『薔薇刑』制作秘話・[二十一世紀版]刊行記念 細江英公×浅葉克己×松本徹トークイベント抄録/細江英公インタビュー|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年8月5日 / 新聞掲載日:2016年8月5日(第3151号)

『薔薇刑』制作秘話・[二十一世紀版]刊行記念 細江英公×浅葉克己×松本徹トークイベント抄録/細江英公インタビュー

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『薔薇刑』イベントレポート 冒険、新しい覚悟

昨年十一月に[二十一世紀版]が刊行された『薔薇刑』について、七夕の夜に、著者の細江英公氏、造本構成を担当した浅葉克己氏、山中湖文学の森「三島由紀夫文学館」館長の松本徹氏によるトークイベントが行われた。会場は丸善日本橋店、ワールド・アンティーク・ブック・プラザ。『薔薇刑』ファン、三島ファンが集うイベントとなった。
『薔薇刑』は一九六三年に刊行されてから、これまでに三度新版が作られ、今回が四度目。初版は杉浦康平、二版は「新輯版」として横尾忠則、三版は粟津潔、最新版が浅葉克己デザインとなる。
司会の松本氏は「『薔薇刑』は初版が刊行されてから五三年。それだけの年月が経って、さらに四版が出ることは、他に例のない出来事です。理由はいろいろあると思いますが、モデルの三島さんの強烈な存在感と、その生涯の終わり方がまずあるでしょう。そして、細江さんの写真の持つ魅力はもちろんのこと、版ごとに異なるデザイナーとの見事なコラボレーションもあげられます。
時代を越え、国の違いや年齢も越えて、『薔薇刑』は世界中にその存在を示してきました。私が長く携わってきた文学に比べ、写真という媒体の在りようは、非常にグローバルです。文学にはどうしても言葉の壁がありますが、ビジュアルなものは直接に届きます。『薔薇刑』は四人のデザイナー、それぞれの代表作の一つといえますし、日本のブックデザインの最高峰として、ここに収斂されているということもできるのではないでしょうか」と話した。
初版は、フランクフルト・ブックフェアで評判になり、世界中に知られることになったが、最新の[二十一世紀版]も、昨年九月にスイスのビールで行われたデザイン会議で、浅葉氏が世界のデザイナー四人に選ばれ注目を集めた。また浅葉氏はADCアワード2016原弘賞を受賞している。
細江氏は「写真集に類するような著作に対して、ブックデザインがいかなる意味と力を持っているか。驚きの連続です。ブックデザインを色々な方にお願いするのは、楽しみであり冒険、そして新しい覚悟、とでもいいますか。僕はデザイナーとざっくばらんに話をして、僕がどういうつもりでこの作品を作ったかを咀嚼してもらった上で、後はお任せします。ブックデザイナー、アーティストとしての芸術的欲望を発揮していただくということです。ブックデザインというのは、形じゃないし、習慣でもない。言わば表現者と表現者のぶつかりあうある種の闘いです。一たす一が五になるようなことだってありうるわけです。四つの版が、それぞれ全く違う造本なのは、著者冥利につきますよ」
対して浅葉氏は「今回の仕事は怖かったですよ。先達は全員、尊敬するデザイナー、アーティストでしょう。僕で務まるのか、腹を切ることになるのではないかと(笑)。この本を作るにあたって、版元であるYMPの古場さんと、細江さんと、三島さんの墓参りに行きました。覚悟を決めて、作らせていただきました。僕にできること、と考えて、初版の「薔薇の棘」のモチーフを受け継ぎながら、「薔薇文字」を創りました。スイスのデザイン会議では、1・5tのトラクターでリノリウムカットの版から『薔薇刑』のポスターを刷りだすパフォーマンスが行われました。三島由紀夫はやはり世界でも著名で、大きな拍手がわきました」

