田中陽造著作集 人外魔境篇 書評|田中 陽造(文遊社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年6月19日 / 新聞掲載日:2017年6月16日(第3194号)

鬼才の見つめてきたもの 
こういう人、こういう脚本家は、ほかにいない

田中陽造著作集 人外魔境篇
著 者:田中 陽造
出版社:文遊社
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うれしい本が出た。日活ロマンポルノの数々、鈴木清順や相米慎二の作品など、ただのいい映画とはちがう「名作」を手がけてきた脚本家田中陽造の文章を集めた本だ。四八〇頁近くあるが、重いという印象はない。

田中陽造は一九三九年、東京の日本橋に生まれた。巻頭の「はじめに」は、六歳の彼が体験した大空襲の記憶を語る。「ただ愚かに私の作品はどこかであの時の恐怖と炎を内包してしまう」。そういう世代。でもその「困り方」は独特である。

エッセイ、映画評、自作についてのコメントが、前半におかれている。どれもいわばドキッとさせる味がある。

エッセイ「夏の病院」の「人間は壊れやすい。どこか壊れた患者たちを何人も見たけれど、共通しているのは優しさだ」という箇所にまず惹かれた。人を見つめる。「痛ましさ」をおぼえる。自身も病みながら観察している目の、とくに積極性や主張へとは展開しない静かさがいい。

全体に、力んでものを言うところは少ない。そのなかで石井輝男と寺山修司に対しては激しさがある。「石井輝男論」は取材もしっかりやって密度が濃い。世の良識派から批判を受けていた「異常性愛路線」の石井輝男にこれほど質の高い共感を示したのは、ほかに大和屋竺がいるだけだろう。「日本でいちばん気が狂っている監督はこの人なのだ」とまで言い、その上で注文をつけることも忘れていない。寺山修司作品には、勝手に喧嘩を買ったというような、映画の運命の先の先までを見抜く書き方で批判をあびせている。

「大和屋竺について」は、ちょっとひねくれ気味の弟分的挨拶。「この人の写真は、一・二・三とジャンプする所でいつも腰が砕けている」という鈴木清順の、大和屋作品『荒野のダッチワイフ』を見たときの言葉が紹介されていて、興味深い。

人と人が出会って映画を作っている。そのおもしろさが随所に感じられる。たとえば、相米慎二を追悼する「早すぎた死」に出てくるエピソード。田中陽造が『セーラー服と機関銃』の長まわしに呆れて「君はエイゼンシュタインのモンタージュ論なんか勉強しなかったの」と訊くと、相米慎二は「ちょっとうつむいて、ボソッと、俺、モンタージュが嫌いなんですと言った」という。まともといえばまともなやりとりの間がおかしい。

本書のハイライトは、一九七〇年から七二年までに田中陽造がルポライターとして書いた週刊誌の連載読物「人外魔境―異能人間たち」と「犯罪調書」。死体から切りとった刺青の皮を収集する医師からはじまって、人生そのものを奇想天外な芸術にした人たちが登場する。凄い人がいるものだ。いや、いたのである。田中陽造は、生半可な想像力では現実の凄さに太刀打ちできないことを知った。そこからの創作。文学ではなく映画の脚本を書いた。彼の見つめてきたものがその資質とともにそれを選ばせたという気がする。

脚本が二つ収められている。大和屋竺の怪演で知られる鈴木清順監督のテレビ作品『木乃伊の恋』と、もう一本は一九九八年に若松孝二監督で製作予定だった未映画化作品『痴人の愛』。谷崎潤一郎原作を時代性のある活気へと見事に開いた傑作である。

こういう人、こういう脚本家は、ほかにいない。あらためて鬼才という呼び名がふさわしいと思った。
この記事の中でご紹介した本
田中陽造著作集 人外魔境篇/文遊社
田中陽造著作集 人外魔境篇
著 者:田中 陽造
出版社:文遊社
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