三上義夫著作集1 書評|三上 義夫(日本評論社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年4月24日 / 新聞掲載日:2017年4月21日(第3186号)

三上義夫著作集1 書評
刊行が待たれた著作集昭和初期に書かれた三上論文をどのように読み解くべきか

三上義夫著作集1
著 者:三上 義夫
編集者:佐々木 力
出版社:日本評論社
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三上義夫(1875―1950)、享年75歳。今日的には後期高齢者になったばかりで亡くなったので、決して長寿ではない。1945年1月に奥様が急逝し、家を空襲で失い、研究の場所であった東京を離れ、故郷の広島県に疎開。第2次大戦の戦禍を一身に受けられた。第1巻の冒頭の「和漢数学科学史研究回顧録」(60頁)は、1945年の空襲のさなかに研究資料の整理をし、大矢真一氏に託し、東京を引き上げる状況からはじまっている。この回顧録は病躯の三上が筆記したものであるが、藤井貞雄、柏崎昭文の手で、読みやすく整理されている。私はこの文を読んで、偉大な歴史家の研究生活、態度を概観することができた。

私は終戦(1945年)のとき3歳、三上の亡くなった1950年には8歳で、三上の謦咳に接したことはない。数学者の道に進んだので、学生のころには、数学史の専門家である三上義夫の著作は敬遠するばかりであった。三上の名著「文化史上より見たる日本の数学」は瞥見したものの、「和算はいわば一種の芸術である」との三上の主張は、和算も数学の一種であると思っていた数学専攻生にとっては、不可解であった。

また、三上は『TheDevelopmentof
MathematicsmaticsinChinaandJapan(シナと日本における数学の発展)』という英語の著作を1913年に欧米で出版している。この本は、2004年にアメリカでファクシミリ版が出版されるなど、百年たった今日でも読み続かれている。戦前、英語で海外に発信できる日本数学史家として、三上は貴重な存在であった。三上以後、今日でも、英語で書かれた日本数学通史は刊行されていない。

日本評論社刊の三上義夫著作集は全五巻で、10年以上の準備のすえ、2017年1月に、やっと初めの二巻が出版された。第一巻は、日本数学史と題し、前記の「回顧録」のほかに、終戦後まもない1947年に刊行された「日本数学史」(131頁)のほか、長短さまざまの日本数学史の論文が収録されている。これらには、史実を重んじなければならないという三上の主張が繰り返し述べられている。第二巻は、関孝和研究と題し、「関孝和の業績と京坂の算家並に支那の算法との関係及び比較」(105頁)のほかに、関孝和に関する論文が多数載せられている。記述には数式があまりなく、数学史のいろいろな話題が逸話も含めて丁寧に述べられているので、文系の人にとっても読みやすいと思う。
三上義夫没後67年の今日、日本数学史、特に、関孝和の研究において新資料が発見され、歴史学上の進展も大いにあった。その中で大正、昭和初期に書かれた三上論文をどのように読み解くべきか、三上の主張の中で訂正しなければならない点はどこにあるのか、大いに気になる所である。第1巻には佐々木力による解説(15頁)、第2巻には小林龍彦による解説(47頁)が巻末にある。簡にして要を得た解説で、今日の研究者の目でみて三上論文およびその後の発展を論じている。第1巻(664頁)、第2巻(456頁)という分厚い書物2冊を手にした時、私がまずしたのは、巻末の解説を読むことであった。探偵小説を結末から読むようなずるい気がしたが、三上の論文の森の中に一つの小径を見つけることができ、書物を紐解く元気が出た。

三上論文は、種々の雑誌に掲載されたので、それらを探し出すことは難しい。この著作集が完成すれば、三上論文が網羅的に参照できるようになり便利である。全五巻の刊行が待たれるところである。
この記事の中でご紹介した本
三上義夫著作集1/日本評論社
三上義夫著作集1
著 者:三上 義夫
編集者:佐々木 力
出版社:日本評論社
以下のオンライン書店でご購入できます
三上義夫著作集2/日本評論社
三上義夫著作集2
著 者:三上 義夫
編集者:佐々木 力
出版社:日本評論社
以下のオンライン書店でご購入できます
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