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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月22日 / 新聞掲載日:2016年7月22日(第3149号)

戦時下の奇人がいかに生きたか 「何もしない」時期にこそ外骨の骨頂が


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宮武外骨という人物の肩書きを、ジャーナリストとするだけなら、重要なものはほとんど受けた手の平からこぼれてしまう。そのこぼれたものが宮武外骨だからだ。明治から昭和にかけて「滑稽新聞」「スコブル」「頓智協会雑誌」など、数々の新聞、雑誌、奇書の類を出し続けたのだが、その多くが不敬や筆禍により弾圧を受け、発行停止、罰金、果ては投獄もされた。それでも屈せず、お上や権力に言葉の礫を投げた。

なんびとも外骨を黙らせることはできない。嵐のごとく反骨を貫いた生涯において、その晩年、無風とも言える謎の空白期があった。太平洋戦争末期、そんな「沈黙」する外骨の日常をつづった日記が発見された。『外骨戦中日記』は、戦時下の奇人がいかに生きたかを、外骨の座付き評伝作家ともいうべき吉野孝雄が読み解き、明らかにする。

しかし、その日記は、おそろしく短い、事実のみしか書かれていない。ほとんどが一行、せいぜい数行。正直言って、それ自体、さほど面白いものではない。眼光紙背に徹し、綿密な調査と想像力であぶり出すことができたのは、著者が小学生の頃から外骨と暮した血縁者だからだ。実物の声音も仕草も知る強みで、簡素な骨組みに肉付けをしていく。

日記は昭和十九年九月六日から始まる。この時外骨は七十七歳。四人目の妻と高円寺に二人暮らししていた。戦況は悪化の一途をたどり、食糧難は切羽詰まり、日記に見るかぎり、外骨は地方への食糧買出しに奔走している。あとは、東京帝国大学内にある「明治新聞雑誌文庫」へ通い、「絵葉書帖」の編集をする平凡な日々の繰り返し。

しかし著者の見るところ、この「何もしない」時期にこそ外骨の骨頂があった。「戦争に対して徹底した非協力の姿勢を貫き」、「この悪しき世のそもそもの成り立ちを、明治の新聞雑誌そのものに語らせようというのが」外骨のもくろみだったと著者は見る。そんな中、高円寺の家が空襲で全焼し、郊外の南多摩村へ疎開をする。そこで勤しんだのが「釣り」だ。激烈な言論人と釣りの取り合わせはじつに意外。しかもその出で立ちは、「和服にインバネスを羽織り頭にはソフト帽」という「紳士然としたスタイル」だ。そこに「焼けてしまったものは仕方がない。それより、現実の目の前にある生活を楽しみ先のことを考える」外骨がいた。「晴 つり 二度行き、二三尾」という電報みたいな記述から、外骨の人生スタイルを導き出せるのは、この著者しかいない。また、防空壕を嫌った「臆病」、妻とよくケンカをしたエピソードなど、素の顔も本書からうかがえて、新しい外骨像が浮かび上がってくる。

注目は、昭和二十年八月十四日、すでに「降伏」と書き、十五日の玉音放送については沈黙したこと。外骨らしいという意味で、やはり「戦中日記」も彼の作品なのである。
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