2016年上半期の収穫から 44人へのアンケート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年7月22日 / 新聞掲載日:2016年7月22日(第3149号)

2016年上半期の収穫から 44人へのアンケート

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大地震や天候の不順、相次ぐテロ、不祥事、選挙など国内外で油断ならない時局が続いています。そうした中、毎年恒例のアンケート特集「2016年上半期の収穫から」を、変わらずお届けすることができました。様々な分野の研究者、評論家、作家、書店員など四四名による、昨年末から今年の上半期に出版された書籍から、精選の三冊です。情勢を知るための、また夏に活字を楽しむための一助となれば幸甚です。掲載は順不同です。(編集部)


【上半期の収穫執筆者一覧】

阿部公彦(英米文学)/飯島吉晴(民俗学)/五十嵐太郎(建築史)/池田喬(哲学・倫理学)/石原千秋(日本近代文学)/岩本真一(衣服産業史)/植村八潮(出版学)/臼杵陽(中東地域研究)/小川さやか(文化人類学)/鎌田東二(宗教哲学)/木村玲欧(防災・減災学)/木本好信(日本古代史)/倉本さおり(ライター)/郷原佳以(フランス文学)/河本真理(西洋美術史)/齋藤純一(政治理論)/佐々木力(科学史・科学哲学)/渋谷謙次郎(ロシア法)/砂川秀樹(文化人類学)/関智英(日中近現代史)/高田昌幸(ジャーナリスト)/高取英(劇作家)/立川孝一(フランス史)/巽孝之(アメリカ文学)/田中智彦(哲学・政治思想)/辻山良雄(Title)/戸田清(環境社会学)/中上紀(作家)/長野順子(美学)/長山靖生(文芸評論)/成田龍一(日本近現代史)/長谷川一(メディア論)/秦美香子(漫画研究)/廣木一人(日本中世文学)/府川源一郎(国語教育)/二村知子(隆祥館書店)/細見和之(ドイツ思想)/堀川貴司(日本漢文学・書誌学)/堀部篤史(誠光社)/町口哲生(評論)/森反章夫(社会学)/森村進(法哲学)/与那原恵(ノンフィクション作家)/明石健五(週刊読書人編集長)
ドイツ思想

細見和之

奥彩子・西成彦・沼野充義編『東欧の想像力現代東欧文学ガイド』(松籟社)。東欧の作家・詩人、じつに百人が地域別に簡潔に紹介されている。ただしそこには、オーストリア、東ドイツ、さらにはラテン・アメリカで活躍した作家たちもふくまれている。そのこと自体が東欧という地域の拡がりを示している。執筆者は編者をくわえてちょうど五〇人。文学それ自体の底力を感じさせてくれる本である。
徐智瑛『京城のモダンガール消費・労働・女性から見た植民地近代』(姜信子・高橋梓訳、みすず書房)。日本の植民地支配下の朝鮮に、資本主義が押し寄せ、「モダンガール」が登場する。彼女らは朝鮮語の掛け言葉を使って「モッタン・ガール」(あやまてる女)とも呼ばれたという。派手なパラソルを差した女工たちにとって、植民地近代とはなにだったのか。膨大な資料の扱いにも感心させられた。
山田兼士『詩と詩論二〇一〇―二〇一五』(澪標)。著者の足かけ六年にわたる詩集評と詩論評を集成したものだが、最後には「詩集カタログ」として、各詩集を三行で簡潔に紹介した文章が百ページ近く収録されている。登場する詩集、詩論書は合わせて七五一冊。この物量感は半端ではない。(ほそみ・かずゆき氏=京都大学教授・ドイツ思想専攻)
哲学/倫理学

池田喬

眞嶋俊造『正しい戦争はあるのか?戦争倫理学入門』(大隅書店)。絶対平和への願いがあっても、現に戦争はなくならない。ならば、戦争を抑制し制限するための議論も必要だ。正戦論と呼ばれる倫理学の基本的議論を紹介するタイムリーな一冊。
ベル・フックス『オール・アバウト・ラブ愛をめぐる13の試論』(宮本敬子・大塚由美子訳、春風社)。ノーベル平和賞受賞者の中には、非暴力と愛による平和を唱えた者も多い(シュバイツァー、キング牧師など)。センチメンタルな、と思いがちだが、ブラック・アメリカンのフェミニストとして知られる著者が経験と学識に基づいて愛を説いた本書は、考えを変えるかもしれない。
河野哲也『いつかはみんな野生にもどる環境の現象学』(水声社)。戦争は最大の環境破壊とも言われるが、森の生活で知られるヘンリー・ソローは自然の経験に絶対的な自由を見た。著者は、ソローにも触発されながら、旅をしながら思索し、環境の現象学から政治的思考を立て直す。刺激的な一冊。(いけだ・たかし氏=明治大学准教授・哲学・倫理学専攻)
西洋美術史

河本真理

大久保恭子『アンリ・マティス『ジャズ』再考芸術的書物における切り紙絵と文字のインタラクション』(三元社)は、原画(切り紙絵)と印刷・複製された図版の詳細な比較、マティスの手書きのテクストの分析、二つの世界大戦という歴史的文脈の考察を通して、終わりのない「持続」の相のもとに生成し続ける「総合芸術作品」としての『ジャズ』を浮かび上がらせた記念碑的労作。
池上裕子『越境と覇権ロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭』(三元社)は、一九六四年に行われたマース・カニングハムの世界ツアーの美術監督として、ラウシェンバーグが訪れた四都市(パリ、ヴェネツィア、ストックホルム、東京)に焦点を当て、戦後アメリカ美術の「覇権」と密接に結びついていた美術家の「越境」がもたらす、双方向的かつ非対称な力学を明らかにする。
小川佐和子『映画の胎動一九一〇年代の比較映画史』(人文書院)は、第一次世界大戦後にハリウッドが確立する以前のヨーロッパ(フランス・ドイツ・ロシア・イタリア・デンマーク)と日本の無声映画を、隣接する諸芸術(演劇・美術〔遠近法〕・文学)や大衆芸能(講談・新派)との豊かな交叉を通して、網羅的かつ詳細に跡づけた意欲的な労作。(こうもと・まり氏=日本女子大学教授・西洋美術史専攻)
日本近代文学

石原千秋

能地克宜『犀星という仮構』(森話社)。能地克宜の師である東郷克美に『太宰治という物語』があって、太宰治は生涯をかけて「太宰治という物語」を書き続けたという。これはそれを本歌取りした室生犀星文学論で、自伝小説作家・室生犀星もまた「室生犀星」という仮構を書き続けたというのだ。それは室生犀星においては、あることを隠すために書き続けたことを意味するのだと論じる。作家とはそういうものではないかと、たしかに思う。
滝口明祥『太宰治ブームの系譜』(ひつじ書房)。「マスコミに作り上げられた○○」みたいなメディア論的作家論がはやった時期があって、この本もその系譜に連なることはまちがいないが、この本の特徴は、もはや太宰治文学がトータルには読まれなくなった現代を冷静に見ていることだ。事実、ある小説が百万部売れても、その作家の他の小説が連鎖反応的に売れる時代は終わった。作家名にアイデンティティを感じる時代は終わったのだ。そういう現代にまで論が及んでいる好著である。
和田博文『海の上の世界地図欧州航路紀行史』(岩波書店)。船でしかヨーロッパに渡れなかった時代、日本人にとってヨーロッパはほんとに遠かった。距離的・時間的・心理的にあまりに遠かったヨーロッパへの思いを平易な文章で、実にたくさんの具体例を通して書く。思想はなによりも具体例としてやってくるから。思わぬ人物が登場するから、気が抜けない。夏目漱石が参禅した鎌倉・円覚寺の釈宗演もその一人だ。(いしはら・ちあき氏=早稲田大学教授・日本近代文学専攻)
環境社会学

