吉増剛造/"秘密の手紙" 『怪物君』をはじめとする最新著作をめぐる対話 対談=吉増剛造・林 浩平|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2016年8月5日

吉増剛造/"秘密の手紙"
『怪物君』をはじめとする最新著作をめぐる対話
対談=吉増剛造・林 浩平

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現在、東京・竹橋の東京国立近代美術館で吉増剛造氏の展覧会〈声ノマ 全身詩人、吉増剛造展〉が開催されている(8月7日まで)。この展覧会と前後して、吉増氏の著作が、自伝を皮切りに、東日本大震災を契機に書き始められた長篇詩『怪物君』など、多くの著作が刊行されている。またこの先も、思潮社からは全詩集の刊行、アメリカでも吉増氏の英訳詩集の刊行が予定されているなど、今年はまさに吉増剛造イヤーと表現してもいいほどの一年となっている。そこで今回、『我が詩的自伝』で聞き手でもある詩人の林浩平氏にお願いし、続々と出版される著作のそれぞれが示しているものについて吉増氏と対話していただいた。(編集部)

仮の裸生の状態が誕生 「秘密の絵葉書」/永遠の草稿状態の詩

この八月七日までですが、竹橋の近美で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展が開催されています。それに合わせて、ということもあり、今年の四月以来吉増さんの本の出版ラッシュが続いています。そしてそれらはどれも、書物というもののあり方を根源的に問う批評性を持ったものだ、という手応えがあります。
我が詩的自伝(吉増 剛造)講談社
我が詩的自伝
吉増 剛造
講談社
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まず最初は『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』ですが、今回読み返してふと思ったのがミシェル・フーコーのことです。晩年彼は「生存の美学」を問題にしました。要するに「芸術作品としての自己の生の創造」を最晩年の課題にした。これはジョルジョ・アガンベンなども言っていますが、フーコーの場合は哲学作品よりも最終的には芸術的作品としての自己の生にこだわりだした。そのことを『我が詩的自伝』を読み返して思い出し、吉増さんはご自身の生を振り返られて、作品との関連ということも全部ひっくるめたうえで生存の美学をどう捉えられているのかなと気になりました。
吉増
そのミシェル・フーコーの最終的な哲学の課題としての「芸術作品としての自己の生の創造」と林先生がいまおっしゃった時に、脳裡に浮かびましたシーンを二つお話ししたいと思います。一つは竹橋での展覧会場でした。おそらく、自分でだったら伏せてしまうような日記の一ページの一番恥ずかしいようなところが開けられている、……。そのときに内心の声を咄嗟に耳にしていたのですが、この曝されている傷を、自分もまた見つめに行くような眼を持つことになった。というのは、陸前高田や釜石に行って茫然として、畳が宙に舞っている途方もない、普通「瓦礫」って言いますけど「瓦礫」って言っちゃいけなくて、“名付けられないような生のもう揃うこともなく曝された状態にされている、……お前の眼もそうなのだな、……もう一歩か半歩そらしてみるようにすると、「他界からの眼」なのだ、……”というそんな声でした。それをさらにすすめると「写真の声」とも「葉書の声」ともいえるらしく、『怪物君』の巻末に𠮷原洋一氏による“年賀状を拾いあげて読んでいる写真”が掲載されているのですが、内心の声は、その“写真の声”でもあったようです。釜石だったか、山田町でしたか、年賀状が汚れて濡れて落ちている。それをふっと拾って読んでいるのです。そういう傷口を曝さざるをえなかった生を迎えてしまった方々と同じように、日記の一ページの最も恥ずかしいようなところを開かれていても、それでもそのまんまそれを見ていただくしかない。さらにいいますと「眼を閉ざしつつみること」でもあるのでしょうね。これは造語ですけども、仮の裸生、……裸の仮の生の状態が次々に誕生して来ているような気がしていますし、それが林浩平先生のおっしゃったフーコーの“生の創造”やアガンベンのいう“剥き出しの生”に、少しだけ通っている小径なのかも知れません、……。
