ラカン的思考 書評|宇波 彰(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年5月1日 / 新聞掲載日:2017年4月28日(第3187号)

ラカン的思考 書評
事後的に体験する感覚様々な思想家との「星座的な相互関係」のなかでその思想を問い直す

ラカン的思考
著 者:宇波 彰
出版社:作品社
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ラカン的思考(宇波 彰)作品社
ラカン的思考
宇波 彰
作品社
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本書は、フランス現代思想を、1970年代にいち早く日本へ導入し、その後半世紀に渡って様々なフランスの哲学者、批評家の著作を自身の視点で読み込み日本に紹介し続けた評論家によって書かれたジャック・ラカンについての論考である。本書の特筆すべき点は、20世紀に傑出していたラカンの数々のテーゼを復唱することでは全くなく、同時代あるいは20世紀のフランスの他の思想家の思想を使いながら、ラカンの思想を浮き彫りにしていく点である。

第1章では、ラカンの言う主体はデカルト的主体とは異なると簡単に片付けられがち(これがむしろ単なるテーゼの復唱である)であるが、デカルトの思想の中にラカンの先行性を著者が認めている。著者は、現代のフランスを代表するデカルトの研究者、ジャン=リュック=マリオンが著書「デカルト的諸問題」の中で「自我が存在するためには、自らを対象化しなければならず、したがって根源にある自我の根源的状態から自らを疎外しなければならない」と述べている一節を引用する。これは、ラカンの「私は考える、したがって、私は存在しなくなる」というテーゼを、デカルトが先取りしていた、と事後的に言えるということである。第2章では、ラカンの鏡像段階論の本質は、統一された身体よりも、鏡像段階以前の「バラバラの身体」のほうにあると述べられている。

第3章、第4章もそれぞれ「シニフィアンの優位」「欲望とは他者の欲望である」というラカンのテーゼを支えている精神について述べたあと、第5章では「解釈とは何か」という問いを巡って、テクストの解釈の本質は、その厳密さや正確さを求めることではなく、「忘却」をテクストの重要な要素として位置づけることであると述べられている。そして、ここから、解釈とは、あとから、つまり、事後的に回帰する対象が生じるという考えが生じるのである。この生じる点こそ、まさに、シニフィアンとシニフィエの接合点である。一方で、この点を欠いている状態について、フランスの現代を代表する哲学者アラン・バデューが「無調の世界mondeatonale」と呼んでいることに著者は注目していることは極めて興味深い。なぜなら事後的にしか把握されず、その世界そのものは決してそれ自体で把握されることはできないものの、現代における人間的変化によって把握される可能性があるからである。

第6章では、事後性について、ベンヤミンのアレゴリー論との関連で、著者の思考を展開させ、さらに、第7章では、事後性から導き出された反復という精神分析の中心概念を巡って、「反復は享楽である」というテーゼや有名な「性関係は存在しない」というテーゼについて、ラカンのタームを使って説明するのではなく、同時代の思想家との関係で辿りなおしていく。第8章で、著者は、ラカンの現実的なもの(著者はル・レエルと記している)の本質は「表現を持たない事物」であると考え、20世紀のベンヤミンを始めとする多くの思想がそこへと至ろうとしていたのではないかと述べられている。ラカンを20世紀においてただ一人突出した思想家と見るのではなく、他の過去や同時代の思想家との「星座的な相互関係」(200頁)のなかでその思想を問い直すとき、事後的に、新しい意味が見いだされるというのが著者の主張なのである。

第9章は、ラカンの思想に関する論考としてはやや異色の体裁をなしている。しかし、非常に本質的な議論を含んでいると本書を論評している評者は考えている。ラカンの中心概念の一つであるtraitunaire(著者は「唯一の特徴」と訳している)という概念は、「コレクション」という概念、つまり、集めるひとと集められる物との関係、集められた物の相互関係などさまざまな関係を内包していて、「実体」よりも「関係」を重視する現代哲学のテーマの一つであると著者は考えるのである。著者は、ネパールに渡りチベットにも日本人として初めて入り、仏典などの蒐集家であった僧侶、河口慧海(えかい)(1866―1945)の痕跡を求めて、ネパールへ訪れている。この痕跡が、traitunaireと関係があることは言うまでもない。

そして、最後の第10章では、20世紀の思想家と対話し続けたラカンが、21世紀において何とどのように対話しうるのか、という問いのもと、サイバー空間とラカンの関係について論じている。20世紀初頭のネパールと21世紀のサイバー空間が、見事にそして違和感なくラカンを通して接続し、さらに、歴史の流れに逆らって、前者が後者を説明しているように感じ取られるが、それは、本書を実際に読まれた読者だけがまさしく事後的に体験する感覚であろう。
この記事の中でご紹介した本
ラカン的思考/作品社
ラカン的思考
著 者:宇波 彰
出版社:作品社
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