平成山椒太夫―あんじゅ、あんじゅ、さまよい安寿 書評|姜 信子(せりか書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年5月15日 / 新聞掲載日:2017年5月12日(第3189号)

平成山椒太夫―あんじゅ、あんじゅ、さまよい安寿 書評
縦横無尽のさまよい旅 
変容する物語の足跡を見つけてゆく

平成山椒太夫―あんじゅ、あんじゅ、さまよい安寿
著 者:姜 信子、屋敷 妙子
出版社:せりか書房
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姜信子の旅は、いつもわれわれをとんでもない時空に連れていってくれる。今回もそう。百年を超え千年をまたいで、日本列島各地に埋め込まれた名を、声を、物語をたずね歩いて。読んでいて肌が粟立つ思いを、何度もした。

ここで彼女が追うのは安寿。安寿と逗子王の物語を、現代の多くの人は森鴎外の短篇小説「山椒太夫」によって知ったのではないか。だが鴎外の物語の背後をなすのは、あくまでも近代の論理。能の「婆相天」以来、説教節がかたり、あるいは瞽女たちの唄が広めた山岡太夫の悪行が、きれいに整理され解釈されて、影もゆらぎも稀薄だ。姜信子は声の来歴を訪ねることにする。手始めは鴎外自身の故郷、津和野から。そこから大阪・四天王寺、上越、佐渡、津軽、福島と、緯度も経度も時計もなく、縦横無尽のさまよい旅へ。みずから安寿に成り代わって、変容してやまない物語の足跡を見つけてゆく。

安寿という表記とその薄幸の生涯に皮肉な齟齬を感じること自体、文字以後の感覚なのだろう。その名に何が潜んでいたのかは、時空を旅しなくてはわからない。安寿と逗子王の乳母だった「姥竹」さえ、「うわ竹、宇和竹、うは竹、うば竹、姥竹、姥獄、乳母獄」などなどと語り変えられ、記し変えられる。流浪の芸人、遊女、行者、乞食たちが遍在した列島の時空の中、売られ責められ弄ばれてぼろぼろになって行き倒れる「あんじゅ」は、その祟りをしずめるべく「尼女」「庵主」「行者」と自在に入れ替わりながら呼ばれ葬られ、やがて塚は安女塚と名を変える。そこでやっと、「安寿」という表記に隠された呪術的な意味があらわになる。

声を人々がいかに聞きなすかにより、物語は変容する。各地でそこに何が付け加えられるかにより、物語は成長する。おびただしいヴァリエーションが生まれるのは物語の栄光。声の旅人はそんな物語の芯を求めて行脚する。「……物語の芯には必ずや深い祈りがある。深い祈りは、物語る者聞く者の心の澱み、濁り、波立ちを鎮める、浄める、解き放つ。この世には、想像することが魂を浄化することであるような、語ること聞くことが祈りそのものであるような、必死の声があり、言葉があり、物語があるのです。」

本書は「新潟日報」への一年間にわたる連載をまとめたもの。旅に同行し毎週一枚ずつ、文章と着かず離れずで別の世界を現出すべく描かれた屋敷妙子の50枚の絵もカラーページで収録されている。こちらも驚くべき、必見の連作だ。
この記事の中でご紹介した本
平成山椒太夫―あんじゅ、あんじゅ、さまよい安寿/せりか書房
平成山椒太夫―あんじゅ、あんじゅ、さまよい安寿
著 者:姜 信子、屋敷 妙子
出版社:せりか書房
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