この『我が詩的自伝』の一番大事なところに触れることにもなりますが、林浩平さんと編集の山崎比呂志さんが作り上げたこの類例のない書物に、荒木経惟さんが一九七五年に撮った写真を使わせてくれと言いましたら、アラーキーはそれを自分の生と重ね合わせるようにして、まあ共生よりも狂生と言ったほうが近いかな、強い反応を示した。「これは俺の本だ」と言う位のね。それは慶應義塾大学出版会からの『GOZOノート』(第三巻)の荒木さんとの対話が、ほとんどアラーキーのいまのところの遺言に近いような、彼の生の最深部に届くような発言になっていることと呼応していました。荒木経惟もまた、キリのない裸の次の生を生きようとしている……。それぞれの本は編集者もデザイナーも全部違いますけれども、一緒に経験をしたあの大災厄で、被害を被っただけではなくて、あのこと、特に東京電力福島第一原子力発電所での事故に対する責任が私たちにはある、その想いを探すような次の手をそこに「添える勇気」を作り出さないといけない。そういう心がどうやら芽や葉を出してきて、こうした書物たちが立ってきている気がしています。
林先生はフーコーから入られたけれども、フーコーが来日して「海」(一九七六年七月)で対談した時に、吉本さんがとにかく問題にすべき哲学者はヘーゲルですよねってフーコーに語りかけたのね。その吉本さんの発言が僕の中でまだ生きている。気がつくと、カトリーヌ・マラブーの『ヘーゲルの未来』やハイデッガーの『ヘーゲル』そして『精神現象学』等々がいま僕の眼の前に山のように据えられてるのね、……。
それとこれもミシェル・フーコーの自己の生の創造に繋がると思うのですが、ニーチェはこういうことを言うのです。「生成に存在の性格を刻印すること、これが力への意志の極致である」と。
フーコーの晩年は明らかにニーチェに接近してましたよね。さて次に『心に刺青をするように』が藤原書店から出ました。その機関誌「機」に二〇〇一年から〇八年までの間に八十回連載されたものです。これはポラロイドや二重露光の写真と文章の二つがペアになりながら進行している感じがありましたが、こうして一冊になったのをあらためて拝見して、やはりいろんな意味で当時のアクチュアルな時代状況などを吉増さんはかなり感じながらこの文章を書かれているなと思ったんです。藤原書店自体、社会意識の強い出版社ですし、いまは亡き編集者の津田新吾さんが、「吉増剛造は民衆詩人だ」という名言を残してますが、この連載を続けられていた時は、そういう社会性というのを意識されていたでしょうか。
吉増
藤原書店さんの機関誌の一ページに、七年間ひと月も休まずに書いたものでした。藤原さんはフランスの思想ととても深い関係を結ばれていて、ブルデューあるいはラクー=ラバルト、ジャン=リュック・ナンシーとも関わっていて、まずフランスのブックフェアで出会って、その時に構想されていたのが、もう終刊しましたけれども季刊思想誌の「環」でした。それで「環」の創刊準備号になにか書いてくださいと言われたのです。あのとき東大の駒場には、湯浅博雄さんも亡き梅木達郎さんも鵜飼哲さんも小林康夫さんもいらしてた、……。ラクー=ラバルトが教室に来て、当時「図書新聞」にいた山本光久さんに連れて行かれてその会に出てるの。全部フランス語だったので何も分からないながら空気をなにかつかんで、このフランスの哲学者、本当に繊細かつ真剣な途方もない人だなという印象があって、そのことを書きました。その辺から「機」に写真と文章で連載を始めませんかと言われたのね。それで八十回の連載の一番最後の頃にラクー=ラバルトが亡くなりました。そうした思いの根が深く突き刺さっているような機縁がありました。