戸田清

稼働中の高浜原発を止める司法判断も出たが、熊本地震が想定外の展開を見せるなかで川内原発は運転を続けている。医療問題研究会編『甲状腺がん異常多発とこれからの広範な障害の増加を考える増補改訂版』(耕文社)は、小児科医らが原発事故の健康影響を検討した力作である。吉田千亜『ルポ母子避難』(岩波新書)や日野行介『原発棄民』(毎日新聞出版)もあわせて読んでほしい。
安保関連法と参院選が戦後日本の分岐点になるのであろうか。樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』(集英社新書)は、立場の異なる憲法学者が立憲主義、自民党憲法草案などについて白熱の対談をした良書である。18歳選挙権が始まったが、早尾貴紀『国ってなんだろう?』(平凡社)は、パレスチナ問題などに詳しい研究者による良書であり、中学生から大人までぜひ読んでほしい本だ。
川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)は、SFに造詣の深い著者が、人間、自然、人工知能、文明の意味を問う作品である。(とだ・きよし氏=長崎大学教員環境社会学・平和学)
出版学

植村八潮

飯田豊『テレビが見世物だったころ初期テレビジョンの考古学』(青弓社)。テレビの誕生を街頭テレビという希代のアイディアから語るか、高柳健次郎による伝説的実験から語るか。いずれも勝者によって書かれた歴史にすぎない。敗者が残した熱気を丹念に拾って書かれたメディア考古学。
ジェフ・ジャービス『デジタル・ジャーナリズムは稼げるかメディアの未来戦略』(夏目大訳、東洋経済新報社)。デジタルメディアはジャーナリズムの本質を見失わず経済的に自立することは可能か。いや、むしろデジタルだからこそ実現できることもあり、レガシーメディアにもチャンスがある。スキャンダルやバイラルに頼らず起業を迫る。
田中辰雄・山口真一『ネット炎上の研究誰があおり、どう対処するのか』(勁草書房)。実証的研究データに基づき「炎上参加者はネット利用者の0・5%」と帯惹句に掲げる。リアルなコミュニティ同様、扇動者は一握りだった、とわかるだけで、対処にも余裕が生まれる。(うえむら・やしお氏=専修大学教授・出版学専攻)
ロシア法

渋谷謙次郎

富樫耕介『チェチェン平和定着の挫折と紛争再発の複合的メカニズム』(明石書店)。ロシアからの分離独立を決行したチェチェンの紛争(チェチェン戦争)に関する本格的な日本語文献。主として一九九〇年代にスポットを当てていて、その後の第二次チェチェン戦争を考える際の基本文献ともなろう。
スラヴォイ・ジジェク『もっとも崇高なヒステリー者ラカンと読むヘーゲル』(鈴木國文・古橋忠晃・菅原誠一訳、みすず書房)。いわずと知れたスロヴェニア出身の左派知識人のスーパースターのデビュー作(博士論文)に加筆訂正を加えたものの初全訳。ジジェクの著作に慣れ親しんだ人にとっては彼の思想の原型が見出されるだろう。
岩佐茂・佐々木隆治編『マルクスとエコロジー資本主義批判としての物質代謝論』(堀之内出版)。かつてマルクス主義を標榜した社会主義国では環境汚染もひどかったが、グローバル資本主義も「環境」をとどまることなく資本化していく(その問題は狭義の「破壊」「汚染」にとどまらない)。依然、考えてみるに値するテーマである。(しぶや・けんじろう氏=神戸大学教授・ロシア法専攻)
メディア論

長谷川一

エイドリアン・フォーティー『メディアとしてのコンクリート』(坂牛卓・邉見浩久・呉鴻逸・天内大樹訳、鹿島出版会)は、コンクリートという素材をとおして近代の経験を探る浩瀚の書。肌理や質感といった素材の物質性から、存在と知覚の関係に分け入り、コンクリートの文化的な意味を読み解く。テクノロジーと不可分でしか成立しえない社会とそこでの生のあり方に新たな光をあてる。
『文字の博覧会』(八杉佳穂監修、西尾哲夫ほか執筆、LIXIL出版)は「文字ハンター」故中西亮氏が収集した世界の文字約四十種の写真集。丸っこいのやとんがったのなど表情豊かな文字たちは、それぞれ固有の仕方で世界を諒解しようとしている。伝達や表現の手段というより、文字はそれ自体が文化であり存在なのだ。同名の展覧会が京橋で開催中。
ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』(古田徹也訳、講談社)は『哲学探究』を補完する晩年の遺稿集だ。詳しい訳注と用語解説が付され、専門外の読者への配慮も行き届く。行為と身体、意味と日常性の関係を考えるとき、かれの思考が与えてくれるものは計り知れない。(はせがわ・はじめ氏=明治学院大学文学部芸術学科教授・メディア論・メディア思想・文化社会学)
Title

辻山良雄

畠山直哉×大竹昭子『出来事と写真』(赤々舎)。人の力の及ばない出来事に巻き込まれた時、写真家はどのような態度をとるか。場所を変えながら数年に渡り続く二人の対話は、それ自体一つのドキュメント。社会性への向き合い方、個人の感情の複雑なグラデーション…延々と話は続き、言葉を尽くして言葉以前の世界を語る二人の姿勢に感動。
栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)。優れた書き手は、その対象を自分のものとする。伊藤野枝という強い個性と組み合っても、それに負けることなく、今の世に甦らせたのはまさに著者の筆力。
『戦争とおはぎとグリンピース』(西日本新聞社)。戦後まもない昭和30年代。新聞の女性投稿欄には、忘れられない「戦争」の話が多く寄せられた。今の時代に、突然忘れていた過去(もしくは忘れてはいけない過去)から肩を叩かれたような読後感。巨大な暴力が、個人の奥深くにいかにその爪痕を残すか、考えさせる一冊。(つじやま・よしお氏=Title店主)
社会学

森反章夫

細野助博・風見正三・保井美樹編『新コモンズ論』(中央大学出版部)。
本書は、計画行政学会の専門部会も研究成果である。伝統的なコモンズ論にとどまらず、公開空地など現代の都市計画技術が作り出す空間をコモンズとして記述している。すぐれた着目である。
筒井功『忘れられた日本の村』(河出書房新社)。
まさに現代版「忘れられた日本人」の丹念な記述であり、瞠目に値する。第一章に取りあげられた「たたら村」は、評者もかつて調べようとしたことがあったが、挫折した。多くのことを学ばせていただいた。
養父志乃夫『里山里海』(勁草書房)。
共同体の事象を、里山・里地・里川・里池・里湖・里海と、総覧した書籍だ。余計な解説は一切省かれている。その素っ気なさに著者の「気合い」を感じる。見事な里の叙事詩である。(もりたん・あきお氏=東京経済大学教授・社会学専攻)
中東地域研究

