対談 加須屋 誠×山本 聡美 平安絵巻の傑作「病草紙」、その全貌に迫る 『病草紙』(中央公論美術出版)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年5月24日 / 新聞掲載日:2017年5月19日(第3190号)

対談 加須屋 誠×山本 聡美
平安絵巻の傑作「病草紙」、その全貌に迫る
『病草紙』(中央公論美術出版)刊行を機に

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中央公論美術出版より加須屋誠・山本聡美編『病草紙』(B4判・二六四頁・二五〇〇〇円)が刊行される。
様々な奇病を描いた「病草紙」はまだまだ謎に包まれた絵巻物であり、その多くは国宝に指定され、なかなか目にすることのできない状況にある。
本書では現存する全二十一図を精細なカラーで掲載し最新の研究成果を踏まえた多角的な論考でその全貌に迫る。
今回は刊行を機に編者のお二人に対談をお願いした。(編集部)

病と古代・中世の 仏教的世界観

山本
 「病草紙」の現存する二十一場面を、オールカラーで掲載する初めての本です。病気を主題とするこの絵巻は、平安時代末期に六道絵の一部として制作されたものと考えられてきました。ただし、「病草紙」を単に六道絵と分類することには躊躇もあります。誰が、何のためにこのような主題の絵巻を作ったのか?謎の多い作品です。今回の本では精一杯の謎解きに挑戦しました。多岐にわたる論点は、本書所収の加須屋さんの「総論」で示されています。
加須屋
 まず宗教的な枠組みについて説明すると、仏教では「六道」と呼ばれる地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六つの世界が想定されています。六世紀半ばに仏教が伝来して以来、早い時期から日本人はこの考えに関心があったと思われる。

例えば地獄絵のいちばん古いものは八世紀頃に作られた東大寺二月堂本尊光背があります。続く九、十世紀の遺品はないけれども、文献史料にあたると地獄を描いた絵の伝統が長く継続されていたことが知られます。その流れの中で十一世紀以降に極楽浄土信仰が流行ったことと並行して六道観が広く社会に浸透し、十二世紀の権力者であった後白河法皇は六道全体を総覧する絵巻の制作を企図した。

現在残っている作品では「地獄草紙」(東京国立博物館・奈良国立博物館蔵)、「餓鬼草紙」(京都国立博物館・東京国立博物館蔵)などがそれです。これらに加えて人間の世界も描かれました。人間界には楽しいこともあるけれど突き詰めれば、生まれて年をとり病気になって死んでしまう。その流れの中の病気に焦点を当てて作られたのが、この「病草紙」という絵巻だと思います。〈風病の男〉〈小舌の男〉〈二形〉〈尻の穴あまたある男〉〈霍乱の女〉〈口臭の女〉〈不眠の女〉など二十一場面が伝えられている。制作当初は絵巻でしたが、現在はバラバラに切断されて、日本各地の博物館などが場面ごとに分蔵している状況です。
山本
 六道のうち、人間界を六道の一部として取り上げることはそれほど古い伝統ではないようで、この時期までさかのぼる絵画は、現存作例はもちろん文献史料上にも見当たりません。ところが、十二世紀に現れた「病草紙」では、病気を通じて人間界の苦しみに焦点を据えている。あまりにも唐突な登場で、現実に人が生きる世界の表象として、人間の身体、それも病気に注目した平安貴族の感性に、私は驚きを感じました。
加須屋
 仏教的な世界観のなかで捉えてみれば、このように位置づけることができます。しかし、「病草紙」はその中に収まらない要素もありますね。山本さんが研究で明らかにしてくれましたが、「病草紙」は『正法念処経』という経典に基づいて描かれている。ところが、必ずしも絵は経典に忠実に出来上がっていない。つまり宗教絵画であると同時に、現実の病人の記録画的な絵の描かれ方をしている部分がある。また具体的な地名をあげて説話文学のような形で捉えようとしている面もある。宗教絵画という枠をはみ出している点が、この絵巻の魅力でもあります。
山本
 そうですね。私自身も『正法念処経』による解釈が本当に成り立つのか、未だ自問自答しているところです。この経典が「地獄草紙」や「餓鬼草紙」の典拠であることは早くから指摘されていましたので、地獄や餓鬼に関する部分は拾い読みしていました。しかし、長大な経典ですので、なかなか通読できなかったのです。でもある時、読んだことのない後半部分がどうなっているのか調べてみると、身体の不浄や病気についての記述があることに気づきました。「病草紙」については、過去の研究では誰も経典の後半部分との関連に言及していなかったので、そこを指摘したいと思ったのです。
加須屋
 この絵巻が作られた十二世紀後半は、古代という時代の枠組みの区切りがついて中世という新しい枠組みが始まる時期です。時代の大転換期に当たって、おそらくこの時代を生きた人々は現実を見据え、自分とは誰なのか、あるいは自分ではない他者とは誰なのかに関して強く意識するところがあったと思います。現実の社会が大きく移り変わっていくなか、『正法念処経』に詳細に説かれる仏教的世界観を踏まえつつ、権力の座にあった後白河法皇は世界全体を見渡してみたいと欲したのではないでしょうか。「地獄草紙」「餓鬼草紙」そして「病草紙」が制作されたのは、この時代の世界観やそこに生きる自己や他者への意識と深く関わります。