漆のような黒を極める「グラセット」印刷の開発

新作には、未発表写真五点が加えられているのも見どころ。また印刷には現代の技術の粋が集められた。
松本氏は、「同じ写真でも、各版を突き合わせてみると、トーンが微妙に違うものなのですね。一版、二版、三版で見えなかった像が、四版になって浮かんでくる、という部分がいくつもありました。今までのものに欠点があるという意味ではなく、今回の作品は、より隅々まで神経の行き届いた〈決定版〉といえる一冊になっているのではないでしょうか」と評した。
細江氏は「それは、読者にとっての心理的な発見と、技術的なものとがあるでしょう。ネガは同じでも、プリントは少しずつ違うのが写真の特徴なんです。物理的に同じ印刷ができないからこそ面白いのです。
例えれば、僕が作曲家で、ネガは楽譜、印刷は演奏です。オーケストラによって同じベートーベンでも変ってくるでしょう。ベートーベンがバッハになってしまったら困りますが、デリケートなところで、自分が知っていたのとは違うベートーベンを発見させてもらえるということがあると思うんです。同じ物ができないからこそ、さらにいい味わいを求める。「いい」という言葉は、誤解を招くかもしれません。直截に言えば、僕が気に入ったもの、ということです。こういう言い方をすると、自分勝手だと思われそうですが、表現とは得てしてそういう類のものなんです。『薔薇刑』の演奏はどこまで続くのか、僕がいなくなってからも続くかもしれませんね(笑)」
デザイナーだけでなく、印刷所も四度とも異なり、一版のグラビア精光社と、二版の日本写真印刷はグラビア印刷、三版の大日本印刷はオフセットで印刷された。グラビア印刷は刷れば版が摩耗するため、コストの問題、さらに版を作るのに、銅版を腐食させるので、公害の問題もあり、現在は行われていない。しかし、グラビア印刷の質感を出したい、という細江氏の強い希望で、グラビア印刷を超える、漆のような美しい黒色の印刷が、サンエムカラーの摺師松井勝美さんにより開発された。黒の五色分解にニスを加えて六版を重ねる、黒を極めた印刷技術である。
『薔薇刑』♯5、Ⓒ1961年細江英公
写真の再現性に優れたグラビア印刷と、現在の印刷方式の主流であるオフセット印刷の“いいとこ取り”ということで、細江氏が「グラセット」と命名。グラセット初の印刷が、『薔薇刑』[二十一世紀版]ということになる。
ところで、四版の『薔薇刑』には、「薔薇の棘」のモチーフの他、「卵」のモチーフが受け継がれている。浅葉氏によれば「南アの喜望峰の頂上から買ってきた、ダチョウの卵です。もう一つは、三宅一生さんにいただいたインドの石。どこかセクシーな石です。なぜこのモチーフを使ったのか?三島さんがセクシーだからかな」
松本氏は「生命の誕生から死、死からまた生という循環が、『薔薇刑』という作品の根底にあるのだろうと思います。そう考えると『新輯版』は特別なのかもわかりません。三島さんが自分の死を見すえて、編集をされていますから。四版は、初版に立ち返った上で、セクシーなモチーフや謎の文字など、隅々に浅葉さんならではの仕掛けが施されています。味わっていただければと思います」
会場のワールド・アンティーク・ブック・プラザには、初版から四冊の『薔薇刑』が揃い踏み。モノクロの写真を包み込む、それぞれ異なる本の形や装丁、題字や色彩を見比べると、『薔薇刑』の世界がますます深まり、同時に少しだけ近づけるような気持になった。