臼杵陽

中東が激動する世界政治の震源地となっている事実はこの上半期でも変わらない。とりわけ七月二日に起ったバングラディシュでの日本人殺害事件は、日本人であることがもう安全の担保にならないことを示した。日本の中東イスラーム研究者はこのような事態になることに警鐘を鳴らしていた。長沢栄治・栗田禎子編『中東と日本の針路「安保法制」がもたらすもの』(大月書店)は、日本人が巻き込まれた今回のような事件を、日本が置かれた国際社会での位置の文脈で再考するための必読の書であろう。イスラームについても多くの啓蒙書が刊行された。その中でイスラーム学の碩学による小杉泰『イスラームを読むクルアーンと生きるムスリムたち』(大修館書店)はこのような時世だからこそ再読すべきものだろう。シリア難民問題も深刻であるが、受け入れ国側の移民の歴史を知る必要もあろう。EU離脱のイギリスの移民史であるパニコス・パナイー著『近現代イギリス移民の歴史寛容と排除に揺れた二〇〇年の歩み』(浜井祐三子・溝上宏美訳、人文書院)は時宜を得た貴重な紹介である。(うすき・あきら氏=日本女子大学教授・中東地域研究)
宗教哲学

鎌田東二

大石高典『民族境界の歴史生態学カメルーンに生きる農耕民と狩猟採集民』(京都大学学術出版会)。著者は熱帯アフリカ・カメルーン共和国で延べ26ヶ月に及ぶ徹底的なフィールドワークを行ってきた生態・文化人類学者。第4章「「人間ゴリラ」と「ゴリラ人間」―人間=動物関係と民族間関係の交錯と混淆」で半人間=半動物と認識し合う負の互酬性の関係を民族間の境界維持に用いていることを詳論し宗教研究に一石を投ずる。
永岡崇『新宗教と総力戦教祖以後を生きる』(名古屋大学出版会)。明治期から太平洋戦争後まで近代日本における宗教と国家と戦争の関係を「二重構造論」などの先行研究の批判的吟味を踏まえ、中山みき亡き後の天理教がその組織と思想と実践においてどんな変化を遂げたかを事例として詳論し、近代新宗教研究にも戦争研究にも重要な資料と論点を問題提起する。
白波瀬達也『宗教の社会貢献を問い直すホームレス支援の現場から』(ナカニシヤ出版)。宗教の社会貢献についてFRO(Faith―RelatedOrganization)「宗教団体・宗教者と結びつきのある組織」という概念を導入し、キリスト教系団体による大阪あいりん地区のホームレス支援などのフィールドワークに基づく記述と分析を展開する。(かまた・とうじ氏=上智大学グリーフケア研究所特任教授・宗教哲学・民俗学)
日本漢文学・書誌学

堀川貴司

国立歴史民俗博物館、小倉慈司編『古代東アジアと文字文化』(同成社)は、歴博と韓国の博物館・研究機関の共同展示に伴って開催されたフォーラムをまとめたもので、中国・朝鮮の漢字文化を咀嚼し、村々にまで浸透させた古代日本の様相をわかりやすく説く。
高山大毅『近世日本の「礼楽」と「修辞」荻生徂徠以後の「接人」の制度構想』(東京大学出版会)は、徂徠学派を中心に、政治や社会についての言説と、文学論あるいは中国文学作品の注釈の言説とが「接人」の思想によって通底していることを読み解く。
齋藤希史『詩のトポス人と場所をむすぶ漢詩の力』(平凡社)は、洛陽・成都・西湖・長安・江戸など十箇所を取り上げて、場所が詩を生み、詩が場所のイメージを形作り次の詩の生成を促す様子を描く。巧みな語り口によって、読者は時空を超え、杜甫や李白、白居易などの名作が生まれた瞬間に立ち会えるだろう。(ほりかわ・たかし氏=慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授・日本漢文学専攻)
建築史

五十嵐太郎

磯崎新『偶有性操縦法何が新国立競技場問題を迷走させたのか』(青土社)。3・11以降の日本の建築界の状況、とりわけザハ・ハディドの新国立競技場案をめぐる国家的な迷走劇を批判する。安易な日本らしさの要請と排外主義が跋扈する現在に対する怒りを表明している。
ポール・ボガード『本当の夜をさがして都市の明かりは私たちから何を奪ったのか』(上原直子訳、白揚社)。眩い人工の光によって照らされるようになった都市の夜。そこで著者は光害のない場所を求めて世界各地を訪ねる。章が進むにつれて闇の世界に近づく構成が秀逸。
松木武彦『美の考古学古代人は何に魅せられてきたか』(新潮選書)。先史時代に人類が何を考えていたのかを知ることは、文字がないために難しい。ゆえに、土器や石斧などのモノと徹底的に対峙しつつ、人類がもつ普遍的な認知のパターンと絡めて、当時の感性を読みとく。それは上部構造というべき道具や芸術的な表現から、逆に歴史をとらえ返す試みでもある。美の問題を論じており、デザイン、建築、アートの関係者にとっても面白い本だろう。例えば、古墳における外観重視から内部装飾への展開を通じて、インテリア・デザインの誕生も示唆される。(いがらし・たろう氏=東北大学大学院教授、建築史・建築批評家)
日本近現代史

成田龍一

陣野俊史『テロルの伝説』(河出書房新社)。『パルチザン伝説』の衝撃、その出版をめぐっての出来事。そして、死に至るまで続けられた、作家・桐山襲の表現による政治的な戦い――陣野は、この桐山襲の作品に入り込み、その戦いを内面から追及する。桐山が憑依したような文体が魅力的である。
廣瀬陽一『金達寿とその時代』(クレイン)。「在日朝鮮人文学」の歴史のなかで、大きな地歩を占める金達寿。しかし、その軌跡の全容は明らかにならないまま、評価が独り歩きしていた。こうしたなか、本書はたんねんに金達寿の著作をたどり、その活動に踏み込む。多くを教えられる著作であった。
アレッサンドロ・ポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(朴沙羅訳、水声社)。オーラルヒストリーをめぐる重要な著作が翻訳された。歴史―歴史認識をめぐる議論が深刻化するなか、オーラルヒストリーの提起する歴史認識―叙述の方法は、ますます重要性を持つようになっている。オーラルヒストリーの試みを知るうえで欠かせない一冊である。(なりた・りゅういち氏=日本女子大学教授・近現代日本史専攻)
英米文学

