夫・車谷長吉 書評|高橋 順子(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年7月3日 / 新聞掲載日:2017年6月30日(第3196号)

夫・車谷長吉 書評
言葉がつなぐ不器用な愛 
単なる私的記録ではなく物語として

夫・車谷長吉
著 者:高橋 順子
出版社:文藝春秋
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夫・車谷長吉(高橋 順子)文藝春秋
夫・車谷長吉
高橋 順子
文藝春秋
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人には他人の生活を覗きたいという欲望がどこかにあり、詩人と小説家の夫婦の話であればなおさら高まる。しかも、車谷長吉は亡くなるまで私小説家の生き方を貫いた作家で、高橋順子は婚前は瀟洒な詩を書いていたが、結婚後はかなり濃密な私的な詩を書いている詩人、これで興味がわかないはずがない。実際に本を開いてみると、「車谷嘉彦と著名のある絵手紙をもらったのが、最初だった。」と、興味を惹く書き出しである。さらに物語は読者の予想を裏切りながら進む。恋人になってから絵手紙をもらったのかと読んでまず思うが、そう素直に物語は進まない。語り手の当時の状況が語られた後、二人が知り合う前のファンレターであることが分かる。
「秋山さんから高橋順子詩集、三冊を借りて読んだ。孤独な生い立ちの木。併し形容詞形容動詞を使って高橋さんの詩の感想を述べることは、一切無価値である。言葉は魂の裸体だ。或いは喪われた時間の輝きである。今夜は晩飯を喰ったあと、谷中の墓地へ虫の音を聞きに行った。雨に土が濡れていた。 嘉」

これが最初の手紙であり物語の始まりでもある。のちに三島賞と直木賞を受賞しベストセラーを生み出す作家だけに、言葉が端的で的確であり、人の心を強引に掴むような力がある。二通目の日常を飾りなく書いた絵手紙の後、「葉っぱを一枚つけた柿色の柿」が描かれた絵手紙が届く。自分の近況、過去をさりげなく告げ、「見た風景の一つ、一つが心を刺した。私は自分の人生を棒に振れなかった、ということだろう。今夜は牛の屍体を喰うた。」と続く。まさに小説の一部のような言葉だ。それから何通かの絵手紙が届き、ひらがなやカタカナの絵手紙に続く。絵手紙の言葉は常に熟考され書かれている。フィクションのような話だが、かなり正確に事実をもとに記されているのだからそのリアルさは半端ではない。私小説作家は事実を描くのではなく、現実を小説のように生きる人物だ、という誰かから聞いた言葉が頭に浮かぶ。あくまで事実からはズレがあるので括弧で括って記すが、このようにして詩人「高橋順子」は小説家「車谷長吉」に、物語のように惹かれていく。

絵手紙は続きまるで出会ったかのような二人の心の接近が綴られていく。車谷の手紙は少しずつ自分の核心に向かっていき、高橋も当時と現在の気持ちを交差させながら、揺れる気持ちを語っていく。まさに恋愛小説の醍醐味である。語り手の高橋が、「病院と書かないことが、ダンディズムだったのかな。」や、「緑色の封筒を見るたびに、得体の知れない圧迫感が胸を圧していた。相手の気持ちをまったく考えない人ではなかったのだ。」と冷静な分析が置かれ、単なる私的記録ではなく物語として成り立っている。「なんという目のない、そしていい気な女だったろう。」という自分に対する冷静な目も忘れていない。

ここまでは書き出しであり、その後、物語はまるで私小説のように興味深く綴られていく。出会いから結婚や新居の購入、『鹽壺の匙』や『赤目四十八瀧心中未遂』の出版や受賞、さらに精神的病の発病や四国遍路、世界一周旅行、死別まで続くが、あとは読んでのお楽しみ。ただいえることは、手紙は連句に変容し物語を貫いていく。そして、車谷没後に回想する最後の句のやり取りまでたどり着き、この一冊が詩人と小説家の言葉がつなぐ不器用な愛の物語であることが、温かい悲しみと共に伝わった。
この記事の中でご紹介した本
夫・車谷長吉/文藝春秋
夫・車谷長吉
著 者:高橋 順子
出版社:文藝春秋
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