世界に、確かに存在した一瞬 その豊かさと素っ気なさをどれだけ表せるのか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年7月29日 / 新聞掲載日:2016年7月29日(第3150号)

世界に、確かに存在した一瞬 その豊かさと素っ気なさをどれだけ表せるのか


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ビリジアン

場面の断片を、ずっと覚えている。小学校にいるとき、突然空も空気も黄色くなった。黄色いなあ、と言い合った。誰も驚いていなかったし、理由もわからなかった。あとから同級生に聞いても、あったかどうか確かめられない。わたしは覚えている。あるいは、ピナツボ火山が噴火した年の冬、深紅の夕焼けを何度か見た。十年以上経って、それを漫画に書いている人がいた。だからわたしと誰かも覚えている。大学受験の帰りの電車で外国人に話しかけられた。名前を教えてもらった。それきり会わない。名前を覚えている。

『ビリジアン』の連載を始めたころ、小説を書くことを仕事にして八年が経っていた。そのだいぶ前から小説を書いていたし、小説家になるつもりだった。小説が何冊か本になって、小説を書くことと、雑誌に載ったり本を出したりすることとの間で、「小説」に対してぎこちなくなっていった。書けば書くほど、小説はわからなくなったし、そのぶんおもしろくなった。

小説を書きたいと強く思うのは、素晴らしい小説を読んだとき、かっこいいと心が躍る小説を読んだときで、自分の底に残るのは、その気持ちの強さだけだと思った。書きたいことだけを、シンプルな言葉の感触だけを信じて、好きなように書く。毎回十二枚の原稿で、それだけは守ろうと思った。

わたしが生まれ育ったのは、工場が建ち並ぶ運河に囲まれた大阪の片隅だ。『ビリジアン』に書いたのは、その街を中心として、一九八三年から一九九二年、ある一人の十歳から十九歳までの目が見た世界だ。

黄色い空も、深紅の夕陽も、高熱があるのに踊っていた人も、追いかけてきた犬も、弾けた爆竹も、人と交わす言葉の一つ一つも、世界はおそろしいほどに高精細に鮮やかに迫ってきた、そういう日々のこと。現実にはありえない、と言われることも、そこにはある。『ビリジアン』に書いたことはすべて、誰かににとってほんとうに起きたことだ。その世界に、確かに存在した一瞬なのだ。

目の前で容赦なく起こること、それに接した瞬間の驚きを、そのまま書くことはできるか。自分の手の中にある限られた材料で、世界の豊かさと素っ気なさをどれだけ表すことができるのか。たぶん、そんなことを考えていた。

『ビリジアン』は、これがいちばん好き、と言われることが多い。なぜだか説明できないが好きだ、と言われる。

わたしも、そこになにを書いたのか、説明できない。ただこれが書けた。そのことが自分が小説家であることを支えてくれる。『ビリジアン』で自由に動くことができるようになったから、そのあとの小説が書けたし、これからも書き続けられる。『ビリジアン』を書き終わってから五年以上いくつもの小説を書いてきて、今、文庫という形になって読者に届けられることが、なによりうれしい。
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