〈7月〉 二人冗語 大「共感」時代? キャッチャー・イン・ザ・「ポスト真実」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年7月10日

〈7月〉 二人冗語
大「共感」時代? キャッチャー・イン・ザ・「ポスト真実」

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馬場
 上半期の芥川賞候補作がでましたね。
福島
 もしや松浦理英子が入るかと期待していたのですが、やはり難しいのですね。慣習でしょうか。
馬場
 その慣習がやはりわかりにくいですね。新人じゃないから? といっても、その定義でもめてきた賞でもあります。日本文学振興会の公式HPには「芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます」と説明されていますが、創り出す世界が「新進」つまりは新しい何かを打ち出している作家という意味ならば、今回の本命は松浦ですよね? 二人冗語的には(笑)。
福島
 フランスでは、超大物作家のマルグリット・デュラスが七十歳でゴンクール賞を受賞した例があります。この賞も若手の登竜門的な位置づけの賞ですが、年齢やキャリアにかかわらず、与えるときは与えるという姿勢のようです。
馬場
 ならば村上春樹にもあげてもよい? 『騎士団長殺し』は高い評価を得ているように思えますし。
福島
 そういえば候補者四人というのは珍しいですね。全一五七回の歴史の中でも、太平洋戦争前・戦中の七回をのぞけば(GHQ占領期にあたる一九四五~一九四八年は開催なし)、初めての出来事です。
馬場
 変化の兆しでしょうか? あとは、候補作そのものよりは、直前数作からの伸びしろもまた忖度されているような印象もあるのですが。
福島
 芥川賞はミネルヴァの梟です。大体、前作の評価が高かった人が選ばれる傾向にあるように見えます。
馬場
 いずれにせよ、受賞された方にはぜひ書き続けてほしいです。
福島
 もちろん授賞されなかった方にもね(笑)。さて、今月は何か気になるテーマがありましたか? 
馬場
 「ポスト真実」。「人々は自分の信じたいものしか信じない」(文學界)という時代に入っているということですが…。
福島
 別の言い方をすれば、大「共感」時代の到来ですね。「いいね」と言われないと不安になり、「いいね」と言わないと恨まれるような気がする時代。
馬場
 今月の作品には、その状況をはっきりと自覚して書いているものがありました。まずは乗代雄介「未熟な同感者」(群像)。タイトルそのまま「同感」の問題を書いてますが、テクスト論とも結びつけています。主人公である語り手は「本作の書き手」という設定。大量に挿入されるサリンジャーや二葉亭といった文豪たちの創作上の思想、とりわけ作者と読者の「同感」の問題が、講義の一部として語られています。しかし、そのテーマと、仕方なしに所属したゼミで出会ったメンバーと繰り広げる物語とが、あまりうまく噛み合っていないような。志の高さは感じられたのですが…。
福島
 作品の半分近くが引用で占められるなど、たしかに前衛的な構成です。個人的な話で恐縮ですが、高校時代にグラス家シリーズにはまっていたので、サリンジャーのくだりは実に懐かしかったです。ナチス軍と最後の殺し合いをしながら強制収容所の真実を知ってしまうユダヤ人米兵サリンジャーの特異な体験があり、それでもそれを「同感者」たちに伝えようとする作家の孤独な営みに注目したのは、価値ある掘り起こしだったと思います。ただし、興味深い引用が散りばめられていき、それらが布石となって対局を決するかと思いきや、物語は身体感覚での「同感」体験によって足早に閉じられます。エクリチュール論、読書論、残された者たちによる偽書、身体性…と問題を掘り下げただけに、終盤のまとめ方にはやや雑な印象が残ります。とはいえ、「真実」(サリンジャー、先生、主人公の叔母、南方録…)が消えた状況にありながらも、それへの完全な「同感」を求め続けること、しかも「同感」を果たせない「未熟さ」を意識し続けることに可能性を見出すという姿勢には、「ポスト真実」の時代に安易に棹差すまいという意気地を感じました。