阿部公彦

横山茂雄『神の聖なる天使たちジョン・ディーの精霊召喚一五八一~一六〇七』(研究社)はオカルト小説家としても知られる著者(筆名は稲生平太郎)が、二十年の歳月をかけてまとめた評伝。ジョン・ディーは英国エリザベス朝の錬金術師で、協力者エデワード・ケリーとともに天使との交信を試みるが、天使に叱られ、許され、暗号解読を強いられ、とドタバタの連続。装丁は重厚だが、著者の話術ゆえの絶妙のテンポと展開が楽しい本だ。竹内勝徳・高橋勤編『身体と情動』(彩流社)はこのところ人文系でホットな話題となっている「情動」をテーマに立てアメリカ文学を読み直す論集。電気、女性性、影響、感染、医療、「場所の知」、リズム、幸福…とキーワードだけでもテーマの深みが感じられる。仲谷正史ほか『触楽入門』(朝日出版社)は「触覚」にかかわる最新の知見をわかりやすく、かつ感じやすく示す。情動と最も深く結びつくのが視聴覚より触覚であるとの指摘は貴重だ。(あべ・まさひこ氏=東京大学准教授・英米文学専攻)
評論

町口哲生

ウィリアム・ペセック『ジャパナイゼーション』(北村京子訳、作品社)。ジャパナイゼーションは失われた一〇年に象徴される低成長、多額債務、政治の機能不全などが集合した状態を指す。この負の日本化から世界が何を教訓とするか。アベノミクスの成長戦略が鍵であることが了解できた。
さやわか『キャラの思考法』(青土社)。一〇年代のポップカルチャーは中身より関係性やコミュニケーション消費の傾向がある。そこにあるのは時間性であり、アイドルのキャラ変のようにキャラは時間を有する。ゼロ年代の伊藤剛を見事に更新したキャラ論。
エレツ・エイデン&ジャン=バティースト・ミシェル『カルチャロミクス』(阪本芳久訳、草思社)。ビッグデータは、著作権、プライバシー、知的財産権の侵害が議論の的となる。ところが語と句だけのNグラムならそれらの問題は生じない。これを文化研究に有効利用する手法がカルチャロミクス。新しい研究の可能性が垣間見えた。(まちぐち・てつお氏=評論家・哲学専攻)
フランス文学

郷原佳以

広い意味で政治的な著作、すなわち批評的な今日性をもった著作に自然と手が行く時節である。
市田良彦・王寺賢太編『現代思想と政治』(平凡社)。編者たちを中心とした共同研究を経て練り上げられた精鋭一八名の論考を収める。各々がドゥルーズ/ガタリなりフーコーなりの「現代思想」を取り上げてはいるが、個別の思想家論の寄せ集めではなく、その問いかけの視野の広さおよび今日性において、論考としての結実に先立って徹底した討論が行われたことが感じられ、「共同研究」が個別研究を外に開く可能性をよく示す。「現代思想」と「政治」の関係について見取り図を示す序論も必読。個人的にはバディウと「デリダ派」の対立の整理が参考になった。市田の『革命論』と共に読まれるべき書。
廣瀬純編著『資本の専制、奴隷の叛逆』(航思社)。右の共著の寄稿者でもあり、ドゥルーズやイタリア現代思想を武器に精力的に現状変革の可能性を論じる編者が、自ら八人の「南欧」思想家にインタビューしてまとめたヨーロッパの危機に対する現状分析の書。
ミシェル・ドゥギー『ピエタボードレール』(鈴木和彦訳、未來社)。言語の根源たる詩の言語に隠喩性を見出すドゥギーの参照項がつねにボードレールであることの所以が、『悪の華』の詩学を今日に引き継ごうとする本書から見えてくる。
その他に、小説ではパトリック・モディアノ『エトワール広場/夜のロンド』(有田英也訳、作品社)、雑誌では『子午線』(書肆子午線)四号に批評的な今日性があった。(ごうはら・かい氏=東京大学准教授・フランス文学専攻)
文化人類学

小川さやか

吉田ゆか子『バリ島仮面舞踊劇の人類学』(風響社)は、従来、「名人芸」として分析されてきた仮面劇トペンを、演者や観客、伴奏者といった「人」、仮面などの「モノ」、「神格」のエージェントによって織りなされるものとして描きなおす。ジェルの「アート・ネクサス」論を淡々とした筆さばきで乗り越え、芸術人類学の新地平を切り拓く。
エドゥアルド・コーン『森は考える』(奥野克巳・近藤宏監訳、近藤祉秋・二文字屋脩共訳、亜紀書房)は、人類学に「人間的なるもの」を超えてみることを呼びかける。人間だけが考えるとする見方から踏み出し、森のあらゆる生命を「思考する生」とみることで「人間的なるもの」を浮かび上がらせる。人類の外から人類学を実践するという革命。
K・ラウスティアラ&C・スプリグマン『パクリ経済』(山形浩生・森本正史訳、みすず書房)は、ファッション、料理、アメフト、コメディなどを対象に、イミテーションとイノベーションをめぐる通念を覆し、創造性がコピーと共存・共栄する世界を提示。コピーは悪か?(おがわ・さやか氏=立命館大学先端総合学術研究科准教授・文化人類学・アフリカ研究)
劇作家

高取英

竹宮惠子『少年の名はジルベール』(小学館)。「風と木の詩」によって、〈少女マンガの革命〉を成し遂げた竹宮惠子の半生記。同居していた萩尾望都への嫉妬を書いているところがすばらしい。編集者Yとのやりとり、パートナーの増山法恵のことも感動させる。
樋口良澄『鮎川信夫、橋上の詩学』(思潮社)。鮎川信夫は、妻・最所フミの存在を公的には隠していた。最所フミは英語学者として『日本語にならない英語』などの著書がある。本書には、フミと三年間生活をともにした加島祥造の証言もある。本書は、モダニストとして生きた鮎川の評伝だ。吉本隆明との対立も書いて、世界は重層的な決定/非決定の相のもとでとらえるとする吉本と、「一つの中心」を貫きたい鮎川との対立とする。
嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)。編集者としてきだみのると交流のあった著者がエピソードたっぷりの評伝を書いた。「子育てごっこ」で話題となった娘も登場する。(たかとり・えい氏=劇作家・大正大学客員教授)
フランス史

立川孝一

上垣豊『規律と教養のフランス近代教育史から読み直す』(ミネルヴァ書房)。フランスにおける公教育の歴史はフランス革命の延長であり、宗教によらない市民的道徳へのこだわりは、国民的統合を促進すると同時に、「他者」との関係を複雑にもした。
次にあげる二冊は昨年末の出版だが、長年にわたる研究の集大成であるだけでなく、今後の研究動向にも影響を与える要素をはらんでいると思われるので、取りあげる。
松浦義弘『フランス革命とパリの民衆「世論」から「革命政府」を問い直す』(山川出版社)は、目を通した史料の質と量が尋常ではない(民衆組織の議事録から密偵の報告まで)。活動家の心理にまで踏み込んでいる。
工藤光一『近代フランス農村世界の政治文化噂・蜂起・祝祭』(岩波書店)。二宮宏之氏の弟子で、パリに留学してA・コルバンに師事したが、『村の共和国』のM・アギュロンを尊敬していた(没後遺作)。(たちかわ・こういち氏=筑波大学名誉教授・フランス史専攻)
作家