それと、これは後程の林先生ご指摘の「手紙性」ということに触れてくることですが、短かい文章と写真を、毎月の編集者にむけて書いていたのです。これはわたくしめの痼疾といっても過言ではない、一種の「秘密の絵葉書」に近いものでした。わたくしの書くものは、ほとんどが「出版不可能」で、「詩集」でさえも、そうした性質を底にもっている。ですから小文たちの宛先か宛名であった、ラクー=ラバルト、アラン・コルバン、イリイチ、鶴見和子さん、高銀さんに宛てた「狂ったような私信」の一葉、二葉、……であったのでしょうね。そうした呼吸の重なりがこの本の特徴です。それと、本来ならば島尾敏雄ミホ論のタイトルだった「心に刺青をするように」が移植されているのも、なんともいえない「秘密の絵葉書」性につながっているのだと思います。
そこには、やはりそうした「他者の思考」を受け入れようとされる吉増さんの中での一種の社会性が入っているなと思うんです。
そして次の三番目の『怪物君』。これは六月六日が刊行日で、ちょうど展覧会のオープニングの直前です。例の3・11を受けて「朝日新聞」の赤田康和さんの依頼で始まったシリーズのひとつですね。これは本当に最初から果たして活字化出来るかという問題性を持っていて、書物化不可能な永遠の草稿状態の詩、と言いましょうか、それを目指した試みだったと思うんです。それがみすず書房というアカデミズムを代表する出版社から本として、いわゆる読めるかたちで一冊になったわけですが、書物化させたことについてのいまの思いはいかがでしょうか。
怪物君(吉増 剛造)みすず書房
怪物君
吉増 剛造
みすず書房
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「怪物君」が燃やされて入口が出来た

吉増
『怪物君』を語るのに、必ずしも私が最適任ではない気もしますけれども、私なりにご説明出来ることをいくつか申し上げておきます。まさにおっしゃったように書物化を拒むかたちでの、まあ草稿というよりも「手控え」というか、雑草状態、雑記状態というか、朝日新聞の電子版のインタビューを受けて石狩河口で書き始められました。書き始めると、下手な詩人ですけれども本能的に詩のコアを作ろうとする。ポール・ヴァレリーやソシュールの考えを襲ねあわせて、言葉と音の間の雲のようなところを捕まえて、まずはスタートさせました。「詩の傍(cotes)で」という最初のタイトルのね。そうしているうちに、一年後に吉本隆明さんが三月十六日に亡くなられました。大恩がありますので、吉本さんの『日時計篇』を書き写すという段階に入った。それが『根源乃手』になっていくわけです。そこから三年半、本にならない本、詩ではない、絵画でもない、書でもない、しかも裏側も生きてくるもの。それは若林奮における彫刻に接してきたこともあって、幻の彫刻家に私自身もなっていったのです。「妖怪彫刻家」ね(笑)。そうしてある所まで来て展覧会を目指すということもあって六四六枚で止まりました。それは「怪物君」という大蛇のような草稿というか雑稿状態で、本にしたいという気持ちはそれほどないんだけれども、その一部分を編集者と協力して雑誌の誌面にまず載せてみたい、「ゲラ」にしてみたいという気持ちがなぜか強くあったのね。しかも詩の雑誌ではなくて学術書、レヴィ=ストロース、デリダ、そういう本を出し続けているみすず書房の、しかも深い縁のあるいまは亡き津田新吾の連れ合いである鈴木英果さんに「みすず」のページをくれないかって頼んだ。ここにも「手紙性」と「私信性」あるいは「小冊子性」あるいは「ゲラ」「ビラ」「チラシ」、……といったらよいのかしら「遺書」か、そうだなあ「書き置き」がいいなあ、それに似たものがひそんでいるのです。
吉増さんの方から依頼されたのですか。
吉増