「まなざし」の欲望に 根ざした絵巻

山本
 美術における、他者性や「まなざし」について、加須屋さんは一貫して関心を持っておられますね。「病草紙」には注文主がいて、主体的に「まなざし」を向けた者がいる。古い時代の美術について考察する際、注文主や鑑賞者について記録する文献史料は限られていて、具体的に議論しにくいものです。しかし、この絵については、そこにあるのが誰のどのような視線なのかをどうしても考えてしまう。誰が見ようとしていたのか、画面の外側に誰がいるのかという問いが、加須屋さんの長年のテーマでもあり、今回の出版では、他の執筆者もこの論点を共有することで、全体の方向性が定まったように思います。
加須屋
 人間界つまり現実の世界を主題としているだけに、「病草紙」は「餓鬼草紙」「地獄草紙」以上に実際の鑑賞者の視点や感性について考えないと意味をつかめない部分があると私は気づきました。
山本
 ところで、加須屋さんの「病草紙」研究のスタートはいつ頃でしたか。
加須屋
 一九八〇、九〇年代、大きく学問が変わる頃に私は大学院生でした。人文学のあらゆる分野で変革や学際性が求められた時代です。日本美術史の研究でも、それ以前はもっぱら作品の制作年代や作者の決定に問題点は絞られていましたが、それに対して、もっと絵そのものが何を物語っているのかを考えなければならないと思いました。

そうした時に西洋美術史の研究では構造主義、記号論、心理学、または映画論などを取り入れて絵画を読んでいく新しい方法が次々と試みられてきたのです。そうした西洋流の新しい美術史の研究方法を学びながら、日本の絵巻もまた今までよりもずっと色んな見方ができるのでは、と考えました。

最初の頃は私も「病草紙」の病気という特異な主題について研究を始めたのですが、今回改めてじっくり本書執筆者の皆さんと話し合い、調査を行いながら感じたことは、病気というのは決して特殊な主題ではなくて、この絵巻は病気の人であれ健常者であれ、男であれ女であれ、都市住民であれ地方在住民であれ、平安貴族に代わって新しく力を持ち始めてきた庶民階級の肖像画としての意味合いがあるのではないかとの考えに至りました。もちろん後白河法皇を核とした旧勢力は権力的な視座から見下ろしているけれど、新興勢力を無視したり、彼らから目を逸らすのではなくて、この時代の社会全体いわば世界の縮図を見てみたい、そんな「まなざし」の欲望に根ざした絵巻として「病草紙」があるのではないかと強く感じています。実に多種多様な人たちの姿かたちや立ち居振る舞い、さらには彼ら一人ひとりの感情や心の動きまで「病草紙」にはしっかりと描き込まれているのです。美術史家はそれを見過ごしてはなりません。
山本
 本書の準備段階で、各地に分蔵される「病草紙」のほぼすべてを、執筆者そろって熟覧調査しました。これは得難い経験で、実物を見て改めて絵としての完成度と質の高さに驚きました。また、この絵を制作した人々が注ぐ「まなざし」に、単なる差別意識を超えた社会に対するある種の共感めいたものを感じました。主人公は病人であるにもかかわらず、頬に赤みが差していてどこか健康的で生命力が宿っている。絵師が捉える彼らの姿からは活力が感じられる。そうした印象の源泉は、豊かな色彩にあります。このことは「病草紙」に長年関心を持ってきた我々も、実物を調査して初めて気づいた部分です。
加須屋
 そうでしたね。場面によっては絵の具の粒子が僅かに残っているのが確認されました。これまで出版されてきた本に掲載された写真では絶対に見えない。同時代の絵巻の中でも抜群に細やかな技巧が施されている作品です。スーッと引いた一本の線で体の膨らみや脈打つ感じまで表現されていることにも、私たちは感動しました。