中上紀

田中修『雑草のはなし』(中公新書)。強い子孫を残すため、昼間はオシベと<家庭内別居>して、他の株の花粉との<浮気>に励むメシベたち。だが受粉が叶わぬと<仕方なく>オシベとくっつく。すぐ傍で生き生きと営まれる雑草たちの「人間模様」が面白い。
吉田憲司『仮面の世界をさぐるアフリカとミュージアムの往還』(臨川書店)。邪術が息づくザンビア、チェワにて仮面に焦点を当てた一年半にも及ぶフィールドワークの末、著者は死者の霊の化身ニャウの秘密結社への加入を許された。儀礼の扉の向こうから、ミュージアムという装置の在り方を問う。
津島佑子『夢の歌から』(インスクリプト)。二月の終わりに他界された作家津島佑子氏の最後のエッセイ集。原発事故とその後の日本の対応に憤り、アイヌやアボリジニといった先住民族の人々に関心を持ち、口承文芸に魅了され、自然の小さないのちを慈しみ、そして世界の<ゆがんだ近代化>に警鐘を鳴らし続けた氏の「歌」が響いてくる。(なかがみ・のり氏=作家)
ノンフィクション作家

与那原恵

栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店)は、伊藤野枝の短い生涯をスピード感あふれる文体で描きだした。辻潤との恋愛、「青鞜」誌上で展開したセックス・中絶・売買春問題などは、今日においても根源的な問いとなっていることに驚くばかりだ。無軌道にも思える彼女の人生だが、人間が持つ根源的な力を信じていたのだ。
奈良原一高『太陽の肖像文集』(白水社)は戦後日本を代表する写真家の初のエッセイ集。ファインダーを通して、人間存在を見つめた半世紀に及ぶ思考の軌跡は、胸が揺さぶられる。「写真は未来から突然にやって来る」という奈良原の代表作も収録。「土地」というものを改めて考えさせる。
池内了『科学者と戦争』(岩波書店)は、軍学共同が急進展する日本の現状を伝える。科学のデュアルユース(両義性)問題、拡大する米国の資金援助などをリポートし、「人格なき学問」に警鐘を鳴らす。(よなはら・けい氏=ノンフィクション作家)
日本中世文学

廣木一人

有馬弘純『漱石文学の視界』(論創社)。著者の漱石文学探究をまとめた評論集。漱石の文学が「俗流文学」とされつつも、広範な「読書層を獲得しつづけている」理由をいくつかの作品を読み解きながら解明しようとした書で、我々に『三四郎』『こころ』などの再読を促す。
牧野隆夫『仏像再興』(山と溪谷社)。三十年にわたる仏像修復の歩みを回顧した書。実際の現場での問題を具体的に記し、修復家ならではの視点に富む。明治初期の「神仏分離令」がいかに日本人の心を疲弊させたかへの言及は、幾多の「壊れた仏像」を目にしてきた著者ならではのものである。
有田正規『科学の困ったウラ事情』(岩波書店)。現在の科学研究、論文の危機的状況を告発する書。学術論文がいかに信頼できないかなど、耳を傾けるべきことも多いが、科学論文の執筆者には、指導教員など実際の論文作成に関わらない者が名を連ねるなど文系研究では想像もつかない事実が明かにされてもいる。(ひろき・かずひと氏=青山学院大学・日本中世文学専攻)
衣服産業史

岩本真一

淺井カヨ『モダンガールのスヽメ』(原書房)は日本モダンガール協會設立者の著者が所蔵・収集した大正期モダンガール衣装をはじめ、小間物から建築まで幅広く写真を紹介した本。「スピード化粧術」や「モダン語講座」等、当時の逸話も多く、読みやすい。
伊藤和子『ファストファッションはなぜ安い?』(コモンズ)は潜入調査を元に、ユニクロの中国委託先工場や、国際的ブランドの東南アジア委託工場で生じている労働問題を取り上げ、政府や企業の社会的責任を問う。衣料品消費者の打開策として、不買運動、フェアトレード促進、オーガニック製品推進等の可能性を提起。
同じく労働問題からバングラデシュの縫製工場に焦点を絞ったのが長田華子『990円のジーンズがつくられるのはなぜ?―ファストファッションの工場で起こっていること』(合同出版)である。グローバル経済や現地政治の動向から、工場の生産状況・労働状態や工場労働者の家庭状況までを明瞭に示し、フェアトレードへの展望を示唆する。(いわもと・しんいち氏=同志社大学・大阪経済大学ほか非常勤講師・衣服産業史専攻)
防災・減災学

木村玲欧

田村圭子編著『ワークショップでつくる防災戦略―「参画」と「我がこと意識」で「合意形成」―』(日経BPコンサルティング)は、防災に限らず応用できるワークショップの理論編と、自治体や組織での事例編で構成。事例編は、被災地の復興計画、自治体・組織の災害対応計画策定ワークショップの実践者が執筆しており、コツ・ポイントがわかりやすい。
平田直『首都直下地震』(岩波書店)は、首都直下地震に関わる地震学者の好著。地震学ではなく行政用語である首都直下地震の正体や歴史的経緯、被害想定の方法、予知の可能性、防災への提言を新書版で平易に解説する。
「レジリエンス社会」をつくる研究会『しなやかな社会の挑戦』(日経BPコンサルティング)は、二十一世紀の新たな脅威であるCBRNE(化学・生物・放射性物質・核・爆発物)、サイバー攻撃、自然災害に対する危機管理・事業継続・危機対応の標準化のあり方を、研究者と実務者の研究グループが具体例を交えて提言する。(きむら・れお氏=兵庫県立大学准教授、防災・減災学専攻)
漫画研究

秦美香子

本橋哲也『ディズニー・プリンセスのゆくえ白雪姫からマレフィセントまで』(ナカニシヤ出版)。ディズニーによるプリンセス映画を、ジェンダー・人種・階級などに関する「神話」と捉え、その内容を読み解く。表現の偏りなどを非難する立場からでなく、プリンセスに励まされ憧れてきた視聴者たちによりそう立場から言葉が慎重に選ばれており、丁寧な分析が行われている。
竹内オサム・西原麻里編著『マンガ文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房)。各キーワードにつき4頁とコンパクトな解説が付けられている。マンガの表現・メディア・社会現象・産業としての側面を幅広く学ぶに適した入門書。
岡本健・遠藤英樹編『メディア・コンテンツ論』(ナカニシヤ出版)。ゾンビ、魔法少女、Jホラー、推理小説、コンテンツツーリズムなど多様な対象を事例とし、メディアと法・社会・政治の関係が考察されている。各章にディスカッションの課題が設定されており、教科書としての活用を想定した構成。(はた・みかこ氏=花園大学准教授・漫画研究)
科学史・科学哲学