うん、僕が頼んだの。「みすず」の誌面に載せて下さいって。あの雑誌らしい雑誌に、出来るか出来ないかは別にして、一回三十ページで三回か四回やらせてみてくれないかと。私自身も雑誌編集者でしたからね。だから本に対する何かではなくて、まず雑誌のページに「ゲラ」の姿を映してみたい。そこで全力を尽くしてみたいって。そうしたら守田省吾編集長がオーケーを出してくれた。だから雑誌上で「怪物君」の姿が出来るまでが大変だった。まずは起こしが大変じゃないですか。読み取りが。「みすず」誌上に載せる校正状態にまでもっていくのが鈴木英果の激闘でした。僕も安原顯と一緒に「海」で一千行三部作をやった時には、やっぱり大日本印刷で激闘をしているんですよね。あそこが、「ゲラ」が、戦場になる。したがって書物になる以前に、編集者とその現場でどういう決死の「非常時」を作るか。それがこの「怪物君」の第二ステージで、「怪物君」のおそらく最初から一二〇枚目ぐらいまでが本になっている。それから次の一三〇~一五〇枚目ぐらいが『根源乃手』になって、そして展覧会のための最終部分がクレーかゴッホかミロみたいになっていって美術館の壁を飾りました。

その間に三百枚ぐらいがまだ残っていたんです。それを束にして東京国立近代美術館の企画を担当された保坂健二朗氏に、これ余っちゃっているから展覧会に使ってと渡したのです。次の段階で最終(出口)50メートルの廊下のインスタレーションを依頼された飴屋法水さんから「ヴィジョン」が保坂氏に伝えられて、よしそれでは飴屋さんに托そうということになった。これが経緯です。飴屋さんは会期一週間前まで悩みに悩んだらしい。それとね、渡す時か途中で「飴屋さん燃やしてもいいよ」って僕も言ったらしいのね。最終的に彼はそれを石狩河口まで運んで、よし、石狩河口で向こうに渡してやろうと決意をされたらしい、……。ひとつだけ言ったのは、何か記録に残してくださいねって。だからそれが映像に残っているわけ。保坂さんの言い方を借りると、「吉増が作った筈の『怪物君』が燃やされている。すべては幻のようでいて、その現場を支配しているのは冷静さだけだ。あるいは理性を目指す狂気だ」と。僕の言葉で言うと、その時初めて竹橋の東京国立近代美術館での展覧会に出口が出来た。すなわち向こう側からの入り口が出来た。そういう出口であり入り口であり、あるいは更地でもあるのか、私たちが見つけなければならない、生まの見つめられ方が、あそこに出現をした。そうした膨大なものの胎動をこの「怪物君」と『根源乃手』は背負っています。それは本を作った編集者たちも十分に意識している筈なのです。
初めから書き手に居座っている「手紙性」

「怪物君」というコンセプト自体がついに原稿から離れちゃって、文字が書かれた上に水彩絵の具を含んだ筆が走って、それこそアート作品になり、さらに燃やされましたか(笑)
吉増
インクを天上から巨大な雨滴のようにして降らすのですね。ジャクソン・ポロックのドリッピングと言っているけれども、もう少し天空の気候、運行と関係があるかな。音も聞いているからね。
その結果書かれた文字がグジャグジャになって、さらにその上から筆の柄で引っ?いて原稿を壊しちゃう。そのうえに飴屋氏が燃やしてしまう、となると、これは書物をめぐる大格闘で、最後は結局、草稿とかアート作品とかいう制度を炎が燃やし尽くしてしまう。ノモスをフィシスが打ち破ってしまうという例の大厄災にも似た状況を生んだわけなのですね。それがこの「怪物君」の正体でしたか(笑)。
ところで、この「怪物君」の文字の問題です。草稿状態のままなら、とても文字をちゃんと読もうとしなかったでしょう。それがみすずさんのお陰で活字化されて、初めて読めた。すると凄いフレーズがいくつもあるんですね(笑)。ここです、一一三頁。たとえば、「一足一足が神の呼吸の痕跡」とか、「こうして「詩作」とは、詩嚢(しのう)、詩の袋をたずさえて行くことをつくること」とか、みんな名フレーズですよ。
吉増
そこは林先生が発見をしてくださった、絵文字なんですよ。「非文字」とも「草文字」ともいえるのね。僕がこだわっているデリダの「コーラ」みたいな姿、幻の子宮みたいな感じですよね。あるいは、「ひ」という字。この姿を文字で綴ったのが、いま読みとってくださったものです。
ここは意味の強度がすごくあって、迫ってきますよ。
吉増
この「絵文字」か、あるいは「草文字」ね、こんな小さい字で書いてゆく時に出て来るヴィジョンなのか、……あるいは「文字のみている夢」が少しあらわれてくるのね。