「病草紙」は分野横断の研究が不可欠

<歯の揺らぐ男>、京都国立博物館所蔵(本書より)
山本
 細部の線一本もおろそかにせずに意味を持たせています。この時代の最高の絵師が描いたものでしょう。病気を描いた特異な絵巻という部分だけがクローズアップされて、従来の「病草紙」研究はその先を十分に説明しきれていなかったのかもしれません。
加須屋
 尾籠な部分ばかり注目されてね。今回の本に収録された論考で感心したのは髙岸輝さんが「病草紙」各場面の構図の原理を目に見える形で提示されているところです。絵がちゃんと絵師の頭の中で計算され、組み立てられていることを明快に示してくれた構図論は、「病草紙」だけではなくて、今後の様々な絵を考える時の大きな方法論を提示してくれました。熟考された上で構図が決定されていく、絵の描き方が見えてきました。
山本
 白紙の上にモチーフを感覚的に置いていくわけではなさそうですね。構図も含め、ありとあらゆる絵画のテクニックが満載です。闊達な描線には即興性も見受けられますが、もしかすると、計算され演出された即興性なのかもしれません。

注目すべきは表現技法だけではありません。本来、「病草紙」は分野横断的な研究が不可欠な作品です。仏教、文学、歴史、有職故実、医学など、さまざまな知識を総動員しないとこの絵巻の本当の意味はつかめません。しかし、今回の出版では、私たちが専門とする美術史の方法論を突き詰めました。図像、構図、描線、彩色、そこからどのような意味を抽出できるのか、現時点の到達点を提示しています。
加須屋
 美術史という学問を他の研究分野に向けて開いていくための本だと思います。例えば国文学研究者はこの絵をどう考えるのか、医学史研究者、あるいは平安時代を研究している歴史学者、その中には文化史、政治史、経済史が専門の人もいる。彼らは一体この絵からどんなことを読み取るのか。そして、それをまた美術史にどのようにフィードバックできるのか楽しみですよ。
山本
 一方で、私が担当した解説では、少し踏み込んで記述した部分もあります。例えば、最後まで迷ったのが〈肥満の女〉の舞台設定です。詞書には「七条」という地名があり、画面には大きな門が描かれている、肥満の女はここで何をしているのだろうと考えました。そして、平安京の七条には官営の大きな市があったことに思い至りました。商品や金融取引の場、情報交換の場として多くの人でにぎわった七条の市を設定することで、この場面はより豊かな意味を発信し得るのではないでしょうか。
加須屋
 私たちは「どのようなかたちで今回の本を出版するのか」についても議論を重ねましたね。それがまた面白かった。

本の作りとして図版ページでは見開き右側に翻刻があり釈文があり現代語訳がある。詞書に対してのきちんとした説明があった後に、左側には美術史家は絵をどう読むか、どこまで読むことができるか解釈の可能性を示す。左右の見開きページだけでいろんな切り口が見える。

再び論考のページに目を移せば、増記隆介さんの論考では、中国絵画との関係を論じられていてさまざまな新知見が記されています。これまで日本美術史は「日本」という狭い枠組みの中で考えられがちだったけれど、平安時代であっても「東アジア」という大きな枠で捉え直してみなければならない。これは歴史学や仏教学でも近年とくに論じられている問題です。美術史において大和絵の名作と言われながら、同時代の中国絵画に近しいものがあるという発見は、「病草紙」だけではなく日本美術の全体を見直す大きな方向性を示してくれましたね。
山本
 増記さんは真っ先に原稿を仕上げてくれたので、「病草紙」が内包する世界観のスケールの大きさを執筆者で共有することができました。「世界の中の日本美術」という枠組みにまで、議論の射程が広がっています。
加須屋
 私は先ほど美術史研究の新しい方法論を外国から勉強したと言いましたけれど、今回はタケシワタナベさんという米国の日本文化研究者が英訳を付けてくれたでしょう。これは日本語の論文や解説の単なる翻訳ではなくて、ワタナベさん自身の思考を踏まえた独自の論考です。私のような西洋美術史研究から当初教わった方法論で日本美術を研究したものが、逆に英語になって外国の日本美術研究者に対して刺激を与えるような機会に立ち会えたことをとても嬉しく思います。この本では、「病草紙」の各場面名称もすべて日本語と英語で併記されている。いうならば国際仕様の本ですよ。
山本
 今回のワタナベさんによる英語論文では、日米の問題意識を照らし合わせ、どこが一致して、どこが違い、何を共有できるか、その橋渡しをしてくれています。