佐々木力

三浦伸夫『フィボナッチアラビア数学から西洋中世数学へ』(現代数学社)。古代・中世数学史研究における日本の第一人者による信頼可能な歴史書。アラビア語・ラテン語の著作の読解力に加え、歴史観も重要な要素であろうが、それをも抜かりなく備えている。
島薗進『いのちを“つくって”もいいですか?』(NHK出版)。バイオテクノロジーが危機的状況にさしかかっている。原子力以上だとの認識も時にささやかれることもある。本書の議論は奥深い生命についての叡智によって支えられている。他方、一般の科学者たちの考えはいたってナイーヴだ。
金子勝・児玉龍彦『日本病長期衰退のダイナミクス』(岩波新書)。一九九〇年代にバブルがはじけてから、日本経済の長期衰退が始まった。「失われた四半世紀」にほかならない。著者たちの危機認識が共有されないかぎり、日本の政治経済の再生はない。(ささき・ちから氏=中国科学院大学教授・科学史・科学哲学専攻)
民俗学

飯島吉晴

天理大学考古学・民俗学研究室編『モノと図像から探る妖怪・怪獣の誕生』(勉誠出版)。十八世紀後半の「江戸の妖怪革命」以来、本来見えない存在の神や妖怪を図像化し、それらを考証や遊びの対象として弄ぶ心性が、江戸の都市民の間にあらわれる。本書は、そうした妖怪や怪獣を生み出してきた民衆の想像力(創造力)を解明すべく、装飾太刀、人面鳥、一つ目小僧、ゴジラなどから怪異の世界を探求したシリーズの第二弾で、妖怪文化に関心をもつ者には興味が尽きない作品である。
上田信『貨幣の条件』(筑摩書房)。本書は、タカラガイがなぜ貨幣として使われるようになったのかを文明の交易史観の立場に立って考察した知的冒険の書である。タカラガイを追って古代中国を中心に世界各地をめぐる本書の冒険の旅には知的な興奮を覚えるが、貨幣の本質は別途考察が必要であろう。
中沢新一『熊楠の星の時間』(講談社)。「星の時間」(ツヴァイク)は、めったに人の世界に訪れないし、訪れても気づいた時には重要なことはすでに終わっている微妙なものである。南方熊楠の精神の内にも長い粘菌の研究を経て、そうした星の時間が光り輝いたことがあり、中沢自身三十年来その光によって自らの思考が導かれてきたという。熊楠は、訪れた「星の時間」に、ロゴスとは異なる「レンマによる科学」を着想したというのが本書の眼目であるが、粘菌、華厳経、レンマの三つの視点から熊楠の思想を問い直した野心作である。(いいじま・よしはる氏=日本民俗学会員)
法哲学

森村進

アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜1』(大西英文訳、京都大学学術出版会)。紀元二世紀ローマの文法家による考証的随筆集。古典古代文化愛好家ならばアテナイオスの奇書『食卓の賢人たち』以上にどこから読んでも楽しめる。2の早期刊行を期待する。
ニコラス・フィリップソン『デイヴィッド・ヒューム哲学から歴史へ』(永井大輔訳、白水社)。同じ著者・訳者・出版社で一昨年出た『アダム・スミスとその時代』と合わせて、スコットランド啓蒙の立役者の新鮮で信頼できる伝記。どこかヒュームの『イングランド史』を抄訳でいいから出版しないものか。
飯田高『法と社会科学をつなぐ』(有斐閣)。普通の法解釈学とは違う、経済学、心理学、数理社会学などの概念を用いた法への社会科学的アプローチを数多く紹介する。著者の広い視野には感心するばかりだ。(もりむら・すすむ氏=一橋大学教授・法哲学専攻)
文化人類学

砂川秀樹

牧村朝子『同性愛は「病気」なの?』(星海社)は、「同性愛診断法」として考えられてきたものを網羅することで、同性愛が社会的にどのように扱われてきたかを説明している。本質主義を批判する社会構築論的な内容だが、それらの言葉で議論せず、事例に基づきわかりやすい。エスムラルダ/KIRA『同性パートナーシップ証明、はじまりました。』(ポット出版)は、2015年に渋谷区・世田谷区で始まった同性間のパートナーシップに関する施策が成立した過程と、具体的な手続き方法をまとめたものであるが、その動きが始まる背景のストーリーが興味深い。杉山麻里子『ルポ同性カップルの子どもたち』(岩波書店)は、米国では珍しくなくなりつつある、同性カップルによる子育てのルポ。日本では「同性愛者は子をもてない」というイメージが圧倒的だが、ここに出てくる同性カップルとその子の様子と声が、それを少しずつ変えるだろう。(すながわ・ひでき氏=文化人類学者、ゲイ・アクティビスト)
政治理論

齋藤純一

松元雅和『応用政治哲学方法論の探究』(風行社)は、政治哲学の方法論について、とくに現実の諸問題への政策指針の提示(応用)という観点から検討を加え、その論点をクリアーにまとめたものである。「理想理論」「非理想理論」など、日本における政治哲学の論考も近年方法論を自覚して書かれるようになってきたが、本書は、一般に、規範的な探求はどのようになされるべきかについて有益なガイドラインを提供するはずである。
藤田潤一郎『存在と秩序人間を巡るヘブライとギリシアからの問い』(創文社)は、プラトン、プロティノス、『ヨブ記』、『オデュッセイア』などのテキストをきわめて入念に考察したものであり、長期間にわたって集中した時間がもたれたことが文章の端々から窺える。肉体と情念をそなえる人間存在はどのような秩序を得ることができるかという全篇を貫く問いが興味を惹く。
この両著以外にも、今期、政治思想では、宇野重規『政治哲学的考察リベラルとソーシャルの間』(岩波書店)や山本圭『不審者のデモクラシーラクラウの政治思想』(岩波書店)など実りある成果が相次いだ。前者は、分断/隔離が進行するなかでアソシエーションなど中間集団は社会的紐帯をどう形成していくことができるか、後者は、包摂はつねに排除を伴うとすれば、デモクラシーがその閉鎖を避けていくことができるのは何によってかという問いを導きとしている。(さいとう・じゅんいち氏=早稲田大学教授・政治理論専攻)
隆祥館書店

二村知子

平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』(講談社)。経済成長に重きをおいてきたつけが回ってきたのではないか?保育園建設に乳幼児の声を騒音とする反対の声。いきなり大人になった人間なんていない。経済成長から精神的・文化的な側面に目を向けることが、包摂と寛容の社会、ひいては少子化を防ぐことにつながるのでは。
堤未果『政府は必ず嘘をつく(増補版)』(KADOKAWA)。当店の「作家と読者の集い」で堤未果さんは、テレビでは官邸や経済産業省からチェックが入り真実を伝えることは出来ないと語った。しかし“本”では真実を知ることができる。TPP、マイナンバーのことなど必読書。
坂本敏夫『典獄と934人のメロス』(講談社)。囚人に鎖と縄は必要ない。教育刑思想で囚人との信頼を築いた典獄・椎名通蔵。関東大震災の際、監獄法により24時間の約束で解放された囚人たちは信頼に報いるべく、死者を除く全員が身代わりを走らせてまで獄に戻った。魂を揺さぶられる実話。(ふたむら・ともこ氏=隆祥館書店店主)
アメリカ文学