細江英公氏インタビュー 写真家の誠実

また、イベントに先駆けて、細江英公氏にお話を聞く機会をいただいた。
――『薔薇刑』の三島さんの写真は、「創造のための破壊」であると、「『薔薇刑』撮影ノート」に書いておられましたが、版が新しくなる際にも、現代という時代性を加味することで、ある種の解体と創造が目指されているのでしょうか。
細江
『薔薇刑』は今回で四版目になりますが、毎回デザイナーも印刷所も違います。
そもそもの話をすると、『薔薇刑』は、講談社の編集者を通して、三島さんから撮影の依頼があったのが始まりでした。三島さんの評論集『美の襲撃』の表紙と口絵に載せる写真を撮ってほしいと。僕は三島さんの作品は読んでいましたが、面識はほとんどありませんでした。土方巽とその周辺を撮った「おとこと女」が気に入ったとかで、ほとんど初対面の時に「ぼくはあなたの被写体になるから、好きなように撮ってください」と言ってくれたんです。これは非常にありがたい話で、その言葉がなかったら遠慮して、ごく当たり前のグラビア写真になっていたかもしれません。
最初の撮影で、半裸の三島さんに、ぐるぐるホースを巻きつけて写真を撮ったのですがそれは、三島さんが文学で既に構築していた美しい世界を一たん破壊して、まだ知られていない三島由紀夫像を、僕なりに構築する試みでした。
撮られる三島さんと、撮る僕との関係は、きわめて直接的でした。僕はそもそも、そんなにずうずうしい人間ではありません(笑)。でも、写真家の誠実とは、「好きなように撮ってください」という言葉に率直に答え、「これだ」と思える写真を誠心誠意創ることだと思います。その意味で僕は三島さんとの約束を完全に果たしました。正直、なかなか忘れられないほど手応えのある撮影だった。とはいえ実は、少しやり過ぎたかな……と心配もしたのですが(笑)、三島さんはとても喜んでくれ、今度は僕の方から、撮影のお願いをしました。写真家の主観が「これだ」と思ったものを、被写体が「いい写真だ」と言ってくれるとしたら、最高ですよね。
著者の立場から申し上げるのは烏滸がましくもあるのですが、この写真集は、長く残っていくものなのではないか。一つには、被写体が、世界的な文学者の三島由紀夫さんであるということ。加えて、三島さんが勢い盛んな時期に、僕なりに新たに創造した三島由紀夫像だ、ということです。『薔薇刑』が新しい血を受け入れ、新陳代謝を繰り返しながら、新しい時代や新しい読者の中に受け継がれていって欲しい、と希望も込めて考えています。
――撮影が進む中、細江さんの中で「生と死」というテーマが構築されていきながらも、「死」という言葉はついぞ口にしなかったそうですね。しかし、第二版で構成を大幅に変更した際に、三島さんは最終章を「死」とした、と。
細江
その章タイトルはそう決まるべきものと思い同意しました。ただ、三島さんが亡くなったのを知ったのは仕事先の香港でしたが、言葉がなかったですね。少し落ち着いてからは、三島さんは僕が写真を撮った時、自分の未来を脳裏に描いていたのかもしれない、『薔薇刑』が誘発するものがありはしなかったか、などと考えました。『薔薇刑』の写真と、彼の自決は、僕にはどこかで繋がっているような感じすらするんです。錯覚かもしれませんが。
誰も三島さんがあのような形で死ぬとは想像していませんでしたし、『薔薇刑』は事件の九年程前に撮影しています。だから直接何の関係もありません。ただ三島さんの自決が事件であったと同時に、『薔薇刑』も事件だったのかもしれない。それは僕にとっては、悲しみなんだな。一方で、三島さんという人間存在を、立体的に見ようとしたときに、『薔薇刑』が一番なのではないかとも思う。作家には作品が残りますが、作家そのものが芸術作品として視覚的に残るということは多くはありません。だから、この本を作っていてよかった、とも思うのです。
僕は三島さんの「檄文」の内容は、よく覚えていない。でも時代は、三島さんの考えている日本とは違う方向に向かっていました。三島さんはああいう最期を遂げることで、そうした何かに抵抗した。でも後に続く人はいなかった。三島さんを尊敬している人、信奉している人はたくさんいましたが、三島さんはそれなりの秩序を保ち、個人の在りようとして行っただけで、自分の死が他の人も巻き込んで、連鎖反応的に恐ろしいことが起こるようなことは、想像していなかったのではないか。
三島さんは特別な人と捉えられがちだけれど、僕は全く特別と思って撮影してはいなかった。全く知らない三島さんを創造しよう、そう思っただけでした。
第二版の箱の内部には、横尾さんが三島さんの寝姿を描いていますが、三島さんはそれを自分の涅槃図だと思いたかったみたいね。その本の刊行予定と、三島さんの計画した事件の時期とは合致していた。横尾さんの交通事故や印刷の調整などもあって、仕上がりが遅れたのですが。いずれにせよ、『薔薇刑』の第二版が出る時期には、自らの死が決まっていたわけですから、三島さんにしてみれば、涅槃図であればそんなにうれしいことはないじゃないですか。涅槃というのは、死んでも生きているようなものでしょう。でも横尾さんはそのつもりで描いたわけではない。三島さんが亡くなるかもしれないような、雰囲気も環境や予兆も全くなかった。横尾さんにしてみれば、涅槃図です、などと認めるのは、失礼に当たると思うよね。

