声と文学 書評|塚本 昌則(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年5月22日 / 新聞掲載日:2017年5月19日(第3190号)

声と文学 書評
文学の核心にある声 
声をめぐるパラドクスを軸とした論集

声と文学
著 者:塚本 昌則、鈴木 雅雄
出版社:平凡社
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「エクリチュールは声の絵画だ。声に似ているほど、そのエクリチュールはすぐれている」。そう言ったのはヴォルテールだった。古代より、声と文学は切っても切り離せない関係にあった。だが、機械による再生が可能になり、それが身近になった二十世紀以降、文学において「声」のモチーフは新たなステージに入ったと言える。

フランス文学を専攻する二一人の論者が「声」と「文学」の関係に多角的に取り組んで論を展開する本書を読んでまず確認したことは、声というものが一方できわめて身体的であると同時に、それがほとんど空気のように軽やかであるという両義性によって、文学の核心にあるという事実だ。この確認は素朴にすぎると思われるかもしれないが、そこから出発することにしよう。私たちは、詩人や作家の作品を読むときに、そこに独自の声を聞き取る。もっと言えば、文体とはこのような声の特異性に他ならないだろう。だが、それを作家自身の声だと信じるのは単なる思い込み、というか思い違いである。生身の作家や詩人の声を録音で聞いて、自分がイメージしていたものとは似ても似つかないことにショックを受けた経験を持つ人は少なくないはずだ。

四部からなる本書は、声をめぐるこのようないくつかのパラドクスを軸に組み立てられている。第一に、語っているとき、それは誰の声なのかという問いかけ。これは霊感という、ややもすれば古めかしい着想を、より現代的なモチーフと言えるポリフォニーや(非)人称性へと接続する重要なトポスである。第二に、声がイマージュと同様、不在と現前の蝶番の位置にあるという両義性。再現された声は不在のものの召喚であるが、それは「証言」というカタストロフィーと密接に連結するテーマへと論者たちを導く。第三に、声はつねに特異なものとして、それぞれが固有のリズム、調子、音程をもち、普遍抽象的なものの対極にあり、それゆえ、叫びであれ、囁きであれ、かならずや例外性のうちにあるということ。最後に、声が、心霊的なものや人工的なものの場合にとりわけ顕著に感じられるように、彼方とここを結ぶ機能を果たすということ。

対象となる作品や作家は、ホメロスからルソー、シャトーブリアン、ネルヴァル、マラルメを経由して、ヴェルヌ、ヴァレリー、ジャリ、カフカ、ブルトン、ルーセル、オカール、アルトー、ハイツィック、ブランショ、ミショー、ベケット、デュラス、デルボ、ペレック、バルト、ギー・ドゥボールまで、さらには初音ミクへと多彩をきわめるが、さまざまなテクノロジーによる知覚の変化によって、言葉によって表象される世界がどのような変容を被ったのかがそれぞれ丁寧に探求されている。

全体の陣容に関しては、編者の一人、鈴木雅雄の序「あなたはレコード、私は蓄音機」が明快に見取り図を描いているので、読者はそこから自分の興味に従って読み進めればよいだろう。すべての論点をここで取り上げることはできないし、いずれも力作である論考すべてに言及できないこともお許しいただきたい。

編者も強調するように声には本質的な両義性がある。それはインデクス機能を持ち、誰でもない者の声など、原則的にはありえず、声はかならずや声の持ち主へと送り届けられる。その一方で、声にはイリュージョンの側面もあり、詩人や作家は誰でもないものの声を聞き取ることで作品を立ち上げてきたというのも否定しがたい真実だ。郷原佳以「セイレーンたちの歌と「語りの声」」、野崎歓「歌声と回想」、ウイリアム・マルクス「文学――他処から来た声?」、塚本昌則「〈第四の声〉」は、きわめて堅固な理論に裏打ちされながら、具体的な作品のうちにこの両義性の働きを抉り出す論文群であり、多くの刺激を受ける。

その一方で、録音技術なり人工音声の問題を扱う論考も、サイボーグや心霊現象などと結びつけつつ、文学をその外部に接続し、文化史ないしは社会的な問題構成を明らかにしてくれる点でとても新鮮だ。音声合成・DTM用のボーカル音源が〈初音ミク〉というキャラクターに結びつけられているのは偶然ではないが、その点を意識しながら論を展開する新島進「人工の声をめぐる幻想」や中田健太郎「オートマティスムの声は誰のもの?」、さらには、交霊会や催眠術をめぐる橋本一径や合田陽祐の論考、読書行為のサイボーグ的側面を照らす伊藤亜紗「貸し出される身体」など、どれも示唆に富んでいる。

アウシュヴィッツについてしばしば表象不可能性が語られるが、声もまた根源的に再現不可能だからこそ、逆説的にも再現を待っているのではないか。声を奪われた者たちは、霊媒を待っている。その意味で、本格的な翻訳紹介が俟たれるシャルロット・デルボを扱った谷口亜沙子やペレックを論じた塩塚秀一郎だけでなく、バルトに寄り添う桑田光平の「消えゆく声」にも切々と迫るものがある。
「天職、使命、召命」を意味するvocationには、超越的な声voxが響いている。「呼び起こす、記憶に呼び覚ます」ことを意味する驍魔盾曹浮・窒ニいう動詞の語源がex vocareであり、その根源に「声」(vox)の力を認めたのは、現代イタリアを代表するアントニオ・タブッキだった。「声と文学」という豊饒なテーマの研究、フランス文学編を出発点として、世界文学へと広まってほしいものである。
この記事の中でご紹介した本
声と文学/平凡社
声と文学
著 者:塚本 昌則、鈴木 雅雄
出版社:平凡社
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