書評|()|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月22日 / 新聞掲載日:2016年7月22日(第3149号)

書評
人間ロレンスを皮膚感覚で 感じさせてくれる優れた伝記


出版社:
このエントリーをはてなブックマークに追加
D・H・ロレンスはジェイムズ・ジョイスと並んで、英国が誇る二〇世紀を代表する作家である。二人とも天才にありがちな付き合いにくい人だった。人間関係を上手に、ということは凡人にとっては必須条件だが天才にとっては関心事の外にある。好き嫌いが激しく傍若無人。狷介固陋。興にのると歌い(奇しくも二人とも歌が上手)、はしゃぐかと思うと黙り込む。付き合いきれない人間だ。

だがこういう天才には不思議にもいわば黒子の役割を果たす人がいる。妻であるフリーダ、若い時の女友達は別として、彼の臨終に立ち会ったアルダス・ハックスレー夫妻、終始暖かく見守った仏教徒でアメリカ人のブルースター夫妻があげられる。

もう一組、愛憎に満ちた十数年に及ぶ関係が断続的にではあるが続いた、新進批評家のジョン・ミドルトン・マリーと短編作家のキャサリン・マンスフイールド夫妻を挙げよう。二人は英国最西端の僻地、コーンウォルで一九一六年春の二か月間、ロレンスが提唱する理想的な生活共同体、ラナニムの雛形として隣り合って生活した。この夫妻もまた個性が強すぎるカプッルだが、彼ら以上に常人の規範には納まらないロレンス夫妻とは折り合いがつかず、この共同生活は破綻する。

本書の著者であるクヌド・メリルともう一人カイ・ゲチェはどうか? 二人が本書の主舞台であるニューメキシコの僻地、タオスの山岳牧場のロレンス夫妻と隣り合う山小屋で過ごしたのは一九二一年一二月から翌年三月中旬までの、マリー夫妻と同様の短い期間だ。だがこの二人の画家、特にメリルのロレンス理解はいかなるロレンス伝の筆者たちにも劣らない。

画家が人物像を描くときには優れたデッサン力が物を言う。古くはダ・ヴィンチが範を示したように深い解剖学の知識が必要だが、実はそれよりも、対象になる人間の奥深い内面への洞察力が一番重要だ。いわば相手の魂を掴み取る眼力が要なのだ。本書は画家メリルの文章による見事なデッサンだ。特に第二部『デルモンテ牧場』は、山小屋での生活が主舞台だが、読者はロレンス夫妻と二人の画家と同席している感じにとらわれるだろう。ロレンスの妻フリーダのロレンス伝『私ではなく風が…』も卓越しているが、メリルほど客観化して的確な筆力で、思想も含む生きたロレンス像を描いている類書はないと言ってよい。

ロレンスに対する誤解をすべて解いてくれる。同性愛者ではないか、否。唯我独尊ではないか、否。男尊女卑者ではないか、否。冷酷なエゴイストではないか、否。それどころか常に相手に繊細な心遣いをしていて、自らは質素な生活をしながらもメリルの窮状を察して小切手を送ったりもしている。メリルのロレンス評は天才に対する尊敬の念から生じている。だからと言ってただ崇め奉っていない。画家としての矜持を保ち、絵に対して一家言を持つロレンスに一歩も引かぬし、絵筆で自分の絵に筆を入れようとするロレンスを拒否する。妙に卑屈になるところは微塵もない。

本書は作家・思想家としての人間ロレンスを皮膚感覚で感じさせてくれる優れた伝記である。訳もこなれていて読みやすい。訳者の労を多としたい。(木村公一・倉田雅美・伊藤芳子訳)
このエントリーをはてなブックマークに追加
立石 弘道 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >