「何やってんねん、キミらは・・・」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ともかくスケッチ 第44回
更新日:2016年7月29日 / 新聞掲載日:2016年7月29日(第3150号)

「何やってんねん、キミらは・・・」

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灘本唯人さんが亡くなられた。ボクが20歳の頃からだから50数年の間お世話になったことになる。

イラストレーターという名称がない頃、挿絵画家と言ったのか、図案家と呼ばれていたのか定かではないが日本に於いてイラストレーターを確立されたおひとりである。桑沢デザイン研究所の学生の頃、大坂の早川良雄先生の事務所に実習に行った。早川先生も当時の先生方が殆どそうであったように今でいうところのアートディレクターもデザイナーも、コピーライターも、ある時は写真もイラストレーションもひとりで何役もとり仕切る創世記の時代であった。その早川先生が東京に事務所を設立された時、先生に乞われて所長といった形で参画された。

K2の相棒、黒田征太郎とものこの頃知り合うのだが、なにしろ恐い人という印象が強烈に残っている。身のこなし、軟らかな関西弁、決して見かけ通りではない、メガネの奥の目からは鋭いものを感じた。日宣美という、若者がデザインへの登竜門として目指しているコンペティションがある。ボク達は応募締め切り前夜に何年もの間灘本さんのアトリエに作品を運び込み最後のチェックを受けた。「ここはこうした方が良い」、「文字はもっとはっきり分り易く」、「トリミングがよくない」と的確な指摘を受けた。お陰様で日宣美賞という文学でいうところの芥川賞を受賞することが出来た。感謝の気持ちでいっぱいだ。プライベートなところでも甘えていた。ボクも黒田もお金がなくなるまで飲み呆ける時代があった。「何やってんねん、キミらは……」、「身体に気ィつけや……」と言いながら飲み代を工面して頂いたことも数多くあった。

いろいろと想いは駆け巡る。
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