夜哭烏 羽州ぼろ鳶組 / 今村 翔吾(祥伝社)自分を変えたいともがく若者たち 私にしか書けない「ぼろ」の物語|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2017年7月31日 / 新聞掲載日:2017年7月28日(第3200号)

自分を変えたいともがく若者たち
私にしか書けない「ぼろ」の物語

夜哭烏 羽州ぼろ鳶組
著 者:今村 翔吾
出版社:祥伝社
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「私にしか書けないものがないものか……」

茫と考えながらまどろみ、やがて知らぬ間に眠りについた。そして朝はっと目が覚めた時、私の頭に浮かんできた言葉が「ぼろ」であった。それと以前から書いてみたいと思っていた江戸の複雑怪奇な火消組織のことを合わせ、本著『羽州ぼろ鳶組』が生まれた。

なぜ私にしか書けないものが「ぼろ」なのか。私は十年以上、世間から不良と呼ばれたり、何年もの間引き篭もったり、いわゆるドロップアウトした子どもたちにダンスを教え、それを通じて再び生き直しに導く団体でインストラクターを務めてきた。

白に近い金髪、ボディピアス、彼らの見た目はお世辞にもガラが良いとは言えない。そんな子どもたちが老人ホーム、児童養護施設、限界村落などで踊るのだ。ある時は経済破綻した夕張市を元気付けるために、自らバイトをしてボランティアで踊りに行き、またある時は東日本大震災で被災した南三陸町の子どもたちにダンスを教えにいく。これだけ聞けば「良いこと」だと、皆が応援してくれそうである。しかし一度「ぼろ」のレッテルを貼られた彼らに世間の目は厳しい。
「不良が少しいいことしただけで評価されるだけ」
「良い子ぶりやがって」
などの、心無い言葉が浴びせられる。人は無垢に生まれて、多くの偏見を身につけ、老境に差し掛かりそれを削ぎ落としていくものらしく、懸命に生きる彼らを最初に応援してくれたのは、手を握って涙するお爺さん、お婆さん。そして目一杯の声援を送ってくれる子どもたちであった。そこから、少しずつ偏見を溶かしてくれる方々も現れてきた。

自分を変えたいともがき、誰かのためにと瓦礫の残る町で踊る若者を見て来た。偽善者と言われながら、それでも何もしない善人より、何かをする偽善者であろうとする若者たちをずっと見て来た。生き直そうとする者の輝く目を見て欲しかった。そして社会に彼らを受け入れて欲しいと願っていた。

私はその渦中にずっといた。これはきっと私にしか書けないことではないか。私はちょうど若者と壮年の真中に立っている。胸の内に飼っている数々の偏見が目を覚ます前に、私はこの物語を書きたかった。

是非、本書を手に取って頂きたい。面白くなかったならば才能が無いと叩いて下さって結構である。そうなれば私は諦めずに泥臭くより良いものを模索する。勿論楽しんで貰えたらこの上なく嬉しい。少々頭に乗って鼻の下を伸ばしてさらに張り切るだろう。

詰まる所、私は人の評価がいかなるものであっても書き続ける。いかなる声も正面から受け止め、ただ黙然と書き続ける。一人でも多くの人に「面白い」と思って頂けるために。

そうすることが、決して諦めずに共に生きた若者、そして世間の偏見の目に苦しむ方々に見せられる私の姿だと確信している。(いまむら・しょうご=小説家)(三七六頁・六八〇円・祥伝社)
この記事の中でご紹介した本
夜哭烏 羽州ぼろ鳶組/祥伝社
夜哭烏 羽州ぼろ鳶組
著 者:今村 翔吾
出版社:祥伝社
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