでしょう。司法試験を政府が恣意的に毎年変えたから、それに対処するためにできたんです。
 よくそんなに厳しい試験を受けたいと勉強をした人がいたもんだ。あと勉強する期間が長すぎる。漱石も十六歳くらいで大学予備門に入って一回落第して帝国大学に入ったのは二十三歳くらいですよ。それで二十六歳くらいに卒業して大学院に進む。四十九でなくなっちゃうのに。子規は大学を中退して正解でしたよ。出ないと俳句も短歌も革新する時間がなかった。三十五で死んじゃうんだもん。
鹿島
 漱石は東京府立第一中学校の一期生でしょう。本には書かなかったことがあるんです。千代田区が作った『千代田区教育百年史』に府立一中の全員の名前が出ている。でも本名の夏目金之助の名前は無かった。養子に行った塩原金之助かなと思ったけれどそれもいない。でも松葉金之助はいるんです。塩原家に行く前に養子に出されているでしょう。
 本郷の古道具屋か何かですよね。
鹿島
 そこの最初の養子先は伝記にも残ってないんですよ。
 確かに聞いたことがない。異母姉がかわいそがって実家に連れて戻った。
鹿島
 だから僕は新発見かなと思っている(笑)。
関東大震災の復興絵葉書より。大正末から昭和初期頃。靖国通りを走る都電。小川町から駿河台下方面を見る
神田チャイナタウンの起源は 嘉納治五郎

 神保町に中国人留学生がどっと来る話も、フレンチクオーターの話も幕が開くように次から次へと書かれていますね。
鹿島
 留学生の黄尊三が書いた『清国人日本留学日記 一九〇五―一九一二』を古本で手に入れたんです。その中に日本食のことが書いてあるんです。非常に気の毒に思ったのは、清国から日本にやって来た留学生がみんな脚気になってしまう。そのわけを「日本は四方が海で湿気が多く、米にも湿気が多い。それを沢山食べると脚気になり」と書いてある。

中国は肉食で米も地域によるけれど大部分がインディカ米でしょう。それに比べて日本はジャポニカ米の一汁一菜で肉をあまり食べないし野菜も少ない。そして米をたくさん食べる習慣がある。生活水準があがってくると白米になる。おそらく嘉納治五郎が開いた中国人留学生受け入れ施設は優遇しているつもりで白いお米をたくさん食べさせたんです(笑)。そうするとかわいそうなことに脚気になってしまった。だから中国人留学生の間では脚気は日本の風土病だと思われていた。それで栄養不足で脚気にならないために中国の郷土料理を食べなければいけない、ということで神保町に中華料理屋がたくさんできたんです。しかもいろんな地域から留学生が来るのでその地域の料理屋ができるのでどんどん増えていったことが神保町に中華料理屋の多いきっかけになっている。
 私も周恩来が行っていた駿河台下の漢陽楼で聞いたことがあります。あの頃はただのぶっかけ飯よね。
鹿島
 中国のことを書いていて面白かったのは、中国共産党は日本語の文献を読ませるために留学生を送り込んでいたことです。
 日本語でマルクス主義の勉強をさせる(笑)。
鹿島
 日本がマルクス主義理論学習の基地だったから日本の本を通じてマルクスやレーニンの著作に触れていた。いかに日本の翻訳文化がすごかったかとも言える。
 漢字を使ってあるからドイツ語や英語を覚えるよりも分かりやすかったのかな。
鹿島
 中国人の方が英語は遥かに上手いはずですけれどね。
 中国人留学生は科挙制度が廃止になったり、辛亥革命が起きたりで時の政治に翻弄されていますよね。読んでいてかわいそう。でも中国人留学生を受け入れた嘉納治五郎は偉い人ですね。柔道を広めただけじゃない。面倒見が良くて大人で。今あの人がいたら、次の東京オリンピックはもう少しまともになるんじゃないかと思ったけれど(笑)。
鹿島
 神田チャイナタウンの起源になっている。戦前の人はみんな偉いですよ。
 嘉納に請われて中国人留学生の面倒を見た松本亀次郎も偉いよね。魯迅も周恩来もこの人に教わっているんですね。
鹿島
 日中交流の父と呼ばれていますね。
 本気になって異国の青年たちの世話をしたんですからね。読んでいると私の家族に関係あることも出てくるんですよ。父は水道橋の東京歯科医専で、母は白百合に幼稚園から行って、二・二六事件を目撃しています。
鹿島
 森茉莉に言わせると白百合の仏英和ではフランス語の方が格上だった。
 フランス語と言えば私もアテネ・フランセは会社の帰りに行きました。いつまでも残業させられる会社だったから早く帰りたいばっかりに(笑)。フランス語は全然ものにならなかったけれど。映画見ると、あの頃が甦って、結構わかる。
古本屋が成り立っていたのは本が耐久消費財であったから

