おはぐろとんぼ夜話 上 書評|丸山 健二(左右社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年5月22日

複眼の文節を鎖列として構成する聖社会学

おはぐろとんぼ夜話 上
著 者:丸山 健二
出版社:左右社
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丸山健二の詩小説が、詩的空間の花を咲かせている。

『トリカブトの花が咲く頃』以来、『夢の夜から口笛の朝まで』『我ら亡きあとに津波よ来たれ』と、毎年上梓される詩小説は、すべてが詩にかたどられた長編の小説群だ。

本書『おはぐろとんぼ夜話』も、一巻六百ページを越える全三巻の大作である。

山吹岳を遠望する谷間にある限界集落の露草村を流れる徒然川が、舞台である。幻想風景のなかに、語り手の「私=屋形船=おはぐろとんぼ」が、船大工を父にもつ「わが主=船頭」の境涯と、徒然川からみえる社会の相と大衆を語る。夜話の語り手は、「人から屋形船などと呼ばれるには/いささかみすぼらしくもあり」という「私」である。語られる対象は、「船頭にして船主でもある/軽い知的障害を負った大男」の「男」だ。徒然川を下る屋形船に乗って、手紙をもらい、恩師に出会い、女と出会う日常でさえも、不条理な社会と外部を見定める強靭なモノローグによって、現象の事象ことごとくを否定する。
 「やがて乗船客たちは」など、作品は多様な接続詞のリズムに導かれ、余白のなかに左下がりの言葉が波状する鎖列的詩章群からなる。至高性に息づく文体は、哲学的思弁で強く鋭い。その言語空間をささえる言葉の象徴性や抽象性は、詩的なるもの(ポエジー)と同位する。「原体験としての戦争を語る老人…」戦後の悲惨と希望の残像が反照する。膨大な詩章には、現代社会の虚と実が、「世間なんて/人生の意義がとことん蔑ろにされる」と、全否定の原理と倫理の弁証法につらぬかれている。

丸山健二の詩小説は、一見破形の美による詩章の語りともとれるが、そこには、社会の構造のなかに人間の多様な生態がリアルに、あるいは比喩的に書きとめられている。それらは、社会的存在としての人間の生態だけでなく、動植物や昆虫との自然と反自然とのつながりをも映し出していて、現代を生きる人間とは何かを語らずにはいない。作者は此岸から彼岸をみる。登場人物の心性と外界の描写には、現代社会の現象がちりばめられている。屋形船の複眼から眺められるのは、現代の風景である。
徒然川を下る屋形船には、多くの大衆が乗船し、「私」は大衆の原像を語りはじめる。おぞましいほどの真逆な言葉で、エロスの言葉で、共同幻想に弱い民族の自己幻想に支えられた現代社会の否定性を網で救いあげる。「水ぬるむ徒然川の両岸に/物思う花々が眼路の限り咲き乱れ」る自然のなかで、物語はリアリズムとロマン主義的な詩章のなかに、「正」「反」からではなく、「反」「正」からの「合」へと展開する否定の弁証法である。構造の波間には、自動記述による言説や神学さえ滲み出ている。聖と俗、欲望と存在、王と道化、宗教と軍隊が、否定の弁証法を通過する。そこに、自動記述的ではあるが、シュルレアリスムを越えるポスト文学が、生成するカオスのなかのアフォリズムとなって、物語の深層に意味を付与するのだ。読者は、『失楽園』やカフカの作品や『百年の孤独』を髣髴とするかもしれない。山塊や川の両岸にひろがる現実と幻想が錯綜する現代社会の比喩の姿から透けてみえるものは、高角度の屋形船からみる社会の権力や体制と、それを支えている大衆自身のモラルとナショナリズムへの批判であろうか。否定の弁証法がめざすのは、大衆の思想的自立である。
 屋形船の漂流は、具体性の構造の複雑性を解明するかのように、大衆の様々な人生の閉鎖系から開放系へ、混沌から秩序へ、散逸構造から自己秩序の形成へと、ゆらぎの徒然川とともに流れ終わり、再び流れ出す。時間を象徴する徒然川は、無言で流れ、語り手の思弁哲学を受入れる。やがて、「生命を超えた生命のごとき/有機そのものである/あふれんばかりの水を切って/するすると走り続け」る屋形船は、うつせみ町にたどり着き、大海にでる。だが、強固なコギトーが、大海でみるのは、「長年こっそりと待ち望んでいた宿命的な出逢いとは/まさしくこのことではないか」という、メタのゆらぎから生れる新たなパラダイムの波状である。「生と死の回転は間違いなく永続するという」提灯に灯のともされた屋形船の航行の結末は、メルヴィルのピークォド号のように、破壊的で劇的だ。最後の最後に、物語は「無」となり、そして「有」にたどりつく。その瞬間こそ、西洋社会が生んだ否定神学が、日本の神秘主義の文学と相渡るときである。

修行僧のような精神と風貌のアナーキーなロマン主義者、丸山健二。すべてを否定した後に残る、戦後作家につらなる孤高の作者が描くものは、「おはぐろとんぼ」がみた複眼の文節を鎖列として構成する聖社会学である。混迷した世界との対決と緊張感が絡み合う、自然と社会と聖なるものの社会学を語る遠大な幻想的文学である。



この記事の中でご紹介した本
おはぐろとんぼ夜話 上/左右社
おはぐろとんぼ夜話 上
著 者:丸山 健二
出版社:左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
おはぐろとんぼ夜話 中/左右社
おはぐろとんぼ夜話 中
著 者:丸山 健二
出版社:左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
おはぐろとんぼ夜話 下/左右社
おはぐろとんぼ夜話 下
著 者:丸山 健二
出版社:左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年5月19日 新聞掲載(第3190号)
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