情動とモダニティ 英米文学/精神分析/批評理論 書評|遠藤 不比人(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年6月5日 / 新聞掲載日:2017年6月2日(第3192号)

制度化された概念からこぼれ落ちる「残滓」を捕えるために

情動とモダニティ 英米文学/精神分析/批評理論
著 者:遠藤 不比人
出版社:彩流社
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研究者でなくとも何となく気づいている人は多いだろう。このところ「情動」という言葉をやけに耳にする。別に新奇な単語ではない。意味もわかる。それどころか、さまざまな連想が付着し、田宮次郎やら若尾文子やらの出演する、「いやな人ねえ、もう」なんてセリフが吐かれる映画を思い浮かべたくなる。メロドラマチックな匂いのたっぷりする語だ。

しかし、だからこそ気になる。このメロドラマな単語がいつからこんなふうにアカデミズムで使用されるようになったのだろう。

実は、情動という語の持ち味を生み出しているのは、まさにこの微妙な違和感なのである。本書『情動とモダニティ』の核心もそこにある。著者の遠藤は終始、なぜ情動という言葉を掲げる必要があるのか、そうすることで何を引き起こせるかを、ほとんど格闘家的な熱気とともに語っている。そこで彼が強調するのは、すでに流通し制度化されてしまった概念ではとらえきれない「残滓」性――過剰さ、外傷性、もの性――に言い及ぶためにこそ情動という語が使われるということである。

遠藤の言う「情動(affect)」は、「感情(emotion)」と明確に区別される。一般的には、両者をあいまいに重ねて使う人も多いかもしれないが、フレデリック・ジェイムソン、レイモンド・ウィリアムズ、ロラン・バルト、ポール・ド・マン、ジクムント・フロイトといった論者たちを援用しながら進められる遠藤の議論では、この区別は重要である。感情は近代個人主義のイデオロギーを支える柱だった。個人が個人であることを保障するのはプライベートな内面、およびそこに格納された感情だと考えられてきた。だから一九世紀の小説家たちは、いかに登場人物の内面に入り込み、その感情を描き出すかに腐心した。

しかし、こうした感情の扱いは「心」の制度化をもたらし、心理を矮小化した。「心」はこぎれいでまとまりのよいものとなった。むしろ、そこからこぼれ落ちる「残滓」に注目せねばならない。だから情動が必要になる。

情動という概念にまだ馴染みの薄い人は、まずは序章を丁寧に読むといい。ジェイムソンを中心に立てつつ、柄谷行人、ド・マン、ウィリアムズといった参照軸を用いて、ウルフやフライといったいわゆる「モダニズム」期の書き手たちへと挑んでいく著者のもくろみが一望の下にできる。実際には情動という概念はそれほど奇をてらった概念ではない。文学作品の粘り気のようなものを体感したことがある人なら、「ああ、あのことか」とうなずくはず。つまりテクストのあちこちに顔をのぞかせる、しかし、うまく整理も説明もできないあれのことなのである。

本書の中でもとくに大事な役割を担うのは第二部(五~七章)。情動に注目することがなぜアクチュアルな政治性と結びつきうるか。ウィリアムズの「生きられた経験」という一見素っ頓狂なほど素朴な言い方が、抽象化への抵抗の結実であったことを、遠藤は力をこめて語る。情動が個人という枠をこえて共有されうるという問題は――何しろファシズムのことがあるから――とくにモダニズム期の作家の政治性を考える上では見逃すことができない。近代のナショナリズムは私的な情動を「包摂」し「流用」してきた。これに対し遠藤はスピヴァクやウィリアムズを引きながら、「『ただそこにいる』ことの存在論的な情動性が、国民/個別と国家/一般性の回路から逸脱する可能性」こそを視野にいれねばならないという。現在、もっとも差し迫った課題だろう。

第三部(八~一〇章)は三島由紀夫やカズオ・イシグロにじっくり個別的なフォーカスをあてたいわば批評実践。理論構築を目指す遠い眼差しと、足下を熱烈に踏み固めようとする格闘家らしい熱気とに支えられた本書で、著者の一番デリケートな部分が最後にデザートとして待ち構えている、というなかなか憎い設定だ。
この記事の中でご紹介した本
情動とモダニティ 英米文学/精神分析/批評理論/彩流社
情動とモダニティ 英米文学/精神分析/批評理論
著 者:遠藤 不比人
出版社:彩流社
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