未来の研究者に向 けて議論の場に

<肥満の女>、福岡市美術館所蔵(本書より)
加須屋
 「病草紙」は美術史の占有物ではなくて国文学や歴史学にも広がりがある。またワタナベさんや増記さんのおかげで東アジアや英語圏の人たちにも広がる、そもそも病気や身体という問題は「病草紙」が制作された平安時代以来、九〇〇年という時を超えて現代の我々とも通じている。一つの絵を核にものすごく長くて広い時空間がつながるのです。

永井久美子さんが整理してくれた研究史のページも面白い。いかに「病草紙」が近代に入った早い時期から関心を持たれていたかがわかります。「病草紙」をこれまで見てきた人たちの考えたこと、明らかにしたこと、わからなかったことが浮かび上がってきますね。
山本
 各時代に「病草紙」と向き合った、所蔵者や研究者の足跡に心を打たれます。病気という主題を表現するために、これだけの技術を投入する平安時代の絵巻制作の場を、加須屋さんはどのように考えておられますか?
加須屋
 「伴大納言絵巻」や「年中行事絵巻」を描いたのと同じ絵師・工房の作ではないか。平安時代の貴族の日記に名前の見える常磐光長が筆を振るったとするのはあくまで仮説ですけれども、この絵巻を作ったのは当時を代表する絵師集団であったことは間違いないと思います。
山本
 「病草紙」制作に、信西の息子や孫たちの世代が関わっているのではないか、という仮説も魅力的です。後白河法皇の近臣でブレーンでもあった信西は、和漢の古典籍に通じ、仏教に精通していました。没後も、その子孫たちは平安末期から鎌倉時代の仏教界で中核として活躍します。信西という「知の巨人」の遺産が、「病草紙」に生かされているという指摘は、これからの大きな検討課題だと思います。
加須屋
 そこもこの機会に、未来の研究者に向けて現在の私たちからボールを投げてみようと思った論点ですね。一冊の本を作ることによってわかったこともありましたが、新たにわからないこと、これから考えなければならない疑問が次々と浮かんできた気がします。
山本
 本書を通じて、なるべく将来に開いていけるような議論の場を作りたかった。
加須屋
 やっていることは、ものすごく実験的ですね。論考だけでなく、「病草紙」の異本類のカラー図版を掲載したページ、絵巻のなかに描かれた事物や衣裳そして人物の表情だけを抜き出したページもあります。それから、現在、掛軸仕立てになっている場面は、それぞれの「表具」を含めた状態で写真掲載したページもある。私はこのページは好きだな。もともと長い絵巻であったのが、近代に短く場面毎に切断されてしまった結果、今は各場面ごとに「表具」を含めて鑑賞するかたちになっている。これはこれで美しさがありますね。
山本
 表装に小袖の裂などを使っていて、まさに数寄の文化です。
加須屋
 「病草紙」各場面は大正から昭和前期にかけて、原三渓・益田鈍翁・松永耳庵といった有名な大美術コレクターがこぞって所有していました。人目をひく主題で、実に上手な絵だけに、それを所有することは彼らの自慢であったのでしょうね。数寄者同士の交流の一つの道具にされていた。つまり近代の美意識が平安時代の美意識の上にもう一枚乗っている。それが凝った「表具」などに表れているのではないでしょうか。
山本
 今日では「病草紙」は日本各地の博物館などに分蔵されているので、現存する二十一場面が展覧会で一堂に会することはとても難しいのが現状です。本書によって「病草紙」の鑑賞・研究の利便性は格段に向上しました。多くの方に手に取っていただき、この絵巻の魅力と、さらなる謎に思いをはせていただければと思います。

(おわり)
この記事の中でご紹介した本
病草紙/中央公論美術出版
病草紙
著 者:加須屋 誠、山本 聡美
出版社:中央公論美術出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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