中世の〈遊女〉生業と身分 書評|辻 浩和(京都大学学術出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年6月12日 / 新聞掲載日:2017年6月9日(第3193号)

中世の〈遊女〉生業と身分 書評
遊女の地位の変容(低下)を論じる 
日本史学以外の研究にも目配り

中世の〈遊女〉生業と身分
著 者:辻 浩和
出版社:京都大学学術出版会
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遊女研究というのは、いくらか混乱した状態にある。本来は歴史学の領分だが、民俗学や文学、最近では社会学やフェミニズムも関連している。「複数の真実」などと主張する者もいるが、物理的事実は一つである。だが、それぞれの学問において違った風に遊女は論じられている。これまでの研究で最も優れているのは滝川政次郎のものだが、滝川は世間の遊女幻想を嫌い、また独特の人柄のために露悪的な書きぶりをしているため、一般に読まれていない。著者は京大大学院の人間・環境学研究科という、文学部とは違うところで学んだが、師事したのは日本史学者なので、だいたい日本史学の文脈で書かれているが、それ以外の分野での研究にも目配りしているところがいい。

中世における遊女の地位の変容、あえて言えば低下を論じているともいえるが、それは後白河・後鳥羽院政の時代において、今様、つまり藝能の担い手としてそれなりの地位が与えられたことを重く見、それが中世後期にそういった役割がなくなっていくという描き方になっている。だが淡々たる記述なので、中世後期に遊女の地位が下降したと読めなくもないが、むしろ院政期が例外であり、優遇に与ったのは一部の高級遊女だけであるということは押さえておくべきだろう。

遊女については、巫女起源説、聖なるもの説、宮廷が設置した内教坊の妓女出身説などがあり、著者はこれらを否定しつつ、網野善彦を批判した豊永聡美の、遊女にも階層があったのではないかという仮定をゆるゆると検証していく。当初、ないと言われていた史料が意外にあった、というが、特段驚くべき史料が出てきたわけではない。著者の記述は穏当で、これまで、遊女と宮廷女房の類似が言われてきたというのに対して、それは似ておらずむしろ下女のほうに行動様式が近いとする。これなどは、網野の説に対する批判なのだが、そのへんは読む人が読めば分かるようになっている。

帯には、中世初期に遊女は「卑賤視されることもなかった」が、のち卑賤視が「定着していった」と書かれている。だが本文で著者は、「卑賤視されなかった」とは書いていない。また著者は「卑賤視」を、非人差別と類似した形でのものとしてとらえているが、売春という業に由来する別種の蔑視は存在したのではないか。そのことは私も指摘したはずで、著者は私の論文もあげているが、帯文は論外として、著者はここを突きつめていないと感じた。セックスワーク論を著者は持ちだしているが、それは事実から目を背けるための論ではないはずで、本書にはいくらか、遊女が差別されなかったおおらかな古代という幻想が残っていると感じる。帯文は営業のもの、などと言われるが、中には帯文だけ見て書評するような人もいるので、学術書としてより正確な帯文を願いたい。

学問においては、しばしばないものを幻視する人というのが現れる。まともな学問というのは、ないものをないと確認していく作業となり、一般読書人にはむしろ退屈に感じられることがあるはずだ。事実というのはバナールなものであることも多いので、それでいいが、著者が今後さらに近世や古代に手を広げていくならば、そういう「遊女幻想」的なものとも対決することになるだろうが、それが私にはむしろ楽しみである。

佐伯順子『遊女の文化史』は学問的には無効の本だが、刊行から三十年のロングセラーであり、著者としても本意ではないのではないか。こういうものには触れないという歴史・国文学者の作法というものがあるが、読んでこれが現在の常識なのだと思う学生などもいるのだから、放っておくというやり方は望ましいことではないだろう。
この記事の中でご紹介した本
中世の〈遊女〉生業と身分/京都大学学術出版会
中世の〈遊女〉生業と身分
著 者:辻 浩和
出版社:京都大学学術出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
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