三省堂書店神保町本店近くのカフェ、ミロンガ・ヌォーバと
ラドリオがある小径
鹿島
 アテネ・フランセから駿河台を下って日本大学の裏手にコンボというジャズ喫茶があって、僕はアテネ・フランセに行くと午後はそこでだいたい過ごしていましたね。
 鹿島さんは東大で勉強する以外にもアテネ・フランセに行かれたんですか。
鹿島
 学生運動のストライキで東大では授業がなかったから(笑)。途中からは自分で登校拒否してた。でも語学はやっておかないといけないと思ってアテネ・フランセに行きました。
 創立者のジョゼフ・コットは大した人ですね。
鹿島
 アテネ・フランセにある小さなパンフレットを読んで非常に感動しましたね。情熱の人ですよ、コットさんは。
 関東大震災や空襲でアテネ・フランセも何度も焼けてしまって読んでいて気の毒で。でも使命感を持ってまた建てる。あと、私が唯一受けさせてもらえた筑摩書房も神田にあって、試験は中央大学の大教室でした。こんなにたくさんいたら受かるわけないなって。それから地域雑誌「谷根千」を始めた時は八木書店さん、岩波ブックセンター、東京堂、書肆アクセスなどにおいてもらいました。足を向けて寝られません。街の話に戻るけれど神保町界隈もここ十五年くらいで三井ビルディングができてずいぶん変わりましたね。
鹿島
 そうですね。僕は共立女子に三十年いたし神保町にも住んでいたから肌で感じてきました。
 いくつかあの辺りの名店が無くなったでしょう。ロシア料理のバラライカとか。
鹿島
 あと植草甚一が好きだった喫茶店キャンドルは三井ビルの下に入っている。無くなって非常に惜しい店はキッチンヤマダという洋食屋。森さんの『神田を歩く』の四十九ページにありし日の姿が写っている。ここは人類学的にとても面白い店だった。十一時五十分頃になると行列ができるんです。店に入って注文して、二十分経っても何も出てこない。三十五分過ぎた頃にようやく注文したものが出てくる。注文を聞いて全部作り始めるから、その間はお客も何もしないで待っている(笑)。待てるのが神保町の人たちだった。
 今なら考えられないですね(笑)。
鹿島
 さらに関東大震災以来、掃除をしてないのかと思うような佇まいだった。
 神保町にカレー屋さんが多いのはなぜでしょうね? 本には書いてなかった。
鹿島
 カレーは謎ですね(笑)。
 買ってきた本を読みながら片手で食べられるからかな。ボンディ、共栄堂、エチオピア…。
鹿島
 最近はニューウェイブも結構ある。神保町の行列の店は今だと讃岐うどんの丸香とラーメン二郎ですよ。神保町はラーメンの激戦区だけど昔は全然無かった。
 水道橋との間にさぶちゃんがあったくらいでしたね。これからの神保町はどうなるんでしょう。
鹿島
 古書街としての神保町については一つ結論が出たんです。古本屋が成り立つ条件があるんです。それは本の新刊の定価が高くなければ駄目ということ。五百円の文庫が古本になって百円になっても古本屋には何の旨味もない。でも五千円の本ならば千五百円で引き取って三千五百円で売れば二千円の利益がでる。古本屋が成り立っていたのは本が耐久消費財であった時代です。それが円本に始まる書籍の低価格化、消費財化によって機能しなくなってくる。だけどここに来て、日本は格差社会になっているから、書籍は高額化する。安い書籍は全部電子化して書籍という形態を経ない。書籍は発行部数が減るから定価があがる。すると再び元に戻るというのが僕の考えです。
 希望的観測(笑)、かな。著者が貧しくなると資料も買えないし。
鹿島
 だからこれからの古書業界は良いかもしれない。そのかわり格差社会が激しくなるから完全に古書は庶民とは無縁のものになる。
 「東京人」などの雑誌で古書特集をやると売れますよね。
鹿島
 必ず売れるね。ただ古書店主になりたい人はたくさんいるけれど古書を買いたい人はほとんどいない。カラオケ現象ですよ。
外国人へ向けての観光地化がある程度は必要