いやあ、びっくりしました。本になったから、ついに読めました(笑)。また話題を変えますが、『怪物君』にいたるまでのプロセスとして、吉増さんが始められた「裸のメモ」あるいは「佃通信」とかいろんな名前がありましたけど、ようするに講演とかレクチャーの時にカラー印刷で配られる細かな文字のテキストですよね。あれが持っている力というのは大きいと思うんです。それをこの前の「図書新聞」での早稲田大学で吉増さんの授業を聴いていた皆さんとの座談会の中で、「配られたプリントは私個人に吉増さんから送られた一枚じゃないかと思い、その嬉しさにわくわくして読みながら授業を聴いていた」という発言がありました。ああ、なるほどと。これがいまでは「怪物君」になって、さっき伺ったようなプロセスで最後は燃えてしまった。この一連のエピソードは、それこそブランショ流の『来たるべき書物』をめぐる大変な問題を吉増さんは出されているんじゃないかと思うんです。
吉増
それは鋭いご指摘です。受け取られた方が自分に向けられた手紙だと思われるというのにハッとしました。岡本小百合さんの発言でしたね。僕は昔から日記よりも手紙を書くのが大好きな人なのね。初めて出したエッセイ集も『朝の手紙』だし。いわゆる「私小説」と言ってしまったり「書簡体」と言ってしまったら消えてしまうような「手紙性」というのが、このちょっと異様な書き手には初めから居座っているような気がしています。
僕自身は、フロイトの「マジック・メモ」をデリダ経由で捉えて、あるいはジョン・ケージの原稿用紙のこだわりと、それから彼の曲想みたいなものへの共感とかいろんなことを考えて、あるいは対ジャーナリズムに決してそぐわないような、そういうまったく文字産業、文化産業から遥かに逸脱するために書くなんていう理由付けをしているけれども、もしかするといまおっしゃってくださった「手紙性」。そういえば『根源乃手』の「手」も、ハンドであるよりも手紙の可能性の方が強いかもしれないな。そこにも気がつきますね。
あるいは、『瞬間のエクリチュール』という箱の本が出ました。これはデザイナーの秋山伸さんの労作でした。いまはなきポラロイド機の不思議な真四角の写真が出て来て、15秒ぐらい経って映像が現れて、そして裏の黒い鏡面というか暗黒宇宙みたいな鏡に向かって四百字一枚ぐらいの原稿を修正不可能な感じで書いていく。これもまあ「絵葉書」というよりも誰かに向けての「手紙」に近いな。その手紙の複製不可能性。手紙の持っている複数ではないけど絶対的複数であるようなそういうものを、十年近くも秋山伸さんは待たれてね、とうとうあたらしい光にされた、……。これは驚異でしたね。林さんが「裸のメモ」を「手紙性」と考えられたことによって、この『瞬間のエクリチュール』のある面も捉えられたのかもしれない。
わくわくする「冊子の並び方」と「書物の姿」

次に『GOZOノート』ですが、これが六月十五日の刊行で、これだけはいわゆる書下しではなく、かつてこれまで吉増さんがずっと書かれてきたかなりの分量のエッセイ、散文を三つのテーマに編集し直したかたちです。これをこうやって手にして感じたのは、結局吉増さんは常にずっと何かを書いている状態を続けられていて、編集部からリクエストされた時にすっとそのテーマでいろんな文章が生まれていく。「書くことが生きることである」と言いましょうか、そういうことを実感したんです。以前私がディレクターでご一緒した山頭火のドキュメンタリーの時に、吉増さんは「山頭火さんというのは「書く人」なんですよね」とおっしゃったんだけど、吉増さんも全くそうだな、と思いました。
吉増
