在と不在のパラドックス 日欧の現代演劇論 書評|平田 栄一朗(三元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年8月5日 / 新聞掲載日:2016年8月5日(第3151号)

在と不在のパラドックス 日欧の現代演劇論 書評
舞台で現れる二つの両極を行き 来しながらなされる作品分析

在と不在のパラドックス 日欧の現代演劇論
出版社:三元社
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近年まれに見るまっとうな演劇評論だ。本書は博士論文がベースとなっており、アカデミズムの現場でどのような評価を受け(てい)るのかは知らないが、少なくとも硬派の評論であることは間違いない。著者はドイツ現代演劇の研究者だが、かつて研究者が批評や翻訳家も兼ねて、網羅的に活動していた時代を彷彿とさせる。このような本をもとに、ぜひ議論の場が開かれればいいと思う。かつては演劇雑誌がその役目を負ったが、それがないのが惜しい。

本書を一言で言うならば、タイトルにあるように演劇における、在と不在、あることとないこと、プレゼンスとアブセンスという問題をめぐるものだ。舞台で現れるこの二つの両極を行き来しながら、数々の作品分析がなされる。そこには、主にドイツの演劇をとりまく言説が踏まえられる。日本語でも翻訳されているハンス=ティース・レーマンやエリカ・フィッシャ=リヒテをはじめ、彼/彼女らの議論の土台となっている現代思想を含めながら、この二つの軸が現代の舞台を読み解くための一つの鍵となっていることが提示される。

これをもとに数々の作品が分析される。日本ではストアハウスカンパニーやマレビトの会など、ドイツではマルターラーやフランク・カストロフ、ベルギーのニードカンパニーなど、日本でも公演をしたことがあるものが取り上げられる。日本で公演を一度しただけでは、消化不良で文脈などわからなかったものに対して、作品や作家の位置を伝えるという意味もある。特にマルターラーやニードカンパニーについては大きい。

そして、舞台上に強く俳優や演出、記号や空間などが乱立するプレゼンス的な機能をもって表現される舞台と、その反対の不在である舞台表象が読み解かれる。もしくは、その間を行き来することによって、在ることとないことが宙吊りとなって、観客に提示されることが論じられる。個々の作品に程度の差はあれど、この軸線ですべての作品が語られる。それはときに力技であり、確かに舞台を知っているものからはイメージはわくが、これらの作品でなくとも論じる対象は可能ではないか、と思わせる。むろん、それは理論として広く敷衍できることだ。

また、あることとないことの間で宙吊りとなる舞台の状態に着目されるが、その宙づりも含めて根底には、あるとないという二項の軸がある。では舞台における「間」という時間はこの二項のどちらに、もしくは宙づりの時に位置づけられるのか。それは余剰や過剰の飽和による不在、もしくはないことから現れる存在の不確かさなど、いわゆるどちらとも言えない瞬間ではないか。それは、始まりと終わり、あることとないことだけでなく、中間の時間として機能する。むろん、本書の目的としては、すべての舞台を網羅的にプレゼンスとアブセンス、そして宙吊りで論じるものではない。日本の古典芸能などを論じるものではないと言われれば、それまでだ。

なんにせよ、読み応えのある本であることは間違いなく、だからこそ様々な舞台において、この論を敷くとどうなるか、その可能性と限界を語るような活発な議論があればいい。
この記事の中でご紹介した本
在と不在のパラドックス    日欧の現代演劇論/三元社
在と不在のパラドックス 日欧の現代演劇論
著 者:平田 栄一朗
出版社:三元社
以下のオンライン書店でご購入できます
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