 歌いたい人はいるけれど、聞きたい人は誰もいない(笑)。今は馴染みの店を継承しようと息子と飲み歩いているんです。ランチョンやさぼうる、明治からやっている居酒屋のみますやも。他にどこがあるかしら?
ラドリオ
鹿島
 やっぱりミロンガやラドリオのある横丁ですよね。行こうと思っていたらいつの間にか無くなっちゃうことが多いから今すぐ行った方がいい。
 あそこは保存してほしい場所ですよね。
鹿島
 本にも書いたけど伊達得夫の書肆ユリイカがあった頃の路地の雰囲気が残っている。今は壁で塞がれているけれど、みんなが転げ落ちた十三階段がまだあるらしいから(笑)。
 須田町のまつや、淡路町のぼたん、アンコウの伊勢源などは古い建物で残っているでしょう。あれは東京都の生活文化局の歴史的建造物の選定をしたからでもある。ミロンガの辺りもした方がいいですよね。
鹿島
 何かの拍子にざっとまとめて変わっちゃうからね。
 店主たちの意志ですね。ああいうのを残すのはお客が来るきっかけにはなると思う。
鹿島
 フランスは土地の所有、建物の所有、建物での営業権の三つが分かれていて、その営業権を古本屋組合が買っておくんです。例えば古本屋のおじいさんが引退するとその営業権は古本屋組合に戻る。次に古本屋をやりたい人が現れるとその営業権を貸す。やりたい人が現れない時は短期間で他の業種に貸すんです。他に貸している間は組合の利益になるし、古本屋をやりたい人が現れると優先的に貸してくれる。その点は良いシステムだと思いますね。
 日本は営業権を買えるような力のあるところがあるかが難しいね。これは国家的にやるべきプロジェクト。
鹿島
 ある程度の観光地化が必要ですよ。イギリスのウェールズのヘイ・オン・ワイはリチャード・ブースという男が仲間を募って、古本屋の町を田舎に作ったでしょう。それに類したものがヨーロッパ中にできていて、僕もベルギーの田舎の古書の町に行ってみました。たいしたものじゃなかったけれど、観光バスが続々と来て、お客はそこでご飯を食べて古本屋や街を散策して帰っていくから観光地にはなっていた。だから僕は神保町と秋葉原のシャトルバスを出せばいいと思うんです。
カフェ、ミロンガ・ヌォーバ
 秋葉原は世界的に知られていますからね。神保町の古本街と秋葉原を繋ぐようなね。
鹿島
 今の日本の古本は暴落しているけれど、安いうちに外国人が買っているらしいですよ。だから外国人の目利きで日本の紙物マニアが神保町には来ている。今はネット社会で世界中から見ることができる。だから日本人がまだ目を向けていないものに外国人が目を付けているんです。昔の伊藤若冲と同じですよ。
 そうね。この本に出てきた収集家のフランク・ホーレーってうちの親戚なんです。これだけ中国人観光客が来ているんだから、周恩来や魯迅がいた神保町を体験してもらうのが良いんじゃない?
鹿島
 「周恩来ここに学ぶ」の碑が建っていますね。東亜高等予備学校跡地に。
 漢陽楼で食事をして、学んだ地をめぐり、政治活動の溜まり場だったところや、立ち寄ったであろう古書街を散策する(笑)。もうちょっとアピールしたらいいのに。
鹿島
 東方書店とか内山書店とか中国関連の本屋が今も多いし。フランス人向けには神田カトリック教会からアテネ・フランセに行き、三才社に行くプランもできる(笑)。
 暁星に白百合。パリミッションの夢の跡。そういうツアーを考えよう(笑)。
鹿島
 だからやっぱり神保町は世界遺産にした方が良いんです。世界遺産にすれば開発に歯止めがかかるでしょう。 (おわり)

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逢坂 剛・金髙 謙二対談---「ウォーナー謎のリスト」公開を機に(読書人2016年10月26日発売号より)
この記事の中でご紹介した本
神田神保町書肆街考: 世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで/筑摩書房
神田神保町書肆街考: 世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで
著 者:鹿島 茂
出版社:筑摩書房
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