撮影は、瞬間的な、写真家と被写体の対峙

――昭和四八年の『新潮 三島由紀夫読本』の中で、「『薔薇刑』のいきさつ」として、「いつもぼくは用意周到の準備をして撮影にかかっていた」と書いておられます。「準備」とは何をするのですか。
細江
それは心の準備と、頭の整理ですね。三島さんの作品を読み込み、三島さんの好む絵画や世界観の研究も入念に行いました。一方で、三島さんも僕の作品を随分研究していたみたいですし、ときどき、「細江さんの言っていることは正しいよ」などと言うことがありました。雑誌に載った僕の発言などを読んでいるんです。ただ、三島さんの書斎で、僕の写真集を見かけるようなことはありませんでした。そういうところは露わにしないのが、三島さん流の美意識かもしれません。
あるとき、まだ自分の中の準備が整っていないうちに、三島さんに「これから撮影に行こう」と突然誘われて、出かけたことがありました。漠然と、廃屋のようなところで撮りたい、というイメージはあったものの、どこにあるのか分からない。三島さんは忙しい方だから、今、廃墟を探しているんですけれど……などと待たせるわけにいかない。出たとこ勝負です。が運良く、江東区の亀戸で廃工場が見つかって、誰もいないから勝手に入って行って撮影しました。一九六〇年代は、高度成長の時期で、あちこちで工場を立て直していたんです。
『薔薇刑』♯41―2、Ⓒ1961年細江英公
そのうちに、三島さんが「恥ずかしいね、これは」と言い始めました。これまで三島さんは恥ずかしいなどと言ったことはないんです。誠実な人ですから、二言なく、僕の言う通りになんでもしてくれていました。それでどうしたんだろう?と思って、振り向いたら、二階の窓越しに、女工さんが二〇人ぐらい並んで見ていた(笑)。廃工場ではなかったんだね。三島さんはほとんど裸に近い恰好(笑)。今なら不法侵入で、しかも半裸で撮影していたら咎められるかもしれないね。偶然にもあの場所に出合えたことは幸運でした。インスピレーションがわいて、いい撮影ができました。当時の助手は森山大道くんで、手際よくやってくれました。
申し訳ないと思ったのは、三島邸を撮影場所にお借りするとき、夫人と子供たちが、家から出されていたこと。写真好きのお父さんはときどきいて、カメラ談義になりました。ただ撮影のときそばにいて見ているというようなことはなく、尊重してくださっていた。
撮影は、瞬間的な、写真家と被写体との対峙です。さらに相手は存在の大きな三島さんですから、それは激しい闘いでした。
――撮影当時は、どのような時代でしたか。
細江
ポジティブな時代でしたよ。戦後とはガラリと変わって、働けば金になり、金があればうまいものが食えるし、やりたいことができるわけね。高度成長の時代は、非常に前向きで、明るくて、騒々しい社会でした。だからあのような写真が撮れたのだと思う。あれはオプティミズムの典型みたいな写真ではないですか。よく言えば、思い切ったとでも言えるかな。それも社会的な背景があって初めて成立したことです。不景気で失業者が多い暗い時代だったら、あんなバカバカしいことをやらないですよね。
僕は二〇代の終わりぐらい、三島さんは僕より八歳上だから三〇代半ばでした。いい歳まわりでしたね。当たり前ですが、二度とできません。そういう意味で一つの時代の証言とでも言うべきでしょうか。
事件写真は、例えば犯人が顔を隠すような、被写体が撮られたくないところを撮るものですが、僕は一度も相手が嫌がる写真を撮ったことがありません。三島さんが『薔薇刑』の写真を気に入ってくれたことは、僕にとって何よりうれしく、また重たく受け止めるところです。
この記事の中でご紹介した本
薔薇刑/丸善
薔薇刑
著 者:細江 英公
出版社:丸善
以下のオンライン書店でご購入できます
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