それもまたさっきの「手紙性」と繋がるとても大事なご指摘ですけどね。あの人(山頭火)も手紙の人ね。ちょうど一昨日(二〇一六年七月十二日)第二巻の「旅」のみごとな解説を書いてくださった長野まゆみさんとジュンク堂で対話をしましてね。これがとても面白かった。新しい解説者が書いていらっしゃるものを光源にして読みますと、私が書いたものだけれども竹橋の会場で日記を読むのと同じで、全然違う光に晒されて来るような感じがして新鮮なのね。平野啓一郎氏の文章も熱いそうして深い一文でしたね。この本を計画したのが『詩学講義 無限のエコー』を編集した、大変な才能の持ち主だと思いますけれども、慶應義塾大学出版会の村上文さんでした。その村上さんと相談をしながら並び替えている時に、ちょうどドゥルーズのDVD『アベセデール』を見ていて、ドゥルーズが質問に答える時にABC順に答えていくのね。初めが「アニマル」なんですよ。面白かった。よし、並び替えるんだったらこれで行こうと。
それでは「ア、イ、ウ、……」にだと。これがおそらく「裸形のメモ性」でしょうね。それで「、、、、、」や「( )」で始まる文章は、「ア」より先に出してしまえって。そうしたらトランプの札のようにすうっと並びが変わった。それがとても新鮮だったのと同時に、これも村上さんのブリリアントなアイデアだったけど、詩を本に投げ込んでいるのよ。三篇中二篇は未発表の詩を。新作の詩を小枝か栞のように投げ込んでいるのね。フランスのガリマールで出るはずの、親友のアラン・ジュフロワ追悼の詩もね、ほとんど生物みたいにさ、投げ込んでいるのね。だからね、試みとしてはまったく『怪物君』とも『根源乃手』とも違う、ちょっとわくわくするような「冊子の並び方」と「書物の姿」なんですよ。
この『GOZOノート』は「ノート」って付けているじゃない。これは『怪物君』の「君」とも繋がるんだけど、永山則夫さんは死刑宣告を受けて牢屋に入ってから文字を覚え出して、ものを書くようになって大変な読書家にもなって小説家にもなっていく。その永山則夫さんが自分の雑記帳を「ノート君」と名付けた。秋山駿さんもその「ノート」に非常に感心をされていたし、僕自身も、さっきの「手紙」と繋がってくるな、この「ノート」というのがいい。このノートに「君」を付ける。永山やりやがったな(笑)。だからこの「君」というのは蕪村からも来ているし、永山則夫からも来ている。「語尾」とも「愛称のもつ精霊性」のようなものが、こういう違う宇宙からふっと浮かび上がってきた。おそらくここへ来て、編集の現場のとても深い知恵が、インスピレーションが戻って来たとも言えるのだと思います。それはこの展覧会のカタログにも言えてね。こんなみごとなカタログを作るなんて。これはどちらも、『無限のエコー』の服部一成さんの装幀です。こうしたことが起きていたのです。
「制度外制度」をその都度つくる

そして七月十五日が発行日の『根源乃手/根源乃(亡露ノ)手、……』ですね。これまた大変な力作で、巻末に詩稿がカラー版でそのまま収まっている。響文社さん、よくぞ作ってくれました(笑)。
根源乃手(吉増 剛造)響文社
根源乃手
吉増 剛造
響文社
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手書きの罫線をベースにしたデザインも秀逸です。吉増さんがおっしゃっている「言語外ゲンゴ」あるいは「言語外記号」ですか、それは結局言葉以外のすべてのいろいろな要素がここに入るのかなと思うんですが、これを導入することによって言語という制度自体の内部解体をずっと推し進めているんじゃないのか、と思いました。言葉に対する異議申し立て、ということですね。実はこのことは私が昔書いた『裸形の言ノ葉』の中の「臨界点のエクリチュール―『ごろごろ』考」で結論として言っているんですけどもね。結局詩とか文学言語というよりも、もう言語自体の在り方に対する異議申し立てを吉増さんは始めてしまったのではないのか。これは大変大事な問題ではないかなと思ったんです。
吉増
わたくしなりにそれをいい替えると「制度外制度」をその都度つくるということになるのでしょうか。デザイナーは井原靖章さん、編集は牧野十寸穂さんと𠮷原洋一さん、そして、版元は札幌の響文社さんと、あたらしいチームというのか、あらたな母胎をつくったのね。みんな必死でした。それと吉本隆明氏という巨大な人がかさなった、……。会合をかさねても埒が明かない。みすず書房の鈴木さんのように「読みとる人」もいない。どうしたらいいか、……。それに、中核になった「吉本モノローグ」は、校正の僕の手入れは、二年間、十五回位にも及んだのね。𠮷原洋一さんがそれを辛抱されてね、……。井原さんが、吉本さんの罫を彫刻線のように必死で引きだして来て、カラー全凸をやろうという印刷所さんが手を挙げて下さって、とうとう本になりはじめたのね。
