オペラ戦後文化論1 肉体の暗き運命1945―1970 書評|小林 康夫(未來社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月22日 / 新聞掲載日:2016年7月22日(第3149号)

オペラ戦後文化論1 肉体の暗き運命1945―1970 書評
きわめて特異な戦後文化論 方法論的戦略に貫かれる

オペラ戦後文化論1 肉体の暗き運命1945―1970
出版社:未來社
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これは、きわめて特異な戦後文化論である。「特異な」というのは、方法論的戦略に貫かれたという意味だ。昨年には「戦後70年」があれこれのメディアで喋々され、それ以前にも「区切り」の年のたびに、まるで周年行事のように語られてきたことは周知のとおりで、ある意味もう飽き飽きしているが、多少なりと情緒的なそのテのモノとは本書は截然と違う。その戦略的方法論を下支えしているのが、書名にも見えるキーワードとしての「オペラ」「肉体」であり、序論で著者自身言うように「実存」である。「自分の実存がそこに投げ出されていた戦後文化の歴史を語ってみたい」。

だが、「実存」「肉体」というタームは既にあまりにも擦り切れてはいないか?という一瞬浮かぶ疑念を払拭するのが「オペラ」という装置だ。「実存」「肉体」というそれ自体意味がなくはないが括りが大きすぎて議論が曖昧になる恐れがある(また「60年代文化」を語るにはある意味では既に陳腐化しているとすら言える)言葉を改めて際立たせたのが、複数の声が交差するこのオペラの場だと言ってもよい。この時、この舞台の演出家は「場」を設えるとともに、自らその舞台になろうとする。

別に言えば、主体―客体という二元論的図式の崩壊を受けて成立したはずの主―客のインターフェイスの場(すぐれて現象学的な間主観性の場)、そこに起動する想像力こそが、ここでは前景化されている。というのは――在来的に(未だに)「創作」と「批評」に妙な仕切りを入れたがる「風習」があるが、ここで問われている文学的想像力とはフィクションと批評とが癌細胞のように切り分けがたくあることを前提としているからだ。したがって、ここで言う「肉体」とか「創造」という言葉にもあらかじめ注意してほしいのではある(「IT的」認識はかかる汚染に免疫能がないことに留意してほしい)。

「1945―70年」という区切りの中では、当然のことながら、坂口安吾、野坂昭如、石川淳、吉本隆明、田村隆一、三島由紀夫、土方巽、唐十郎、寺山修司らが取り上げられているが、こうした名前の連なりはよく見られるものだ。しかし、類書と違うのはここからである。多々言うべきことはあるにせよ、まずはこのオペラ装置の特権的テーマとも言える、大江健三郎の『セブンティーン』『政治少年死す』を中心的に回っている「第三幕 黄金、暴力の問い」を見てみたい。

「第二幕 風、実存の問い」後段で論じた吉岡実「僧侶」から析出した「四」むしろ「三プラス一」の定式に、著者は次のような名を呼び出す。三は李珍宇、永山則夫、山口二矢。プラス一は、樺美智子。李は小松川事件で死刑、永山は連続射殺犯として死刑、山口は社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺し、獄中で首吊り自殺(いずれも、詳しい説明は不要だろう)。

この三人目の死者・山口のテロをモチーフにした大江の作品を参照しつつ、著者が析出する「戦後」は、改めて「戦後」への別様の総括を強いもする。しかしそれは無論のことで、安易な「歴史化」を禁欲しつつ、事件を事件としてわれわれの前に屹立させようとする。60年安保の死者・樺美智子とともにもう一人の「美智子」を呼び出すこの第二幕はなかなかスリリングである。著者はかつて「表象文化論」の仕掛人でもあったが、認識におけるスリルとは何かがよくわかっていると見た(であればこその「仕掛人」である。「知の技法」シリーズの活況はダテではない)。

「「戦後」というこの一個の肉体が、言葉を覚え、詩に目覚め(…)凶暴にしてイノセントな思想へと至るとき、それがどのような劇を惹き起こすのか」「その劇。を上演しなければならない」。しかり、オペラ化の戦略は周到である。そのとき、「エクリチュールは、かならずや「戦後」という「肉体」そのものを内側から解釈し変奏する」ことになる。この劇の場を大切にしたい。で、余計なことを言えば、この「劇」こそが現場の思想である。すぐれてフィクショナルな思想と言い換えてもいい。

かつてある書き手が「戦後と寝る」という言い方をしたことがある。そのくだりを読んだ時の軽い驚きは未だに忘れない。「そうだ、女と寝るように、時代と寝ること」。この感覚的な言い方を方法論的につきつめると、たとえばこのような形になるのかなと思いつつ、再び本書序論に戻れば、(著者が引くフーコーの)「真理は(…)非理性と凶暴性の側にある」という言葉を忘れまい。

著者は既にこのテーマの次のステージに移っている(『未来』連載)。さらなる展開を待ちたい。
この記事の中でご紹介した本
オペラ戦後文化論1 肉体の暗き運命1945―1970/未來社
オペラ戦後文化論1 肉体の暗き運命1945―1970
著 者:小林 康夫
出版社:未來社
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