馬場
 「真実」とそれをめぐる言説との間に生まれる空間、そのあわいこそが、現代のネット社会のリアリティだと言えます。ダイレクトにそれを問題にしているのが、鴻池留衣「ナイス・エイジ」(新潮)でしょうか。この作は、未来人が予言するというスレッドのオフ会から始まります。参加した絵里は当の未来人だという男と出会うのですが、その進次郎なる人物が自分の孫だという。怪しみながらも自宅に連れ帰り、同居の様子をスレッドに報告することで巻き起こる騒動を書いています。
福島
 掲示板の住人にとって、もはや真実はどうでもいい。ネタになってくれて、そして、そのネタで盛り上がれさえすればいい。まさに共感の共同体です。その典型的な副産物が、社会的なラングからの逸脱としての言葉の洗練化、パロール化です。この作品でも、ネット上で、ある名前や表現がどんどんダジャレのようにズレていって変な専門用語化していく過程がリアルに描かれています。シニフィアンの戯れってやつを地でいく感じです。「kmk(=来た、見た、勝った)」とか台東区下谷のマンションに押しかけることが「たいとうくした」という動詞になったりとか。
馬場
 みんなが「たいとうくする」ようになる(笑)。その一つのエピソードに、どこかの誰かが「ポスト真実時代の新文学」というタイトルの自作小説を投函してきたというのがあるのですが、これは自己言及なんでしょうね。ところで、今回芥川賞候補になった今村夏子もそうですが、親(とくに母親)が新興宗教を信仰しているというのが目立ちます。なにかのアナロジーなのでしょうか。本作では、新興宗教にはまる母親と、その母親の実名であるアキエをハンドルネームにして未来人問題にはまっていく娘の絵里の姿が相似形をなしています。最後のタイムマシンの実験は、もともと証明不可能なことがらを証明したことにして母娘が共感している段階で、「真実」よりも「感動の共有」がすべてを解決している。これがポスト「真実」時代だなと。
福島
 加えて、真実を追求している「フリ」をして感動している母娘を動画サイトの実況で見ながら、疑念や期待、嘲笑のコメントをテロップで流す人々の共同体がそこに成立する。映像の真偽とは無関係に盛り上がる共感の共同体です。ベタな真実よりも、「フリ」を共有できるネタがあればいいという彼らの姿は、ユーモラスであると同時に現代の大いなる戯画です。
馬場
 スレッドの住人たちにその自覚があるのもまたポイントでしょうか。彼らの言葉のひとつに「俺らは心の底で騙されたいんだよ。それが俺らがここに齧り付いている理由なんだよ。アキエ氏、アキエ版は俺たちの総意によって存在していたといっても過言ではない」というのがあって、一昔前ならこの開き直りは真実や事実の前に屈服させられるところですが、今や「総意」という名の共感パワーで押し通し彼らの「真実」にすることが可能だというわけです。
福島
 考えてみれば、母親の新興宗教も、検証しようのない真実を信じているフリをすることで盛り上がる共感の共同体とも言えます。新興宗教がやたらと小説に現れるようになったのも、この共感の共同体が一気に世の中に噴出してきているからなのかもしれません。そう考えると、本作も今村作品も、まさしく「ポスト真実」小説だと言えます。
馬場
 ちなみに「ナイス・エイジ」は次の元号の予言ですね。
福島
 みんなで共感して共同体を作る、まさにナイスな時代…(笑)。そもそも、文学は真実のないところに共感を成立させるようなところがある。虚構の力と言われるやつです。ただし、じゃあ真実なしでいいかというと、そこまで開き直れない。本作が喜劇だとしたら、「未熟な同感者」の方には、そういったあがきが描かれていたように思われます。「ポスト真実」と言われる時代に、あくまであがくか、一緒に踊るかの選択を突きつけてくれた二作でした。
馬場
 虚構と真実が問題の最前線にあるのなら、それを重要なテーマとしてきた文学が、まさに本領を発揮すべき時代なのかもしれませんね。
2017年7月7日 新聞掲載(第3197号)
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