しかし、すべての苦闘の元にあったのは、吉本隆明氏の「万象に間断なく触れる手」でした。
そしてこの本の序詩では「根源乃手」を「根源乃咽喉」と言い換えても良かったかもしれなかったと。
吉増
それは吉本さんが『母型論』のなかでおっしゃったことです。石川九楊さんとかなり鋭く対立しているところがあって、やすらかに話してらっしゃるふりをしているけど、いやあ文字なんて言っているけど問題は咽喉なんだよなあ、なんて言うのね。内臓から出て来る手みたいなもの。そんな文字の問題なんかだけに絞るわけに行かないと。
そこで内臓言語にも通じて来て、今回の声の問題にも通じて来てということですね。
吉増
そう。吉本さんは、計り知れないような時間から届いてくるような手とか咽喉とか音を聞いている詩人だな。そういう当りが僕にはある。
九月にアメリカのニューダイレクションズから吉増さんの訳詩集が出ますが、この出版社はエズラ・パウンドが関わっているんですね。『アリス、アイリス、レッドホース』。吉増さんの英訳詩集なんですけれども、その中心となったフォレスト・ガンダーさんが先日お見えになってイベントがあった。吉増さんが日本語で朗読されて、それを翻訳されたみなさんが英語で同時に読むという大変スリリングなパフォーマンスなども行われました。あの現場に私もいて、いまはポエジーというものが次元が変わってこんなところまで来たのかと実感しました。これまでは詩をめぐる通念として「ポエジーはエクリチュールだ」と我々は確信していました。特に八〇年代、先輩である稲川方人さんや平出隆さん、僚友である松浦寿輝さんたちが、圧倒的な詩篇を次々と書いていくのを目のあたりにして詩とは「書かれたもの」だと信じていましたが、ここしばらくエクリチュールとしての詩がどうも瓦礫状態になってきたというか、吉増さんの今回のこの試みでポエジーというものがまったく新しいかたちをとりだしたように感じました。もちろん「書かれたもの」であるんだけども、内臓言語でもあり、声でもあり、身振りでもあり、それからベンヤミンが「翻訳者の使命」でいうような「翻訳行為」を通過したものでもあって、いろんな要素がわあっと混在したものになっているんじゃないか。そういう実感を持ちました。
吉増
お考えに添うようにして考えてみますと、ヴィジョンあるいはイデアとして考えました吉本さんの「根源乃手」とともに「裸のメモ」もどうやら“詩の裸の手、……”あるいは“詩の裸の手のはたらき、……”というところへと、「エクリチュール」を僅かずつ変質させて来ているのではないのかと思います。さらに、「沈黙の言語」の姿が、たとえばハングルの縁のようなところに、少しづつ、垣間みえるところにまで辿って来たのだといえるのかも知れません。
もうひとつキーになる言葉を出しますと、吉本さんの内臓言語、あるいは「ノート」にも近いけれども、ご覧になった竹橋でのステージであの時僕はお能の発声というのはこういう「呼吸」なんだよって言った記憶があります。そうした呼吸音や肉体の胎動を身体のそばにいて自ら聞き取りながら、お能の発声というのは始まりの時の呼吸音、それさえも出そうとする試みにもなって来ているのね。だからそれはいまお話ししながら名付けると、もちろん「パフォーマンス」でも「朗読」でもない、……、いやいや、芸人的なところも無きにしもあらずだな。その芸の根源に近づこうとするような、あるいは世阿弥たちが考えたところに近づこうとするような、そうした「呼吸」、それから「別の身体」。これはアルトーの言う「器官なき身体」の方に血を流そうという、……これはもしかすると最初に申し上げた五年前の大災厄の、本当にもう逃れようのない傷をそのまんま見つめるという、……「次の眼」にも近いのかもしれない。
竹橋の吉増さんのパフォーマンスの時、「朗読しながら詩を書けるな」とおっしゃったのでびっくりしました(笑)。