巽孝之

アメリカ文学研究のベテランよる最初の単著に二つ収穫があった。
まず藤谷聖和氏の『フィッツジェラルドと短編小説』(彩流社)は、これまでこのジャズ・エイジの旗手に関しては「長編小説はいいけれども短編小説のほうは駄作も多い」という定説があったが、それを根本から覆す。著者はまったく新しい視点からフィッツジェラルドにおける「長編作家」(ノヴェリスト)と「短編作家」(ライター)の相関関係を明らかにする。
つぎに渡邉克昭氏の『楽園に死すアメリカ的想像力と〈死〉のアポリア』(大阪大学出版会)は全五百ページを超えるポストモダン作家研究の集大成。対象はバースからエリクソン、パワーズにおよぶ。しかし中心を成すのはユダヤ系作家ベローとイタリア系作家デリーロであり、この意外な取り合わせが「死のアポリア」というモチーフにおいて絶妙に連動する。
越川芳明氏の『あっけらかんの国キューバ革命と宗教のあいだを旅して』(猿江商會)は一種の文化的ドキュメンタリーだが、オバマ政権下のアメリカが五四年ぶりに国交を回復したクレオール国家では、いかにゲバラと並びヘミングウェイやジョン・レノンが尊敬を集めるようになったかという逸話が面白い。
翻訳ではラルフ・ウォルドー・エマソン『エマソン詩選』(小田敦子ほか訳、未來社)とウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『代表的アメリカ人』(富山英俊訳、原著一九二五年、みすず書房)が秀逸。(たつみ・たかゆき氏=慶應義塾大学教授・アメリカ文学専攻)
国語教育

府川源一郎

山口謠司『日本語を作った男上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)。日本語の「言文一致」への道筋に力を尽くした「上田万年」という人物がいる。この上田を軸に、明治期の文芸や言語改革に関するさまざまな話題やエピソードを総動員して編まれたのが本書である。幅広い問題意識と豊富な知識をもとに、現代日本語の書きことばがどのような人々のどのような志向のもとに作られたのかを、読みやすく平明に描いている。
江利川春雄『英語と日本軍知られざる外国語教育史』(NHKブックス)。日本軍の敗戦は、同時に日本の外国語教育の破綻の結果でもあった。著者は、英語教育史の観点から日本軍と英語教育との関係を一次資料に基づいて検証していく。本書を支えているのは、現在の外国語教育への批判と平和を希求することばの教育への熱い思いだろう。
鈴木貞美『『文藝春秋』の戦争戦前期リベラリズムの帰趨』(筑摩書房)。旧著の内容を再編集、大幅に増訂の上、筑摩選書の一冊として刊行。一九二三(大正一二)年に創刊された『文藝春秋』は、短期間に総合雑誌としての位置を確立し、日中戦争が始まると深く戦争に関与していく。本書では、その中心にいた菊池寛とそこに集まった知識人たちが、揺れ動く時代の中でどのような執筆活動を行ったのかが、それぞれ個々の事例に即して詳細に検証されている。錯綜した当時の状況のたんねんな解析作業であるが、それは同時に現在の思想文化を根底から問い直す営為でもある。(ふかわ・げんいちろう氏=日本体育大学教授/教育史・国語教育専攻)
ジャーナリスト

高田昌幸

ジャーナリズムに関する3冊を選んだ。
安田浩一『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)。作家百田尚樹氏が「沖縄のあの二つの新聞社はつぶさなあかん」と発言したのは、昨年6月だった。言われた側の沖縄2紙を軸に丹念に現地を歩きながら、「偏向」の正体を暴いていく。筆者は当代指折りのルポライター。「偏向」という言葉に対抗できる言説を持ち得ていない現代の病巣が明らかになる。問題の在処は沖縄ではない。
本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書)。原子力産業がいかにジャーナリズムを蝕んだか。地方紙への広告出稿量を調べ上げ、新聞社経営と原子力産業との深いつながりを明るみに出した。労作の根底にはいつも地道な作業がある。地道な作業とはすなわちファクトを得る作業であり、ふわふわした理屈を凌駕する。
半藤一利・保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(文春文庫)。日中戦争から第2次世界大戦へと戦線を拡大し、日本を破滅させた戦前の歴史。昭和史の泰斗2人による検証は、あまりにも現代と相似し、恐怖する。必読。(たかだ・まさゆき氏=高知新聞報道部副部長)
文芸評論

長山靖生

山口謠司『日本語を作った男上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)は近代日本成立期に統一言語「標準語」を作るべく奮闘した男たちの物語。言文一致は文学上の新趣向に留まらず、教育や徴兵といった国家戦略上からも必要があった。
ロン・ミラー『宇宙画の150年史宇宙・ロケット・エイリアン』(日暮雅通・山田和子訳、河出書房新社)はヴェルヌから最近の映画まで、人類が宇宙をどのように表現してきたかを、多くの図版を通して解き明かす。
横山茂雄『神の聖なる天使たちジョン・ディーの精霊召喚一五八一~一六〇七』(研究社)は、エリザベス朝英国で活躍した数学者ジョン・ディーが、霊媒と共に行なった「天使召喚」の研究。天界の叡智を求めたディーは「天界の言語」を解読しようと努めるが、彼らが本当に天使を召喚できたのか。詐欺疑惑に暗号ミステリ、そして魔術禁止令による逮捕の危機……と学術書としても歴史サスペンスとしてもスリリングな展開を見せる。(ながやま・やすお氏=文芸評論家)
誠光社

堀部篤史

カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(村上春樹訳、新潮社)、山下賢二『ガケ書房の頃』(夏葉社)、JoelMeyerowitz『Morandi’sObjects』(DAMIANI)。今年は独立開業したことが自分にとって最大のトピックであり、「読書人」として接した本よりも「書店人」として扱った本で印象深かったものが多い。マッカラーズは古書価が高騰し読むことすら困難だったタイトル。ようやく読めた本作は、思春期の少女と世界とのどうしようもない乖離と孤独が描かれた普遍的な傑作。村上柴田翻訳堂のラインナップは古書好きも垂涎。長い間同じ左京区で「ガケ書房」という書店を切り盛りしてこられた「戦友」山下さんの独白的回顧録『ガケ書房の頃』は昨今の書店論、本屋本ブームに辟易している方にも手にとっていただきたい。こじらせた若者が、独立独歩で生きていくことの自由と困難さが訥々とつづられた私小説的世界観。ニューカラーの名手、マイロウィッツがモランディのアトリエを訪れ、モチーフとしたオブジェを撮影した『Morandi’sObjects』は洋書としては異例のロングセラーとなった。棚の文脈あってこそ。(ほりべ・あつし氏=誠光社店主)
美学