吉増
あの時は『怪物君』の最終章を読んでいて、浪江で廃屋になった海辺のところに行って、もう針金がむき出しになって音を立てているのを見ていた時に、ふっとこの線の罫に「君」を付けて「ケイ君」と名付けた。これに「ケイ君」と名付け1るなんてと朗読しながら考えていたわけ。それで「ケイ君」と言いながら「タタミ君」って言っちゃった。その「呼び掛け性」と「愛称性」と「語尾」が問題なのね、……。だからそうした、永山則夫さんあるいは蕪村の『北壽老仙を悼む』の「君あしたに去ぬ」というあの「君」だよね。あるいはもっとも大事な女の人に呼び掛ける「君」。その「君」が「タタミ君」というふうに読みながら出て来ちゃった。あれは大友良英さんと飴屋法水さんとの竹橋のときだったのかも知れない、……、「劇」にも近づいて来てた、……。
『怪物君』の校正状態というのは激烈なものですからね。担当の鈴木英果さんは二度、三度倒れたというけれども、こっちもギリギリの一晩か二晩で完成稿にもっていくわけじゃないですか。その詩作の状態と、伊藤憲監督の『怪物君』というドキュメンタリーフィルムを作る、その現場の「手控え性」、「雑メモ性」が胎内に「エクリチュール」として残っていて、それが「タタミ君」と言わせたのでしょうね。
今回の展覧会とそれをめぐるイベント、それからこれらの刊行物、そして今日のこの場も含めて吉増さんはますます先に行かれているなと実感します。私が九年前に出した『裸形の言ノ葉』の段階では、いわゆる近代ヨーロッパ的な詩的価値というものに対する疑問符を吉増さんは投げているという結論だったんですが、いまはその先に掴もうとするものを手繰り寄せ始めているのではないでしょうか。
吉増
その辺が少し微妙に変化して来ていて、必ずしも学問的な精密さを伴っていないだろうと思うけれども、「声ノマ」のカタログに書かれた哲学者の佐々木中さんと対話した時に、彼はドゥルーズ、ハイデッガー読みですからハイデッガーのことを聞いたのね。「死の覚悟性」ということをハイデッガーが言うんですけど、それをもとにして考えていくように人間というのは出来ていると。どうもあのハイデッガーの「死の覚悟性」というのは眉唾、あんまり面白くねえなあと言ったら彼もそう言ってた。僕もハイデッガーの細かいところはとっても好きだけれども、「死の覚悟性」というのへ持って行くのはおかしいなと考えていて、キルケゴールもそういうところに行くんだな、……。どうもそれはおかしいなとどっかで思いはじめている。
なぜ詩に惹かれるかというと、詩にはそういうところを突破するところがある。たとえばエミリー・ディキンスン。あの人は教会にも行かないような人だったんだけれどもね。“to die without dying”(臨終なしに死ぬこと)それが生に対して差し出されたもっとも大事なことであると。僕もそれが分かる気がする。その「臨終」というのはいわゆる社会の制度や教会みたいなものだよね。他者が介入してくる。そうではなくて“without dying”臨終なしに死ぬこと。そういうところへハイデッガーやキルケゴールを読みながら批判的に辿り着き始めているということもありますね。もちろんキルケゴールも読むし、ニーチェも読むし、ハイデッガーも読むけれども、僕自身洗礼を受けているからキリストの影は射しているけれども、でもしかしもっともっと豊かな、林さんとの往復書簡(「現代詩手帖」)でも引用しましたが、中氏のいう「永遠のスローモーション」みたいなね、そうした美とも言わない、そこでもう一回戻ってくるとミシェル・フーコーになり、生のもっと深い膨らみみたいなもの。そこと詩というよりも美と言ったらいいのかな、生と言ったらいいのかな、それが繋がっているというところに、おずおずと少しずつ近づいて来ていますね。
なるほど。生の膨らみ、ですね、大切なのは。まったく同感です。
この記事の中でご紹介した本
2016年8月5日 新聞掲載(第3151号)
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