長野順子

アレクサンダー・ゴットリープ・バウムガルテン『美学』(松尾大訳、講談社学術文庫)。「感性的認識の学」を「美学」と命名した古典書。久しく絶版だった日本語訳が、文庫本となった。訳者の研究の進展に基づき改訂され、懇切な訳注・解説も明快。昨年のカント『判断力批判』の新訳(熊野純彦訳、作品社)とともに、「感性学」たる「美学」の再考を促す。
ディディエ・オッタンジェ編『シュルレアリスム辞典』(柏木博監修、遠藤ゆかり訳、創元社)。パリのポンピドゥー・センターで三年前に行われた「シュルレアリスムとオブジェ展」のカタログだが、展覧会解説の倍以上の量の人名・キータームの辞典の部分は、最新の研究成果が生かされて読み応えがある。
平田栄一朗『在と不在のパラドックス日欧の現代演劇論』(三元社)。舞台上の出来事との共振に注目するプレゼンス論とそれを批判する不在の美学、その双方の意義と問題点を論ずる。葛藤や揺らぎに焦点を当てた具体的な上演分析から、観客のダイナミックな感性的経験の可能性を導き出す試みは刺激的である。(ながの・じゅんこ氏=大阪芸術大学教授・美学専攻)
日中近現代史

関智英

豊岡康史『海賊からみた清朝十八~十九世紀の南シナ海』(藤原書店)は、中国沿海で頻発した強盗殺人や誘拐などの主体となった人々(=海賊)が、地方政府や住民からどのように問題視され、いかなる影響を及ぼしたのか、という点から清朝後期の社会を描き出した意欲作。
張競・村田雄二郎編『日中の120年文芸・評論作品選』(岩波書店)は、日清戦争前後から現代まで、日中双方で執筆された随筆・評論・旅行記などから、相互理解に資する文章を博捜。魯迅・谷崎といった定番はもちろん、王定佑・周幼海・吉田東祐など、今では忘れられた人や知られざる人の文章にも積極的に光を当てた。
星名宏修『植民地を読む「贋」日本人たちの肖像』(法政大学出版局)は、日本敗戦時に三〇万人を超える内地人が暮らしていた台湾を舞台に描かれた、内地人・沖縄人・混血児・蕃人などを巡る文学表現を分析。様々な「贋」日本人の姿を通して、日本の「集団的空想」と、植民地支配の問題を抉り出す。(せき・ともひで氏=日本学術振興会特別研究員・明治大学兼任講師・中国近現代史専攻)
哲学・政治思想

田中智彦

辺見庸『増補版1★9★3★7』(河出書房新社)。「邪悪なもの」を鎮めるにはひとはまず自分の中の無知=無恥(イノセンス)をこそ剔抉すべきならば、「自分があの時代に生きていたらどうしていたか」という執拗なまでの責問は、まさに「呪鎮」への歩みであり、繰り返す「なぜ」も連祷の響きをもつ。
山口研一郎編『増補改訂版国策と犠牲原爆・原発そして現代医療のゆくえ』(社会評論社)。沖縄、広島、長崎、水俣、三池、そして福島。戦後も続き広がりゆく「捨て石」の構造。それを「国のため」「仕方ない」と合理化する無知=無恥(イノセンス)もまた。そして生命そのものまで「総動員」される時代が訪れている。
渡辺京二『さらば、政治よ旅の仲間へ』(晶文社)。国家にしがみついているから、国益だ経済成長だと目もつり上がる。自然をも含めた他者たちとともにいかに生き甲斐のある一生を送るか。そのことに国家は何の関係もない。タフでクールでしなやかな知性に、いくたびも目を開かされる。(たなか・ともひこ氏=東京医科歯科大学准教授哲学・生命倫理学)
日本古代史

木本好信

佐藤長門『蘇我大臣家』(山川出版社)。蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿と「大臣」職を踏襲した系統の蘇我氏を直系継承が確立していなかったことを理由に「蘇我本宗家」とせず「蘇我大臣家」と捉えている。そして蘇我氏は巨大氏族ではなく王権に寄生しなければ生きていけなかった一氏族にすぎず、大王の外戚の地位を確保するとともに、群臣合議を巧みにリードして多数派を形成することによって権力を掌握したとするなど新見解を提示する。
前田晴人『桓武天皇の帝国構想』(同成社)。長岡・平安京の造都と蝦夷征討という桓武天皇の二大事業の完遂に尽力した渡来系の人物群に注視する。そしてこれらの人々が天皇の諸政策や国家構想とどのような関係にあったかを考察のうえ、「蕃人」として政治社会的に差別を受けるなかで、自らも百済系渡来人の後裔である桓武天皇がこの問題にどのように取り組み政策課題として解決していったのかを究明する特異な成果。
朧谷寿『平安王朝の葬送』(思文閣出版)。桓武天皇から安徳天皇までの天皇・皇后・女御、摂関と妻室などの葬送儀礼について論及する。従来の研究は王権との関わりを視点としていたが、本書は多くの史料を駆使して副題に「死・入棺・埋骨」とあるように、その具体相を明らかにすることを目的としている。また時代的変遷や相違点にも留意しているが、葬送の実態としては遺言が重視され、一定のルールがあったことを指摘するなど貴重な業績。(きもと・よしのぶ氏=甲子園短期大学特任教授・日本古代政治史専攻)
ライター

倉本さおり

一般的な読書とはちょっと異なる感覚を刺激し、〈読む〉という行為そのものを拡張してくれる三冊。
・真銅正宏「触感の文学史感じる読書の悦しみかた」(勉誠出版)。言葉に「触る」読書をもたらす本。最も原始的かつ能動性を必要とする<触感>の描写をテクストから取り出すことで、読書行為の本質をあぶり出す画期的な研究書。ちなみに装丁も秀逸。こればかりは実際に手に取って触れてみないとわからない点が実に心憎い。
・吉増剛造「我が詩的自伝素手でエンをつかみとれ!」(講談社現代新書)。言葉が「聴こえる」読書をもたらす本。同一の出来事に関する〈語り〉がフーガのように重なり合いながら繰り返されることで、渾然とした余韻を生み出す。
・サンキュータツオ、春日太一「俺たちのBL論」(河出書房新社)。言葉を「嗅ぎとる」読書をもたらす本。BLを〈知的ファンタジー〉と捉え、あらゆる描写から〈萌え〉要素を繊細に拾いあげるためのプロセスを懇切丁寧に説明している。(くらもと・さおり氏=ライター)
週刊読書人編集長

明石健五

特集や書評面で取り上げられなかった書籍の中から、三冊紹介する――。
・菅野完「日本会議の研究」(扶桑社新書)。にわかに注目を集めるようになった「日本会議」。その歴史と実像に迫る。彼らは長い年月をかけて、地道に草の根の運動を続けてきた。その組織力の強さは凄まじい。青木理「日本会議の正体」(平凡社新書)、山崎雅弘「日本会議戦前回帰への情念」(集英社新書)とも併読を。
・「瀬川昌久自選著作集1954―2014」(河出書房新社)。日本最高齢のジャズ評論家である著者の集大成的な一冊。チャーリー・パーカーの生演奏を聴いた、日本人で唯一の人物(だと思う)。この本がそのまま「日本のジャズ史」でもある。
・クリス・バウワース「ノバク・ジョコビッチ伝」(渡邊玲子訳、実業之日本社)。内戦の続くセルビアで、爆弾が落ちる中、テニスの練習に励んだ少年ジョコビッチ。世界ナンバーワンプレーヤーの半生。セルビアの歴史と現状を知るためにも好著。(あかし・けんご=「週刊読書人」編集長)
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